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2013年7月12日 (金)

抱擁とキス

チャーリー・チャップリンの映画『Modern Times』で有名な楽曲『Smile』。

私はこの映画を観た事が無いんですが、ナット・キングコールの歌う『Smile』、そして、アメリカのドラマ『glee』で披露された『Smile』をそれぞれウォークマンに入れています。

遠くに住む大切な友人を想い、歌詞にあるようにどんな時も笑顔でいよう、そう思ってこの2ヶ月ほど寝る前に『Smile』をずっと聴いていました。

デネルでございます。

これより以下は嵐さん、『智にマニアック』とは関係の無い話です。

7月4日の夕方、船乗り時代の同期生Kちゃんが虹の橋を渡りました。

どんな風に書き進めていったらいいのやら・・・・

自分のため、Kちゃんのためにここに文章で残しておこうと思います。

駆け抜けた2ヶ月でしたが忘れられないかけがえのないひと時。

猛烈に長くなりますが時計の針を巻き戻して順に綴ってみようと思います。

4年前に口腔癌を発病し、数度の再発を繰り返し、肺や喉に転移し、病気がKちゃんの朗らかな笑顔も、綺麗な顔も、優しい声も、希望に満ち溢れた未来も奪ってしまいました。

3回目の再発は今年のお正月でした。

何も言わないんですよ。

最初の時も、2回目もずっと後になってから。

今回も全然知らなくて。

船を下りて、それぞれ互いに違う人生を歩み始めて長くなりますが、今も変わらず繋がりがあるのが京都にいる私とトリュフちゃん、愛知にいるキクラゲ、神奈川にいるGちゃんとKちゃんの5人です。

文明の利器である、スマートフォンのアプリLINEを5人で共有していまして、近況を報告し合ってはいたんですが、Kちゃんは病気が再発したことを伏せていました。

4月半ば頃だったでしょうか?

何かの拍子に「実はね・・・」と。

2回目の時よりもうんと顔が変わってしまった、心が沈み込んでいる、日によって気持ちに差があり過ぎる、「私は元気になる」と思ったすぐ後に「全てを放棄したい」と投げやりになる、など、など、など、など。

負けず嫌いで、強くて、2回目の再発の時も常に前向きだったKちゃんが弱気になるなんて。

マジでか!!

超心配!!

もっすご心配!!

取る物も取り敢えず逢いに行くずら!!

と鼻息も荒く、猪突猛進で一両日中にでも神奈川に行くと決めたワタス。

でもねぇ、Kちゃんは「会いたくない」って。

「変わってしまった姿を見られたくない」って。

「だから今は皆とこうしてLINEをしているだけでいい」って。

そんな事言ってるばやいじゃないズラ、Kちゃん!!

発病後も2回目の再発後の時にも逢ってるから無問題!!

全然気にしない!!

両親に詳細を話し、「心配やしKちゃんに逢いに行ってくるわ!」と言ったら家に何度も泊まりに来ていたKちゃんの事を良く知る母は泣きながら「行ってあげなさい」と。

が、しか~し、薄毛な父が「ちょっと待て」と。

「Kちゃんは逢いたくないって言ってるんやろ? Kちゃんの気持ちを優先してあげなさい。 お前の感情を押しつけてはいけない。 あちらが逢いたいって思えるようになるまで待っていてあげたほうがいい」なんてぬかすんですよ。

なんだよ!!

チキショー!!

残り少ないYOUの毛を全部毟り取ってやる!!

一晩頭を冷やして考えました。

パピちゃんの言うことも一理あるにゃ。

これが逆の立場だったら・・・と考えてみる。

私は逢いたい派なんですが、Kちゃんは違うかもしれない。

待つか。

不承不承だけれども。

少しして、黄金週間に急遽キクラゲとGちゃんと名古屋で遊ぶことになったので、地元が愛知のKちゃんにも「ゴールデンウィークにもし実家に帰るんやったらKちゃんも一緒にどう?」とさり気な~く誘ったら「体力が無くて、家事ができなくて、母にこっちに来てもらってる状態だから実家には帰らないねぇ」と言われました。

そっか・・・・

お母さんが神奈川にいてサポートしていらっしゃるのか。

『Kちゃん、ファイト!』と銘打ち、我々4人でLINEを共有し、いろいろ話し合いました。

個人的にKちゃんと私の二人でもメッセージのやり取りを重ねました。

そうしたならば、治療の一環で近々京都に来るって言うじゃありませんか!!

はい、キタッ!!

4月にも京都に来ていたらしいんですが内緒にしてたんですよ。

「水臭いやん! 一声かけてよ!」ですがKちゃんにしてみれば辛かったんでしょうね。

が、しか~し、“スッポンの出寝之助”の異名をとる私は諦めない!!

諦めるはずがない!!

トレンチコートの襟を立てて牛乳とアンパンは張り込みの鉄則!!

「なぁ、なぁ、ちょっとでも逢えへん? 顔を見るだけでいから。 ホテルでチラッと挨拶するだけでもいいから。 なぁ、なぁ。」とKちゃんに何度もリクエストを繰り返しました。

Kちゃん、ようやく了承!!

ヤッター!!

それがココ と ココ ( ← それぞれをご参照下さい )に繋がるのです。

5月11日が誕生日なKちゃんへのプレゼントを名古屋でキクラゲとGちゃんと準備し、5月8日にトリュフちゃんとKちゃんと食事に行った際にプレゼントを渡す。

一年ぶりに逢うKちゃん。

待ち合わせの場所で目が合った瞬間、「久しぶり!」の挨拶も無く、涙をポロポロ零しながら「私 死ぬかも・・・」なんて言われた日にゃ~、そら私も泣く!!

道端だろうがどこだろうが人目も憚らずゴーゴー泣く!!

痩せ細ったKちゃんを抱きしめながら「な~にを言ってんの! あんたは死なへんの! 大丈夫やから!」と言いつつ、鼻水と涙がゴーーーーーッ。

「こうなってしまって(病気)がたまらなく辛い・・・」と泣きながら静かに話すKちゃんにかける言葉がありませんでした。

トリュフちゃんとKちゃんと食事をしながらいろいろ語った数日後、「この前は楽しかった」とLINEが届き、それから直ぐの5月末にKちゃんは茅ヶ崎にある病院に入院してしまい、ご主人のYちゃんから詳細を聞いて「そっちに行くわ!」と相成りました。

ご主人のYちゃんとはKちゃんの京都訪問をきっかけに久しぶりに連絡を取るようになったんですが、最後に喋ったのは数年前かな?ですが相変わらず優しい声なんです。

「Kちゃんの事が大好き!」な雰囲気が電話の向こうからホワ~ンと漂ってくるんですよねぇ。

彼も凄く心配していました。

大層心を痛めていました。

「Kちゃん(Yちゃんは普段から“Kちゃん”と呼びます)の為に何もしてあげられなくて・・・  全然笑わなくなっちゃったんだよね。 これまでずっと頑張り過ぎるぐらいに頑張ってきたKちゃんにこれ以上“頑張れ”なんて言えない。 だからもう頑張らなくていいよって思っちゃうんだ」と。

京都でKちゃんから話を聞いた時点で肺に影があり、「治療はもうイヤ」と言っていました。

したくても元凶の頬の再発がどうにもこうにもで飲み食い出来ないし、体力も無いし、肺まで治療できないと。

ご主人と話し合って、今後は化学療法を含む治療はしないと決めたそうです。

て事は・・・・

4人で逢いに行ったのが5月29日です。

日帰りでございやす。

気道を確保するために喉に穴が開けられていました。

2週間ほど前に逢ったばかりなのにすっかり痩せてしまって。

茅ヶ崎の病院にお邪魔したら懐かしいお顔と再会。

Kちゃんのお母さんです。

彼女の結婚式ぶりにお目にかかりましたが笑顔が娘さんにそっくり。

お母さんの妹さんも愛知から来て交替でKちゃんの看病をしていらっしゃるんですが、この時はお逢いできませんでした。

平日はお母さんと叔母さん、週末はご主人のYちゃんが泊り込み担当。

お母さんは我々のことを覚えて下さっていて、船乗り時代のエピソードに花を咲かせ、喋れないKちゃんはホワイトボードに文字を書き、それに応えてまたアホな話を繰り広げる。

Kちゃんが笑ったよ、ワッショ~イ!!

何度もクスッって笑ってくれた!!

爆裂に嬉しい!!

看護師さんが処置にいらした間にお母さんと我々は屋上に行ってお話をさせて頂きました。

喉に装置をつけたらまた話せるようになる、小さな子供たちやご主人の世話を以前のようにやりたいから家に帰りたがっている、お母さんとYちゃんが練習して痰や異物の吸引を喉からできるようになれば数時間の外出が可能になる、体力がついたら外泊も可能になるかもしれない、家で専門の機械を扱う認可を取ればあらゆる面で過ごしやすくなる、などを伺い、「Kちゃんは良くなる! 家に帰れる!」と思いました。

現にその数日後の週末に2、3時間の外出許可が下りて家族揃って海を見に行っていましたし。

気丈に振舞っていらっしゃったお母さんでしたが最後は静かに涙を流されていました。

それを見て私はゴーーーーーッ。

でもKちゃんの前では泣かないぞ!!

笑顔だ、私!!

Kちゃんの病気や入院の事を知っているのは我々4人だけなんですが、知らせておくべき人がいました。

可愛がって頂いたし、今も連絡を取り合っている先輩お二人(女性のT先輩と男性のY先輩)にだけ全てをお話し、私が代表となり間に入って逐一報告していたんです。

Y先輩が泣くんですよ。

モーーーーーッ!!

男のくせに!!

それだけ優しいってことなんでしょうね。

5月29日は仕事の途中だけどタイミングが合えば電話で話せると聞いたので一旦病院を出て、数時間後にまた戻り、Y先輩に電話をかけてKちゃんの耳にあて、Kちゃんがホワイトボードに書く返事を私が先輩に読み上げる、で、またKちゃんの耳にあてるを数回繰り返していたらフッと目が笑った!!

爆笑してる!!

ヤッホイ♪

Kちゃんの手を握りながら「また来るね」と言って病院を後にして、鶴岡八幡宮に詣でて「どうか一つ、Kちゃんが良くなりますように。 家に帰れますように。 神様お願いします!」と祈り、絵馬を奉納して家路に着きました。

この後すぐぐらいかな?

5人で共有するLINEにKちゃんからのメッセージが途切れるようになりました。

でも“既読”になっているのでくだらない我々の言葉に目を通してくれているのならと安心していました。

元々返事は期待していませんでしたし。

日常のあれこれをKちゃんに言葉で話しかけているだけだったので。

次に訪れたのが6月26日 ( ← ご参照下さい )。

日帰りアゲインでございやす。

母が「お母さんも行きたいわ。 Kちゃんに逢いたいけど顔を見た途端 泣くやろうからやめとくわ」つって。

去年の春にKちゃんとキクラゲがうちに泊まった際に、朝ごはんに厚切りのトーストを出したんです。

病気のせいで口が思うように開かず、上手く噛めず、パンを小さく小さくちぎって食べて、でもマイナスなことは一切言わず、「おばちゃん、美味しい」と笑顔を見せたKちゃん。

母はずっと後悔しているんです。

「なんでもっとKちゃんが食べやすいものを用意しなかったのか」と。

癌になって初めてKちゃんに逢った母にはそんな事は知る由も無かったのでしょうがないんですけどねぇ。

母が描いた絵手紙を数枚託され、「葉書の裏にKちゃんに手紙を書こうと思ったけど何を書いたらいいのか分からんかったからやめといた」つってつって。

Kちゃんは自宅から近い緩和ケアのある病院に転院していました。

お母さんは我々を見るなり涙がポロポロ。

談話室で喋っている間もずっと泣いてらして、先月来た時とは何かが、どこかが違うと感じたんですが、詳しくは聞きませんでした。

「奇跡を信じるしかない」と泣きながら仰っていました。

叔母さん、はじめまして!!

Kちゃんに似てお美しい♪

恐るべし、デオキシリボ核酸・・・・

Kちゃんてばまた痩せてしまって。

お母さんと叔母さんを交えて7人でワチャワチャ話してきました。

T先輩が花と手紙を贈って下さって。

Gちゃんのプチ誕生日会(本当は7月5日)もサプライズでお祝いできたし、今回も何度も何度もクスッと笑ってくれたし、Kちゃんは大丈夫。

元気になる!!

前回と同じようにKちゃんの手を握りながら「Kちゃん、また来るね」と言っておいとましました。

帰り際に浮かべた笑顔がとても可愛くてですね、あ~、あの頃と同じKちゃんの笑顔・・・と妙に感動してしまって。

トリュフちゃんもGちゃんもキクラゲも同じことを思っていたようで、ランチをしながら「あのKちゃんの笑顔、可愛かったよね~。 凄く可愛いかった」と口々に言い合っていたんです。

じゃあ次はまた一ヶ月後ぐらいに逢いに行こうかしらねぇ~。

よしんば私がアラブの石油王ならば、仕事も時間も関係なく毎週でも、うんにゃ、毎日Kちゃんの所に通うんですが、いかんせん、働けど働けど・・・なもので、月に一度、若しくは月に二度ぐらいの訪問しかできず。

夜帰宅して、ご主人のYちゃんに報告を兼ねてメールをしたら「Kちゃん、余命一週間て言われちゃった」と。

緩和ケア病棟なので延命処置はしないんです。

残された時間をいかに自分らしく過ごすかが主。

もし発作が起こったり、出血があったとしても命を永らえることは一切施さない。

え!?

Yちゃん、Pardon!?

一週間?

数時間前に見たKちゃんは笑ってたよ?

目や頷きで会話をしてくれたよ?

メノ~ン・・・・

嘘だーーーーーーーーー!!

絶対違う!!

何かの間違いだ!!

両親に話し、オエオエ泣く母と一緒に私も泣き・・・・

3人にLINEをしました。

私とキクラゲはあの笑顔を最後にしたくない、Kちゃんに逢いたい、次に見るKちゃんが永遠に目を覚まさない姿なのは耐えられない、納得できない!!

Gちゃんとトリュフちゃんはあの笑顔が最後でもいい、そう思うぐらいあの笑顔は最高に綺麗だった。 

4人いれば4つの考え方がありますし、違って当然。

どれか一つが正解ではないし、幾通りもの答えがある。

でも私は自分の心を信じたかったし、直感に従うべきだと思ったので迷わず逢いに行くことにしました。

だって「また来るね」って約束したもの。

“うん”て何度も頷いてくれたもの。

自分の中できちんとサヨナラがしたい。

両親も「あんたのやりたいようにしなさい。 Kちゃんに寄り添ってあげ」と後押ししてくれたので一週間後の7月2日と3日に再び神奈川に行ってきました。

2日はキクラゲと、3日はキクラゲとGちゃん(2日は仕事で都合がつかず)と。

トリュフちゃんは仕事で多忙だったのと、前述の気持ちがあったので一緒ではありませんでした。

2日はキクラゲと二人きり。

それすなわち、泣き虫コンビ。

「Kちゃんの前で泣いたらケツバットな!」とお互いを奮起し合い、泣かないと約束し、いざっ、病室に。

いかん、泣ける・・・・

一週間前より更に痩せてしまって・・・・

ケツバット上等!!

泣かせてくれ!!

これ以上落ちる肉があるのだろうか?というぐらいKちゃんは痩せ細ってしまっていたんですが、我々の問いかけに瞬きしてくれますし、頷いてくれました。

クスッと笑ってもくれました。

まだペンが持てていた茅ヶ崎の病院で書いた手紙やメモをお母さんが大切に取っていらっしゃって、お母さんとKちゃん、Kちゃんとご主人のYちゃん、Kちゃんから子供たちの交換日記のような綴り形式なんです。

「おばちゃん、読ませてもらってもいい?」と聞いたら「どうぞ」との事で、一枚ずつ拝読していたら・・・・

ゴーーーーーーーーッ・・・・

泣けて泣けてしょうがない・・・・

こい、ケツバット!!

キクラゲは読まないんです。

読んだら絶対泣くと分かっているから。

チラ見しただけで鼻水をすすってましたし。

私は何もかも受け止めたくて読ませて頂きました。

お母さんに宛てた手紙には「これまで自分勝手に生きてきたのに何も言わずいつも応援してくれてありがとう。 お陰で船で素晴らしい仲間に巡り合えた」なんて。

これは前回訪問した時にお母さんから直接伺ってまして、談話室でキクラゲと号泣したんですよね。

文字で見てもやっぱり泣ける・・・・

Kちゃんの食事(鼻から入れているチューブ)が後一時間ぐらいかかるとの事だったので、キクラゲとお母さんと三人で散歩に行って、お茶をしたファーストフード店で三人で泣く。

オエオエ泣く。

午後からご主人のよっちゃんと子供たちも病院に来て、Kちゃんの病室はより一層賑やかになりました。

お兄ちゃんのS君も、妹のNちゃんも笑顔がお母さんにそっくり。

ニコニコ笑うんです。

S君はお父さんから「お母さんはもしかしたらもう・・・」というのを聞いたらしく、それ以来大好きなサッカーを休んで毎日Kちゃんに逢いに来ているそうです。

私がお邪魔した時もKちゃんの足をさすりながらずっと話しかけていました。

Nちゃんは3歳ぐらいの頃からお母さんが病気になってしまったので「元気なママを知らないのよ」と叔母さんが仰っていました。

二人ともお母さんが大好き。

Kちゃんの頭上には二人のお手製のお守りが飾られていて、中には手紙が入れてあるそうです。

叔母さんがその日は病院に泊まられるという事で、「Kちゃん、明日も来るし♪ 明日はGちゃんも来るよ~♪ ウザくても明日もうちらの暑苦しい顔を見なあかねんで♪ ひゃひゃ!」と話し、残りの家族の皆さんと一緒にリフォームの終わったKちゃんのおうちに連れて行ってもらいました。

お母さんから聞いて初めて知ったんですが、Kちゃんは自宅でカフェがしたかったそうなんです。

木の温もり、家族の愛情、Kちゃんのアイデアがギュッと詰まった素敵なおうちでした。

段々体が動かしにくくなっていたので少しでも寝起きがし易いベッドを二人で買いに行き、取り寄せた商品が届くのを待っている間に入院してしまったので「Kちゃん、このベッドでまだ一度も寝てないんだ」とご主人のYちゃんが言っていました。

「晩御飯を一緒に」と誘って下さったんですが、忘れちゃならないあの人を。

Gちゃんが待っている♪

仕事を終えたGちゃんと合流し、Gちゃんちに泊めてもらってはい、乾杯!!

Kちゃんにカンパ~イ!!

余談ですが、Gちゃんのご主人は我々の後輩なんですの

職場結婚っちゅうやつですな。

余談ついでにもう一つ。

Kちゃんとご主人のYちゃんはワーキングホリデーで滞在していたニュージーランドで巡り合ったんですの

飲んで飲んで飲まれて飲んで。

Gちゃんのご主人は午前中に大切な商談があるので早々におやすみ。

我々は飲む!!

喋る!!

笑う!!

Kちゃんが病院で退屈しないように、退院して家でも観られるようにと船乗り時代にハンディーカムで撮った映像をトリュフちゃんがDVDに落としてくれまして、我々にもコピーしてくれたんです。

1枚2時間の収録で合計6枚。

BGM代わりに映像を何気なく流していたんですけれど、元気なKちゃんが朗らかに笑っていたり、優しい笑みを浮かべながら喋っているのを観たら3人揃って涙と鼻水がノンストップ。

ティッシュでは到底追いつかず、仕舞いにゃタオルでウォンウォン。

オエオエグゴゴゴゴゴー。

そして笑う。

また泣く。

語り倒す。

を繰り返し、朝まで飲み明かしました。

それにしてもGちゃんの号泣がブサイク過ぎる!!

汚い!!

ウケる!!

少し仮眠を取り、Kちゃんのいる病院へ。

うぃ、合言葉の「Kちゃんの前で泣いたらケツバットな!」と共に。

3日は叔母さんとご主人のYちゃんがいらっしゃいました。

宣告を受けてからYちゃんは仕事を休んで病院に詰めていたんです。

3日でちょうど一週間。

一緒に来れなかったトリュフちゃんがKちゃんをイメージした花籠を届けてくれました。

Photo

~ Kちゃん。 Kちゃんみたいにまっすぐでご陽気なヒマワリ見つけたので送ります。 楽しい夢いっぱい見てね   トリュフ~

Yちゃんが「Kちゃん、外に行きたい?」と尋ねたらコクンと頷いたので「さ~んぽ! それ、さ~んぽ!」と囃しながらベッドごと移動して、病室のある同じ階のテラスに出て皆で夏の風を感じてきました。

数分の出来事でしたが久しぶりにKちゃんと出かけられて嬉しかったです。

部屋に戻って、Kちゃんの手や足をさすりながら話しかけているとまたねぇ、グッとくるものがあったので、「いかん、いかん、笑顔だ、俺!」と自分に言い聞かせてアホ丸出しのエピソードを喋っていました。

いつまでもここにいたい。

無情にも時は流れます。

ご主人のYちゃんと叔母さんに「申し訳ないんですけど、暫く我々4人だけにしてもらってもいいですか?」とお願いしたらお二人は何も言わず、ただ一つ頷いて笑顔で病室を出て行かれました。

沈黙が数秒・・・・

「ケツバットをお願いします」と声を震わせながらキクラゲがKちゃんに背を向けて堪え切れず号泣。

私も号泣。

Gちゃんも号泣。

ええ、世にも薄気味悪くブサイクに。

言葉にならない・・・・

言いたいこと、話したいことが沢山あるのに・・・・

鼻水と涙を垂れ流し、手を握り、腕を撫で、足をさすりながら自分の気持ちを伝えました。

「Kちゃんのために何もしてあげられへんけど、Kちゃんを想う気持ちだけはいーーーーーっぱいあるから。 チョモランマ級にある! これまでも、これからもずっと大好きよ。 ありがとう」と。

Gちゃんもキクラゲもそれぞれ想いを伝えました。

交代でKちゃんをギュッと抱きしめました。

3人で抱きしめました。

おでこと頬にキスしました。

「大好き」と何回も何回も伝えました。

Gちゃんがホワイトボードに「Kちゃん大好き! キクラゲ・トリュフ・G・デネル」と書いて、Kちゃんに何度も見せました。

とっても似ている私のモノマネを披露しました。

泣いて笑って大忙し。

沢山泣いて、沢山笑って、きっとKちゃんは「え~い! うるさい! ウザいわ!」だったはず。

何回も笑ってくれたんですよねぇ。

抱擁とキスと「大好き!」を繰り返し、「Kちゃん、じゃあね」と言って病院を後にしました。

「また来るね」とは言いませんでした。

7日の日曜日は七夕なので、病室に飾るための笹と短冊を持ってトリュフちゃんとGちゃんが来ることになっていました。

我々三人が受けた印象は「Kちゃんは元気じゃないけど、元気! まだ大丈夫!」でした。

帰宅して、「Kちゃんに“大好き”と“ありがとう”を伝えてきた。ずっと先である事を願ってるし、これからも何度でも逢いに行きたいけど、もし次に逢うのがお別れでもいい」と両親に報告。

母はやっぱり号泣。

Y先輩が電話を下さって、二日間のことを知らせたら電話の向こうで嗚咽。

鼻水をすする音がズーーーーーーッ。

かくしてこれ以降、我々の会話やLINEではY先輩は“嗚咽先輩”と呼ばれることになるのです。

優しいなぁ~。

翌日の木曜日、昼過ぎにご主人のYちゃんから「昨日はありがとう。 あんなに楽しそうなKちゃんを見たのは久しぶりでした。 また来てやってね」とLINEがきました。

アイドルグループ嵐のキャプテン・大野君ファンのお友達である白い部屋のEちゃんが心配してくれまして、「飲みに行きましょう!」と誘ってくれたので仕事終わりに二人で飲んでたんです。

ご主人のYちゃんから「先ほどKちゃんが天国に旅立ちました」と連絡があったのは「昨日はありがとう。 あんなに楽しそうなKちゃんを見たのは久しぶりでした。 また来てやってね」と受けた僅か数時間後のことでした。

宣告を受けて一週間と一日。

我々が逢いに行った翌日に旅立ってしまいました。

     

グオーーーーーーーッ

「Kちゃん、逝っちゃった」と3人にLINEをし、それぞれに電話。

エーーーーーーーーン

昨日逢ったのに・・・・

Y先輩、T先輩にも電話。

号泣・・・・

Kちゃんと何度か一緒に食事に行った事のあるエリンギもずっと「Kさんどうですか?」と心配してくれていまして、その都度報告をしていたので電話で伝えたら二人で号泣・・・・

白い部屋Eちゃんも「私のことは気にせず連絡とかいろいろして下さい」と気を遣ってくれて。

その場で母にも電話をし、鼻水と涙がどんぶらこ。

一週間前で時間が止まってしまったトリュフちゃんが心配なので一緒に飲もうと誘おうと電話をするも出ないんですよ。

ストーカーか私かの勢いで何度もかけるのに一回なんてブチッと切られちゃって。

ようやく繋がったと思ったら地元の駅に着いていました。

「あんたが心配やから今すぐこっちにおいで!」と言うも、「一人で泣きたい」と。

Gちゃんに言ったら「泣かせてやれ、そっとしておくのも愛情」だと。

ご主人のYちゃんとも電話が繋がり、二人で号泣。

後でLINEを読み直して知ったんですが、いろいろやるべき事があるだろうに、Kちゃんが亡くなってすぐにYちゃんは連絡をくれていたんです。

最期の様子を教えてもらいました。

看護師さんがKちゃんの変化にいち早く気付かれ、一人で病室にいらした叔母さんが不安だからとお母さん、仕事に復帰していたYちゃん、学校にいた子供たちを呼び戻し、家族全員に見守られながら眠るように息を引き取ったそうです。

痛みも苦しみも無く虹の向こうに旅立てたのがせめてもの救いです。

帰宅して母に詳細を話したら「Kちゃん、あんたらが来るのを待ってくれてたんと違う?」と。

そうなのかもしれません。

自分の中で別れをした水曜日、震災でお母様を亡くされた宮城県にご在住の大野君ファンのお友達を想い、何の予告も無く大切な家族や友達や知り合いの命が突然奪われる、不慮の事故などでやはりかけがえのない命を奪われる方が世の中に沢山いらっしゃる中、私はKちゃんにサヨナラが出来る機会を与えてもらえた。

キスをしてギュッと抱きしめる事ができた。

「大好き」と「ありがとう」を伝える事ができた。

嗚咽先輩も「お前たちはラッキーだぞ」って言っていました。

泣ける・・・・

お通夜は6日、告別式は7日に決まりました。

待ち合わせの京都駅でトリュフちゃんの姿を確認し、目が合って、ほぼ同時に泣き出し、きつくハグ。

「欧米か!」でございやす。

名古屋からキクラゲが乗ってきて、目が合って、奴が泣く。

とんだ泣き虫軍団ですよね。

Gちゃんがホテルを取ってくれていまして、部屋から眺めた景色はどこまでも広がる青空と、穏やかな海が。

Photo

よっ!!

Kちゃん、晴れ女!!

喪服に着替え、セレモニーホールに。

ご主人のYちゃん、お母さん、叔母さん、子供たちに挨拶をし、会場に足を入れると・・・・

遺影のKちゃんがとびきりの笑顔で佇んでいました。

4人揃ってゴーーーーーーーッ。

鼻水と涙がグゴゴゴゴーーーーッ。

これが本来のKちゃんなんです。

病に倒れたKちゃんの身体は世を偲ぶ仮の姿。

棺には開封される事の無かった子供たちが作った手紙入りのお守りや、娘のNちゃんが書いた星を模った紙に書かれたメッセージなどが入れられており、トリュフちゃんが京都から用意してくれた笹と短冊も一緒に入れてもらえる事になりました。

Photo_2

我々のメッセージ、T先輩、Y先輩のメッセージ、娘のNちゃんのメッセージが短冊に書いています。

Nちゃんのには「ママみたいな強いデザイナーになりたい」とありました。

Nちゃんの将来の夢はデザイナーでして、“強い”というのは今まで見てきた母親の心と姿を書いているのだと思います。

話が長くなったついでにもう一つ脱線。

関西?京都?関東?神奈川?とでお通夜と告別式のシステムがいろいろ違うことに驚き、新しい経験を幾つもさせてもらいました。

お通夜には息子のSくんのサッカークラブのメンバーが参列してくれていまして、スポーツマンらしく皆さん礼儀正しく、ユニホーム姿で焼香してくれました。

お通夜が終わり、ご主人のYちゃんが「○○ちゃん(私の下の名前)たち、この後一緒にご飯食べるでしょ?」と。

お気持ちはヒジョーーーに嬉しいんですけれど、ご家族やご親戚の皆さんの中に入れて頂けるのは誠にもって光栄なんですけれど、どうぞ皆様だけでKちゃんとお過ごし下さい。

「うちらはKちゃんも含めて5人で勝手に飲むから♪」と丁重にご辞退させて頂きました。

ホテルに戻り、着替えて、メインの九州料理が美味しいと評判?のお店で献杯。

日付が変わり、場所を変え、アメリカンなバーで再び献杯。

で、わたくし、閃いちゃって。

7月5日が本当の誕生日だったGちゃんにまたまた内緒でサプライズでお祝いを決行!!

お店の方に花火付きのサンデーを用意して頂き、ハッピーバースデーを歌い、「Gちゃん、お誕生日おめでとー!」と驚かせてやりました。

ひゃひゃ。

Kちゃんも一緒に歌ってくれてるはず。

ホテルの部屋で3人(トリュフちゃんは日本酒の飲み過ぎで撃沈&爆睡)で話し、気付けば朝になっていました。

Photo_3

朝焼けが綺麗。

本日も晴天ナリ。

告別式に参列するため、前日にも行ったセレモニーホールへ。

あまりにも暑かったのと、ロッカーがいっぱいで大きな荷物があったのとで横浜駅からタクシーに乗りまして、会場が近付くほどに「ああ、今日で本当にお別れなのか」と思ったらホールに行きたくない気持ちになってしまって。

遺影のKちゃんは相変わらず可愛くて、笑顔が優しくて、温かい人柄が滲み出ていました。

またしてもオエオエエピソードが。

ご主人のYちゃんが「火葬場まで一緒に行ってくれる? ○○ちゃん(私の下の名前)たちもメンバーに入ってるから」と。

これが泣かずにいられよか!?

ハンカチーフの端を鼻の中に入れてグリグリ拭かずにおられよか!?

我々を家族の一員のように迎え入れて下さって。

自分達がしたくてやっているだけなのに病院に行く度に「ありがとうね」と何度も言って下さり、お通夜の後も声を掛けて下さり、告別式でもねぇ。

我々で良ければ喜んで!!

棺の中に花を入れるその時がやって来ました。

お通夜の時も告別式でも私の心は穏やかで、空のように快晴で、今生の別れなのに決して号泣はしませんでした。

ま、ま、ま、鼻水と涙でオエオエ泣いていましたが。

でもやっぱりいかんですね。

お花を手向けるのに棺に静かに横たわるKちゃんを見たらね。

頬とおでこを撫でながら「Kちゃん、ありがとう。 大好きよ。 じゃあね」と話しかけたら涙腺のダムが決壊しちゃって。

ウオーーーーーーーン!!

告別式がほぼ終わりに近づいた頃、にゃんと!!

嗚咽先輩が到着!!

我々4人が心配だから逢いに行くとは聞いていたんですが、告別式には間に合わないと仰っていたのに。

早朝の仕事を終え、その足で新幹線に飛び乗り、大阪から会場に駆け付けて下さいました。

私とトリュフちゃんは一ヶ月前ぐらいにY先輩と食事に行っていたのでいろいろ話を聞いてもらっていましたが、GちゃんとキクラゲがY先輩に逢うのはもっすご久しぶり。

先輩の姿を目にした途端、また涙が。

優しいな~。

我々から話を聞いていたのでKちゃんの病気の事や進行具合はご存知ではありましたが、実際に自分の目で見るのとではやっぱりね、全然違いますよね。

現実との対面。

「Kを見たくない、見れない」とポソッ。

ほんでもって号泣。

「せっかく来て下さったんだからKちゃんに逢ってやって下さい」と泣き崩れる要介護な先輩の背中をグイグイ押しながらお願いしました。

キクラゲが先輩に付き添って棺まで連れて行ってくれたんですが、その後ろ姿が可笑しいやら泣けるやらで。

先輩、泣き過ぎっす!!

咆哮っす、それ!!

誰よりもゴーゴー泣く嗚咽先輩。

不謹慎だけど面白い!!

楽しいこと、明るいことが大好きなKちゃんと我々らしいお別れになりました。

「お前たちの顔も見れたし、安心したし、Kにも逢えたからもう帰る」と先輩が仰ったんですが、せっかくだからとご主人のYちゃんにお願いして火葬場まで一緒に行かせて頂くことに。

火葬場に向かう途中で霊柩車と我々を乗せたバスがKちゃんのおうちの前で止まりました。

お母さんが「家に帰りたがってたので」と泣きながら報告して下さり、ご主人のYちゃんが車から降りて遺影を玄関に見せてあげていました。

Kちゃん、お帰り。

久しぶりのおうちはどうですか?

火葬場でホントにホントのお別れです。

見上げた空からこの夏初めての蝉の鳴き声を聞きました。

小さくなってしまったKちゃんの遺骨を拾わせてもらい、涙、涙、嗚呼、涙・・・のはずが・・・・

Gちゃん、骨を落とした!!

やっちまったなー!!

もーーーーー!!

わらける!!

泣き笑いですよ、全く。

Kちゃんも「Gちゃんてば~。 しょうがないな~。 ウケる!」と朗らかに笑ってくれているに違いない。

セレモニーホールに戻り、服を着替えて、皆さんにいとまを告げます。

「おばちゃん、これが最後じゃないから♪ しつこくまたお邪魔するから♪」と話し、ご主人のYちゃんを4人で一斉にギュッと抱きしめ、「Yちゃん、何かあればいつでも呼んでや! 駆け付けるから!」と約束してその場を後にしました。

志半ばで逝かなくてはいけなかったKちゃんの事を想うとやるせない気持ちでいっぱいになります。

子供たちの将来を見届けたかったでしょうし、ご主人とももっと一緒の時間を過ごしたかったでしょうし、やりたい事が沢山あったでしょうし、夢を叶えたかったでしょうし。

今頃は空の上で笑ってくれているといいな。

軽くなった身体でスキップしてくれているといいな。

欲を言えばもっと逢いたかった。

一回でも多く笑顔になって欲しかった。

ずっと笑っていて欲しかった。

後悔が無いと言えば嘘になりますし、自己満足の域を出ませんが、自分に出来る限りの事を精一杯やったと思っています。

Kちゃんに伝わっていると信じたいです。

私一人では到底出来ませんでした。

心強い仲間、トリュフちゃん、Gちゃん、キクラゲがいつも側にいてくれたから。

共に泣いて、笑って、語り合って、勇気づけて、勇気づけられて。

悲しみは4分割に、喜びは4倍になりました。

かけがえのない絆です。

Kちゃんが使者となって、我々を今以上に繋げてくれたと思っています。

こちらで胸の内を吐き出させてもらえた事も大きな力になりました。

Kちゃんのために祈って下さり、激励を寄せて下さり、アドバイスを下さり、温かいメッセージを沢山頂戴して本当に有難うございました。

皆さんから頂くコメントやメールを拝読して、お返事を書かせて頂くことで悩みがすっと解消されました。

この場をお借りして深くお礼申し上げます。

もしも願いが叶うなら、5人で一緒に飲みたいです。

Kちゃんの声が聞きたいです。

何もかもが恋しいです。

身体はお別れですが心はいつまでも。

Kちゃん、ありがとう。

大好きよ。

また逢おうね。

そっちに行くまでもうちょっと待っててね。

また皆でワイワイ騒ごうね。

 --------

 --------

◆7月14日 追記◆

7月14日に震災プロジェクトの別館を更新しております。

ご協力・ご賛同下さっている皆様はお時間のある時にでも一読頂ければ幸いです。

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デネル事」カテゴリの記事

コメント

◆みゆさん◆

お久しぶりです!
「船乗り時代の同期生Kちゃんがにゃんと!嵐ファンになりました!しかも大野君に絶大なるLOVE♪」とお知らせしたかったんですが、残念ながら彼女の旅立ちになってしまいました。
皆様には退院して元気に過ごしているとご報告できると信じて疑っていなかっただけに余計に辛くて。

7月3日、亡くなる前日に抱擁とキス、「ありがとう」と「大好き」を伝えることが出来た私はあらゆる縁に感謝しています。
Kちゃんが待っていてくれたこともその内の一つだと思います。

今頃は空の向こうでニコニコ笑いながらのんびり過ごしてくれるといいな。
Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。

◆熊Pさん◆

ご無沙汰しております!
お元気ですか?

Kちゃんの事を気に掛けて下さって有難うございます。
まさかこんな形でこちらで彼女の話をさせて頂くとは思ってもいませんでした。

心残りは沢山あったでしょうが病気から開放されて元気になった姿で楽しく過ごしてくれていると思います。

もうね、この2ヶ月はほんとーーーーによく泣いてよく笑いました。
特に私ね。
ケツバットの数はダントツで多いですにゃ。
嗚咽先輩も凄くいい人で、先輩と私は地元の駅が近くなんですが、告別式の帰りに京都駅で電車を待っていて先輩に伝え忘れていたKちゃんのエピソードを話したならば、ホームでまた泣いた!!!
優しい先輩を持って我々は幸せです。

わざわざこうしてコメントを寄せて下さったそのお気持ちだけで充分です。
有難うございます。

飲み過ぎ食べ過ぎで身動きが取れませんが元気に過ごしてます!
熊Pさんもご自愛下さいませ。


Kさんのお悔やみを申し上げなければ…と思いながら随分と遅くなり申し訳ありません。ずっとずっと、どのような言葉で綴ればいいのか…言葉が見つからず、何度も書いては消し、書いては消しを繰り返しておりました。私にも子供がいますので、Kさんが小さなお子様を残して逝かなければならなかったお気持ちを想うと、胸が潰れる思いでいっぱいです。最期にデネルさんやご友人とお会い出来て、きちんとお別れ出来た事、本当に運命的と言うか、Kさんは待っていてくださっていたのでしょうね。今は虹の向こうで御主人、お子様、御家族、ご友人達を向日葵の様な笑顔できっと見守って下さっていることでしょう。
末筆になりましたが、Kさんのご冥福を心より申し上げます。

デネルさん、お久しぶりです。

Kさんのお悔やみ申し上げます。

デネルさんがブログを通して素敵なKさんを紹介してくださってから、友達のように心配したり笑ったりしていました。

家族の方々やデネルさん達に愛されてたKさんはとても幸せだったでしょうね。

先輩やGさんやケツバットのエピソードに泣き笑いしてしまいました、すみません。

気の利いた事が言えないのが悔しいのですが、Kさんの分もいっぱい食べて飲んで体調を崩さないようにしてくださいね。

◆さとじゅんさん◆

さとじゅんさんは幼い頃にお父様かお母様が亡くなられたのですね。
お兄ちゃんのS君も妹のNちゃんもママのKちゃんにそっくりな笑い方をするんです。
二人を残して逝かなければならなかったKちゃんはさぞかし心残りだったと思いますが、残された二人も同じようにお母さんの事を恋しがっていると思います。
お節介Dちゃんのパワーを遺憾なく発揮させて、甚だ勝手ながら二人の成長を見守っていきたいです。
「来すぎ!」とウザがれるぐらいお家にお邪魔しちゃう♪

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。

◆あ~るさん◆

ご無沙汰しております!
暫くぶりにコメントを頂戴したらなんと!!
入院してらしたなんて!!
ど、ど、ど、どうですか?
お加減はいかが?
つい最近退院されたんですね。
ご無理をされませんよう、時間の許す限りゆっくりと静養なさって下さいね。

最初は我々に会いたくないと言っていたKちゃん。
ご主人のYちゃんに後で聞いて初めて知ったんですが、京都に来る前ぐらいから随分体調が悪かったとの事。
ご主人もお母さんも心配して「京都にはいつでも行けるから良くなってからでいいんじゃない?」と何度か提案したそうなんです。
でもKちゃんは頑として譲らなかったそうです。
「○○ちゃん(私の下の名前)に会いたいから」と。
泣ける・・・
それからすぐ入院してしまったので京都で無茶をさせたのではないかとずっと思っていたのでご主人に聞いたら「それは全然無いよ。 ○○ちゃん達に会えて凄く楽しかったって言ってたもん」と言ってもらえてホッとしました。
凄く楽しかったのはKちゃんよりも私の方だったのかもしれません。
涙、涙の再会になりましたがあの日Kちゃんに会えて本当に良かったです。
神奈川の病院でも然り。
自分の意思ではそうしようもなくなった病気から開放され、今はニコニコ笑いながら過ごしてくれていることを願って止みません。

あ~るさん、無理は厳禁ですよ!!
ご自分をうーーーーーんと甘やかしてあげて下さいね。


◆ネセサリさん◆

7月20日18:14にコメントを寄せて下さった方はネセサリさんでしかと!!
ご丁寧に知らせて下さって有難うございます。


◆7月20日18:14さんはネセサリさん◆

ご無沙汰しております!
7月4日の夕方、Kちゃんはご家族に見守られながら静かに息を引き取りました。
2ヶ月前に見た満月に彼女のことをお願いしたのがつい昨日の事のようですが、この週末に見上げた夜空に浮かぶ満月を眺めながら「ああ、Kちゃんはもういないのか」と改めて認識しました。
我々同期がまた集まれるのはもう少し先になりますが、Kちゃんと再会した際には「Kちゅわん!」と抱きつく気マンマンでございやす。

彼女の冥福を祈って下さって有難うございました。


こんばんはー、デネル様。Kちゃんさんの事本当になんて言ったらいいか…私はKちゃんさんのお子様と同じ立場でした。もう~本当に辛いですね…大好きな人の旅立ちは。デネル様もお友達の皆様もとても優しくてKちゃんさんの事大好きだったんだなって思いました。北の地からKちゃんさんのご冥福をお祈り致します。そしてKちゃんさんのお子様達に沢山の幸せが訪れます様に。デネル様達の悲しみが少しでも癒えます様に。

デネルさん、こんばんは。
久しぶりにこちらに寄らせて頂きました。

わたしも一昨日まで胃癌で入院していました。

どんなに大好きな友人でも、会いに来て欲しくない。
すっかり変わった自分を見て相手の表情が変わるのを見たくない。
Kさんの気持ちが、痛いほどわかります。

でも、それでも会いに来てくれたら嬉しいんですよね。
友人に会いたくなかったはずなのに、会ったら嬉しくてしょうがないんです。

デネルさんたちが逢いに来てくれて、Kさんはどんなに嬉しかったろうと思います。

Kさんのご冥福をお祈りいたします。

デネルさん、元気を出してください。

辛い病気とずっと闘ってきたKさんは、最高の勇者だと思います。

7/20の18:14の名前忘れの投稿はネセサリです。
申し訳ありませんでした。

デネルさん、お久しぶりです。
慰めの言葉も見つからないまま、静かに見守らせて頂いておりましたが、Kさん、旅立たれたとのこと。
ご冥福をお祈り致します。
とても大切な友を失くされた心痛お察し申し上げます。

デネルさんの精一杯の真心は、Kさんも嬉しかったでしょうね。
これからは、デネルさんの心にいつも一緒にいると思います。
そしてまたいつか本当に会う日を楽しみにして。
それまで時々、寂しくなったら、嵐を聞いて思いっきり泣いちゃって下さい!では。。

◆バジルさん◆

長い長~い、「まだあるんきゃい!」なエントリーに何度も目を通して下さったとのことで痛み入りまする。

お陰様で心身共にパワーたっぷりでございます!
悲しみを乗り越え・・・・
近々こちらで報告させて頂けるエピソードがありますので、その際にはお目通し頂ければ幸いです。

寺山修司さんの短歌を贈って下さって有難うございます!!
『あゝ荒野』の方ですよね?
すみません、勉強不足で「音立てて ~」を存じ上げず、先ほど慌ててデネル.comしてきたんですが・・・
引き続き調べてきます!!
取り急ぎお礼をば。


◆かなさん◆

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。

どこぞの誰それさん、それすなわち、私とはえらい違いでして、Kちゃんはとても優しい笑顔と心の持ち主でした。
“朗らか”という言葉がピッタリで、トリュフちゃんが贈ってくれた花篭にあったヒマワリそのものでした。

幼い子供達やご主人を残して逝かなければいけなかった彼女はとても辛かったと思います。
心残りが沢山あったでしょうが、今は辛いのも痛いのも忘れて穏やかに過ごしてくれているはず。

私の事まで気に掛けて下さって有難うございます。
相変わらず飲んでます!
食べてます!!
かなさんも御自愛下さいましよ。


◆チェブラーシカさん◆

7月4日の夕方に家族に見守られながら静かに息を引き取りました。

私一人ではこんな風に行動を起こせなかったかもしれません。
キクラゲやGちゃんやトリュフちゃんがいてくれたからでこそだと思っています。
この2ヶ月共に泣いて笑って沢山考えて、「Kちゃんに逢いたい!」その一心で我々はこれまで以上に深く繋がれました。

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。
チェブラーシカさんのご友人と一緒にKちゃんもニッコリ笑ってくれているに違いない♪


◆ししまるさん◆

エントリー内でも綴っていますように、告別式での私の心は快晴でした。
自分勝手な考えかもしれませんが、手を握りながらKちゃんに「ありがとう」と「大好き」が伝えられたからだと思うんです。
ギュッと抱きしめて、頬とおでこにブッチュー!とキスが出来たことも大きかったような気がします。
逢う度に弱っていくKちゃんを見るのはとても辛かったですが、「アホ満載な話でちょっとでも明るく!」と心がけ、Kちゃんと一緒に楽しく過ごせた事は我々にとってかけがえのない瞬間だったんですよね。
Kちゃんも喜んでくれているといいんですが。

虹の橋の向こうで笑ってくれている事を願っています。
うーーーーんと楽しんでくれているといいな。
またいつか逢える日までバイバイですにゃ。

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。

◆りんりんらんらんさん◆

Kちゃんの回復を皆さんに願って頂いていたんですが、7月4日に旅立ってしまいました。

りんりんらんらんさんはお父様を看取られたんですね。
船乗り時代のY先輩にKちゃんが余命一週間と宣告された時に「逢いに行きたい! ずっと傍にいたい!」と鼻息も荒く話したんですが、「Kには最期はご家族とだけで過ごさせてやれ。邪魔をするんじゃない。 ハウス!」と制止されたんですよ。
なんだよ!!
でもねぇ、先輩の言うことが正しいんですよね。
ご家族に見守られながら静かに息を引き取ったとご主人のYちゃんが言ってましたし、Kちゃん自身も穏やかな表情を浮かべながら逝ったのだと思います。
お父様も りんりんらんらんさんが傍にいらして凄く安心されたことでしょうね。

5人全員が再び揃うのはまだまだ先になると思いますが、集結した際には「はい、カンパ~イ!」と飲んで飲んで飲まれて飲んでで過ごす気マンマンです。
Kちゃんにとっても似ている私のモノマネをまた披露しよっと♪

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。


◆スイさん◆

ボリューム満点なスイさんの胸を痛めて下さって有難うございます。
『智にマニアック』とは何の関係も無い上に、読んで頂いても楽しくもなんともないここ数回のエントリーにこうして沢山のメッセージを寄せて頂き、Kちゃんとの別れを一緒になって悲しんで頂き、我々は本当に幸せ者です。

同期生のキクラゲは以前からここを覗いてくれていまして、Kちゃんにまつわるエトセトラで皆さんから頂く温かいコメントにいつも感謝&感涙しています。
「嵐ファンの皆さんや優しいねぇ。 有り難いねぇ」と昨日だったか一昨日だっかも申しておりました。

Kちゃんとの永遠の別れはとても辛く悲しいのですが、「これで良かったんだ」と思っています。
心は快晴でございます。
ま、ま、ま、Kちゃんが恋しいのには変わりはないんですけれど・・・

お通夜の前日の7月5日にねぇ、Gちゃんてば激ウケのことをしでかしたんですよ。
火葬場でのアレも大概ですが。
ふふふっ。

Kちゃんのみならず、我々同期生の事もいろいろ気に掛けて下さって有難うございました。
Kちゃんも笑顔!!
私も笑顔!!
みんな笑顔!!


◆ももくるさん◆

どこぞの国の将軍様のようなシザーハンズの同級生マイタケちゃんにはブログを更新した事もKちゃんが亡くなった事も連絡していなかったんですが、偶然なのか、はたまた虫の知らせかで数日前にここを読んでくれたそうなんです。
「ロード・オブ・ザ・リング並の長い長いブログ読んで涙が止まらんかったわ」つって。
3部作にすれば良かったかも。
自分でも驚いています。
Kちゃんについて綴り始めたら止まらなくなってしまっていつも以上にうんと長いエントリーになってしまいました。

Kちゃんとご主人がしっかり話し合って決めたことに口出しは一切せず、全力でサポートしようと決めていたんですが、逢いに行く度に痩せ衰え、待った無しで急速に変わっていき、痛み止めのモルヒネをずっと投与されながら夢現でいるKちゃんを目にして、楽にしてあげたい、開放してあげたいと思う気持ちと、「Kちゃん、辛いやろうけど乗り越えて! もうちょっとだけ頑張って!」と思う気持ちと鬩ぎ合っていました。

空の向こうで笑ってくれているといいな。
やりたかったこと、諦めなければいけなかったことを再開させてくれていますように。

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。


◆ぶちさん◆

ぶちさんをはじめ、皆さんにはKちゃんの回復を願って頂いていたんですが残念ながら7月4日の夕方に旅立ってしまいました。

「え~い! 暑苦しいわ! おちおち寝てられないじゃない!」と怒られそうな勢いでKちゃんにハグ&チュ~を繰り返しちゃって♪
あの日、Kちゃんに「大好き」と「ありがとう」を伝えられて本当に良かったです。
あっちで我々のおバカぶりを思い出しながら笑ってくれているといいな。

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。


◆青い釣り人さん◆

キクラゲもトリュフちゃんもGちゃんも私も過去に遡って「もっと頻繁に逢っていれば良かった」と後悔するんですが、それはしょうがないんですよね。
まさかこんな事になるとは誰も予想していませんでしたし、「いつでも逢える」で当たり前というか、遠くに住んでるから「何かの機会に逢えたらいいな」とサラッと思っていたんですもの。
が、しか~し、Kちゃんが入院したのなら話は別!!
“チャンスを逃すな!”をモットーに悔いのないようKちゃんに寄り添うことにしましたのです。
もちのろんでゆくゆくはKちゃんが退院して、「あの時はあーでこーで」と5人揃ってお酒を飲みつつ、笑いながら語り合えると思っていたんですよねぇ。
Kちゃんにはあっちでもう少し待っていてもらおう。

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。


◆あずたんさん◆

ご無沙汰しております!
北の大地の夏はいかがですか?

5月初めに京都で逢って、それからすぐに入院してしまって、でもこれまでのようにKちゃんは病気を克服するとずっと信じていました。
こちらで皆さんに「退院しました! ヤッター!」とご報告させて頂けるとばかり。
今回の病魔はあまりにも強く、僅かな期間でKちゃんの心と身体を蝕み、朗らかな笑顔も綺麗な顔も優しい笑顔も持ち前のガッツも何から何まで奪ってしまったんです。
本当にあっという間でした。
彼女自身とご家族、我々に残された時間があまりにも短すぎました。

Kちゃんを通じ「命」についていろいろ考えさせられました。
「今までこんなに真剣に考え事をしたことある? 私は無い!」とか、「今までこんなに思い悩んだことある? 私は無い!」とキクラゲと言い合っていたんですが、ツルッツルの脳みそをフル稼働させてがむしゃらに突っ走った2ヶ月でした。
Kちゃんのお陰で多くを学び、得たものは大きく、かけがえのないものになりました。

我々はな~んにもしてないんですよ♪
新幹線に乗ってKちゃんに逢いに行ってただけですもん。
告別式を終えて岐路に着く際に「もうこれで暫くは新横浜で降りることはないのか」と後ろ髪を引かれそうになりました。
でも大丈夫!!
Kちゃんちに遊びに行くから!!
ええ、ご主人のYちゃんに「○○ちゃん(私の下の名前)、うちに来すぎ!」と言われるほどに。

エアハグ、有難うございます!

ニャンコちゃんは今頃は「ニャホーーーーイ! た~のすぃ~!」とルンタッタと飛び跳ねていらっしゃることでしょう。
うちの先代のロン毛猫をどうぞ宜しくお願い致します。
仲良くしてやって下さい。

お仕事お疲れ様でございました。
暫くはゆっくりされて次のお仕事をされるんでしょうか?
あずたんさんが勤め上げられた14年間に拍手。

◆からっぱさん◆

ご無沙汰しております!

ケツバット喜んで~!!
ふふふっ。
メソメソD子はどうにもこうにも涙が止まらず、言い出しっぺのクセにケツバットの刑に処せられたワースト1だったと思います。

Kちゃんをはじめ、船の仲間たちはかけがえのない存在です。
これからもずっと一緒にいられると思ってましたし、いつでも逢えると思っていました。
共に婆さんになってから縁側で昆布茶を飲みながら船乗り時代のエピソードを語れるとばかり。
なので「神様、なんだよ! ケチ! もう少しKちゃんの命の時間を伸ばしてよ!」と空に向かって叫びたいです。
ま、ま、ま、己に唾がかかるので止めておきますが。

Kちゃんはきっと待っていてくれたんですよね。
我々がきちんと決別できるように待っていてくれた。
今はあちらでニコニコ笑いながら軽くなった身体で好きなことをしてくれているはず。

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。


◆fuzhiさん◆

我々が逢いに行った翌日の7月4日に亡くなりました。
以前から食べることが大好きなKちゃんだったんですが、発病してから食にこだわり、身体にいい食材を取り寄せたり調理法を工夫したりしていたんですが、5月に入院して以降はアイスクリームやゼリーやスープ、甘酒やリキュールをほんの少し口に出来ただけで後は全て鼻からのチューブのみになってしまいました。
Kちゃんの好きな京都名物をいろいろ持参して栄養を摂って欲しかったんですがもう経口からは食べられなくなってしまっていたんですよねぇ。
なので今は我慢せざるを得なかったいろんな物をいーーーーっぱい食べていて欲しいです。

Kちゃんもfuzhiさんのご親戚の方々も最期の別れをするのに待っていてくれたはず。
Kちゃん、ダンケシェ~ン!!

友人の冥福を祈って下さって有難うございました。
私は元気です♪
モリモリ飲んで食べてます!
fuzhiさんも御自愛下さいね。


◆lucyさん◆

ご主人のYちゃんから余命一週間の宣告を受けたと聞いてから両親や年配の方々に伺うと「お医者さんがそう言ってるんだから遅かれ早かれ宣告された通りになると思う」でして、でも私は俄かには信じられなかったんですよね。
病院で見たKちゃんは確かに弱っていましたがまだまだ大丈夫と思わせる何かがあったんですもん。

ご友人のお母様のお通夜の日にご友人自身もお亡くなりになったとは。

私は幸運にもKちゃんとお別れする機会を与えてもらえました。
直接「ありがとう」と「大好き」を伝えさせてくれたKちゃんに感謝です。

大野君のドラマはがっつり録画しますよ~♪
発表があった当初、ちょうどKちゃんの病気が悪い方、悪い方に向かっている最中だったのでキクラゲと「今のうちらにはキツイ! 観れへんかも・・・ 病気に打ち勝ってハッピーエンドやったらいいのにな」と話していたんです。
Kちゃんが旅立った今、少し前と気持ちが変わりつつあるので心して視聴してみようかなと。

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。lucyさんもお体御自愛下さいね。


◆chiさん◆

発病して、再発して、心も身体も辛くしんどかったと思います。
なので今は楽しかった思い出と一緒に多くの苦しみから解放されて穏やかに過ごしているでしょうね。

Kちゃんともっともっと過ごしたかったんですが悲しいことにあっと言う間に旅立ってしまったのでまたいつか逢える日を心待ちにしてます。

デネルさん おはようございます。何度もこちらを読ませていただき、Kさんの為に尽くされたそのがんばりでさぞ今お疲れがでていないかと…心配しています。
寺山修司の短歌を送ります。
音立てて墓穴ふかく
きみの棺
下ろされし時
きみ目覚めずや

空はいつもつながっています。

◆あおゆりさん◆

京都でKちゃんに会った5月から告別式の7月7日まであっと言う間に駆け抜けていきました。
Kちゃんに残された時間はまだまだあると思っていたので、アラフェスの発表がある前からチケットは必ず当たると決め付け、「行きと帰りに新横浜で降りてKちゃんに会いに行ける♪」と計画を立てていたんですよねぇ。
私、トリュフ、キクラゲの残り三人の誕生日をちょっと前倒しにして、病室でお祝いするのもいいなとも。

本当に、どうしてKちゃんがこんなにも早く逝かなければいけなかったのでしょうか。
口から飲み食いさせてあげたかった、以前からお母さんと約束していた海外旅行に行かせてあげたかった、子供達やご主人ともっと一緒に過ごさせてあげたかった、家に帰してあげたかった。
そんなに大層な願いでしょうか?
身の丈以上の願いでしょうか?
どれもささやかなものばかりのはず。
「どうしてKちゃんが」が堂々巡りしています。

亡くなられたあおゆりさんのご友人もきっと同じでしょうね。
ご冥福をお祈り申し上げます。

Kちゃんもあおゆりさんのご友人も生前は諦めなければいけなったあれこれを今は満喫してくれているに違いない。
ニコニコ笑っていると思います。


◆koharuさん◆

いつも以上に長い上に、決して明るい話題ではないエントリーに最後まで目を通して下さって恐縮です。

Kちゃんをはじめ、我々の事でご心配をおかけしました。
気に掛けて下さって本当に有難うございます。
koharuさんの思いはしかと届いております。


◆ワタルさん◆

わざわざすみません。
Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございます。

友情っつうか、アホばっかりっつうか、とにかくくだらないことでワイワイガヤガヤやっています。
そうそう、昨日だったかな?
Kちゃんのご主人が「船の仲間でおしゃべりじゃない人っているの?」つって。
失敬な!!
私は町内一の静寂っ子じゃ!!
ふふふっ。
また5人が揃ったらいろんな事を話しながら飲んで飲んで飲まれて飲んでがしたいです。

◆ぇりっぃんさん◆

Kちゃんに笑って欲しい、笑顔を届けたいとこの2ヶ月何度か神奈川に行ったんですが、一番の理由は我々がKちゃんに逢いたかったからなんですよね。
それぞれでは会ったり食事に行ったりしているんですが、5人揃って一堂に会したのは3年前のキクラゲの結婚式ぶりだったのできっとKちゃんは「YOU達、もっと絆を深めなさいよ」と仲立ちしてくれたのかと。

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。

◆Reneeさん◆

皆さんにはご心配頂いていましたし、多くの祈りやメッセージを寄せて頂いていたのでKちゃんのことをご報告させて頂きたかったのと、彼女の駆け抜けた人生を文章で残しておきたかったのとでこちらに綴らせて頂きましたがやっぱりね、思い出しながら書いていると泣けてきます。
読み直しても鼻水と涙が。
ほんでもって笑う。
特にこの2ヶ月、会う度に痩せ衰えていく彼女の姿を思い出すだけでオエオエきます。
最後にKちゃんの声を聞いたのが5月のはじめだったんですが、まさかあの時もう二度と聞くことが出来ないとは思ってもいませんでした。
またいつか「○○ちゃん(私の下の名前)、あのね」と話しかけてくれるとずっとずっと信じていたのに。

たった一週間の余命。
その日が来ないで欲しい、Kちゃんは跳ね返して元気になると願っていたんですが宣告から八日目に息を引き取ってしまいました。
大切な人たちを残して旅立ってしまわなかったKちゃんは心残りがいっぱいあったと思います。
受け入れたくはありませんが、痛みも苦しみも無いのなら向こうでゆっくり過ごすのも悪くないのかもしれません。
エーーーーーーン。

告別式でKちゃんを見送ってから2週間ほど経ちますが、日を追うごとに「この2ヶ月のことは夢の中の話なのではなかろうか?」とか、「Kちゃんは病気になんてなってなくて今も元気で家族と暮らしているのでは?」と感じる自分がいる反面、抱擁とキスをしながら「大好き」と「ありがとう」を伝えられて良かったと現実に向き合う自分がいるんです。
これで最後ではないので折に触れてまたお家にお邪魔しようと思ってます。
お線香も上げたいですし、お墓参りにも行きたいですし、Kちゃんの大好きなご家族にも会いたいですし。

またいつか我々のおバカ満載エピソードをご披露させて下さい。
ネタはてんこ盛りです♪

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。
末筆で申し訳ありません。
妹さんのお加減はいかがですか?


◆ぴょんちさん◆

Kちゃんはあまりにも早く逝ってしまいました。
辛い治療や沢山制限のある日常生活の中で病気に立ち向かったKちゃんを誇りに思います。
「僕だったら絶対諦めてたと思う。でもKちゃんはそれをしなかったんだよね」とご主人のYちゃんも言ってたんですよね。
Kちゃんに巡り合えたことに感謝します。
病気のせいで手放さざるをえなかったあれこれに挑戦していると思います。
楽しんでくれているといいな。

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。

◆なおまるさん◆

我々は帰宅した後に教えてもらったので全然知らなかったんですが、Gちゃんの誕生日サプライズをしたあの日、Kちゃんは余命一週間と宣告されてしまったんです。
病室で見たKちゃんは今まで以上にやせ細っていましたが、彼女に残された時間がまさかそれだけしか無いなんて思ってもいませんでした。
信じたくなかったです。
5月に茅ヶ崎の病院に入院した時は時間はかかるかもしれないけど皆さんに絶対「Kちゃん退院致しました!」とご報告さて頂けるものとばかり。

自分たちの気持ちを押し付けただけかもしれませんが、どうしてもKちゃんにきちんとお別れがしたかったので翌週再び病院に行きまして、ギュッと抱きしめ、キスをして「ありがとう」と「大好き」を伝えてきました。
ケツバット上等っす!!

きっとKちゃんは待っていてくれた。
我々に想いを伝える機会を与えてくれた。

遠く離れて暮らしているので普段の生活からは窺い知れなかったKちゃんのことをお通夜や告別式で知りました。
子供達のママとして父兄の皆さんと仲良くやってたんだな~とか、こんなお友達がいたんだとか。

この2ヶ月いっぱい泣いていっぱい笑いました。
Kちゃんの事が恋しくてたまりませんが、時に彼女を思い出し、やっぱり泣いて笑ってで前に進んでいこうと思います。
いろいろ気に掛けて下さり、Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。


Kちゃんのご冥福をお祈り致します。
こんなに素敵なご家族、友人、先輩にかこまれて!
Kちゃんとても素敵な方だったんでしょうね。
とても最後まで読む事が出来ませんでした。すいません。
私にも大切な娘がいます。もっともっとお子さんの成長が見たかった
だろうし!やりたい事もたくさんたくさんあったでしょうね。
何を書いてよいのかわかりませんが!Kちゃんのためにも
デネルさんには、今までと同じく!これからも楽しく過ごしていただけたらと思います。暑い日が続いていますのでお身体に気をつけて下さい。

デネルさま
そうですか。Kさんは天国へと旅立たれたのですね。
Kさんのご冥福をお祈りいたします。合掌
実は私も小学時代からの親友を癌で亡くしました。
何にも知らなくてお別れができなかったことを後悔しています。デネルさん、しっかりお別れできてよかったですね。もう会うことはできませんが、Kさんも私の親友も心の中に生き続けていますよね。きっと!

◆はるなかあさんさん◆

大変ご無沙汰しております!
Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございます。

日本丸の船内を見学されたんですね!
確か実習船でしたよね?

一度航海に出れば逃げ場はありませんし、見渡す限り海・海・海、時に台風で異常に揺れる!「船酔いは病気ではないぞよ!」、上下関係はスパルタじゃ!な世界で数ヶ月もの間、寝食を共にするので乗組員同士、特に同期生の結束はとても固かったです。
あらゆる面で厳しい世界でしたので独特の雰囲気なのかもしれません。
下船して休暇中、OLやサラリーマンになった学生時代の友達たちに会っても話が全然合わないんですよね。
ふふふっ。
でも辛いことはほんのちょっぴりで、個性豊かな先輩や同期や後輩に巡り合えましたし、毎晩酒盛りでしたし、お給料を頂けて外国に行けちゃう。
今も変わらず繋がっていられる我々は凄くラッキーだと思います。
はるなかあさんさんが仰って下さっている通り、「誰にでも得られるようなものではなく、本当に貴重なもので、本当に強く、本当に素晴らしいもの」なのかもしれません。
強烈な日々でした。
辞めずに頑張れたのはKちゃん達がいてくれたからだと思います。

お嬢様に大切な「友達」ができる日はそう遠くないかもしれませんね。

私の方こそ、久しぶりにコメントを寄せて下さり、こうして温かいメッセージを頂戴して本当に有難うございました。

◆せんちゃんさん◆

本当に、小さな子供達の行く末を傍にいて見守っていきたかったでしょうね。
彼女自身、まだまだやりたい事が沢山はったはずですし。
Kちゃんのお母さんも叔母さんもご主人もとても大らかな方々なんです。
元気なKちゃんと一緒に一堂に会して楽しくワイワイ騒ぎたかったかったです。

自分勝手な考えかもしれませんが、「また来るね」と約束しましたし、次に逢うのが永遠に目の覚めないKちゃんの姿なのがどうしても耐えられなかったので最後にきちんとお別れをしておきたかったんです。
Kちゃんが待っていてくれたのか、彼女に「ありがとう」と「大好き」を伝える事が出来ました。

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。

◆稲潤さん◆

ご無沙汰しております!
Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。
来月かはたまた再来月かにKちゃんちにお邪魔してお線香を上げさせて頂こうと思ってるんです。


◆みちのく☆小町さん◆

7月13日12:12の名無しさんの正体はみちのく☆小町さんでしかと!!
ご丁寧に知らせて下さって有難うございます♪


◆chiita-mamaさん◆

7月4日にKちゃんは旅立ってしまいました。
我々が行くのを待っていてくれたのか、亡くなる前日の3日にKちゃんに逢って「ありがとう」と「大好き」を沢山伝える事ができまして、言葉に語弊があるかもしれませんが、「えーーーい!やかましい!」とKちゃんが怒りそうな勢いでいろんな話をしてワイワイ騒いで楽しいひと時を過ごしてきました。
本当はもっともっと逢いたかったですし、一緒に飲みたかったですし、笑顔が見たかったですし、Kちゃんの声を聞きたかったです。

chiita-mamaさんのご友人もお亡くなりになったんですね。
ご冥福をお祈り申し上げます。

温かいメッセージを寄せて下さって有難うございました。
私は元気でやってます♪
飲んでます!
じゃんじゃん食べてます!!

◆i-yaさん◆

Kちゃんのご家族はもちのろんで彼方から護ってくれるでしょうが、我々同期生については「今忙しいから!ちょっと待ってて!」かもしれません。
病気になってしたくても出来ない、我慢しなければいけないことが事が沢山あったでしょうから先ずはそれらを目一杯堪能してもらって、落ち着いたら「Kちゃん!うちらのことも護ってくれ!頼む!」とお願いしようと思います。

人間いつかは必ず息絶えますが、幼い子供達とご主人と充分に過ごす時間も無く、何年も病気に苦しみ、その挙句、あっと言う間に旅立ってしまわないといけない理由があるんでしょうかねぇ。
理不尽と言いますか、「納得できねー!」と言いますか、なんか割り切れなくて。
くよくよ悲しみ悩んでいたらKちゃんが困るから止めておきます。

Kちゃんにきちんとお別れが出来たこと、我々はそれだけで幸せです。
「ありがとう」と「大好き」の押し売り大作戦でこれでもか!てな勢いでハグとキスを繰り返しながら想いを伝えてきました。
あの時Kちゃんの目がフッと変わったような気がします。
「分かってるよ♪」と。

病院で「Kちゃんの前で泣いたらケツバットな!」は私が言い出したことなんですが、言い出しっぺが最弱でございました。
ウォンウォン泣いちゃって。
トホホホッ・・・・

Kちゃんをはじめ、我々の事を気に掛けて下さって有難うございました!


◆MA34さん◆

皆さんには「お陰様でKちゃんが無事退院致しました!」とご報告させて頂きたかったんですが残念ながらそれは叶いませんでした。

駆け抜けたKちゃんの人生でした。
夢や希望の実現、子供達とご主人と過ごす時間がもっともっとあると思っていただけにあっと言う間に虹の橋を渡ってしまって。
心残りが沢山あったでしょう。

5人いれば個性がぶつかり合ったりするんでしょうけど、自分には無いものを他の4人の誰か、若しくは4人共が持っていますし、お互いの事を尊敬しているのアホ満載でもくだらなくてもワイワイやっていけるのかもしれません。
ま、ま、ま、私はいつも誰かに面倒を見てもらっているんですけれども。
特にキクラゲがね、「もーーーーー!○○ちゃん(私の下の名前)たら!」と言いながらいろいろ世話を焼いてくれるんですよね~。
有り難いこってす。
おバカ軍団をそんな風に言って下さって有難うございます。
Kちゃんの冥福も祈って頂き、重ねてお礼申し上げます。

◆7月13日12:12さんはみちのく☆小町さん◆

遅くなりましたがお誕生日おめでとうございます!
みちのく☆小町さんの○○歳がうーーーんとハッピーでありますように。
Gちゃんの誕生日と一日違いですね♪

普段深く考えず何気なく食べ物を口にしていますがKちゃんのように食べたくても食べられない人が世の中には沢山いらっしゃる。
食事にしろ、将来の事にしろ、命について、彼女を通して考えることが沢山あった2ヶ月間でして、普段あれこれ考えることをしないツルッツルの脳みそが容量オーバー気味でウンウン唸っていました。
それぞれは大きな糧になると思います。

ムシムシムンムンな京都ですが私は元気にやってます!
でも夏は苦手~。
じっと動かず秋を待つとしよう。

うちの仏壇は父方の祖父と祖母が眠っていますが、今は亡き先代の猫に対しても仏壇に向かってナムナムしておりやす。
ええ、薄毛な父が。
私もKちゃんにします!

◆るみえ~るさん◆

ありがとーーーーー!!
ブーちゃんDは元気です!!
わざわざコメントを寄せて下さって感謝カンゲキ。


◆kemeさん◆

ブログの更新が無かったのに立ち寄って下さっていたとの事、有難うございます。
皆さんにご心配頂いていたので少しでも早くこちらでご報告させて頂きたかったんですがお通夜と告別式で週末にお休みをもらったので月曜日には仕事が山積みになっていまして、鉢巻をしてえんやこりゃとしゃかりきに処理していたらあれよあれよと言う間に時が経ってしまって。

7月3日に自分の中でKちゃんにちゃんとお別れが出来たのでドーーーーーンと落ち込むことは無かったんですが、やっぱりね、Kちゃんは亡くなったんだ、もういないんだ、と分かっている反面、神奈川のおうちで家族と仲良く元気に暮らしているような気がするのとでこの2ヶ月は夢か幻か・・・な感じなんです。
心がフワフワしている感じ。
病気で苦しむKちゃんではなく元気一杯のKちゃんの姿が目の前に浮かびます。

「人の死は避けて通れない必ず訪れるものです」
kemeさんが仰ると泣ける・・・
まさかKちゃんがこんなにも早く逝くとは思ってもいませんでした。
それこそ入れ歯で煎餅をバリバリ食べながら船乗り時代の話を縁側で出来るとばかり。
もっともっと一緒に過ごせると思っていました。
何度でも笑い合えると思っていました。
kemeさんは特にそうですよね。
Kちゃんが待っていてくれたお陰で私は「ありがとう」と「大好き」が伝える事が出来ました。
ハグもキスも出来ました。
縁というのは不思議です。

Kちゃんのお母さんと叔母さん、ご主人のYちゃん曰く、妹のNちゃんはとても頑固なんだそうです。
お三方、すぐ近くに同じようなタイプの人がおりまっせ♪
お嬢さんであり姪御さんでありYOUの奥さんでっせ♪♪
ママのように強いデザイナーになった暁には服を作ってもらうよう予約をしてきました。
「Nちゃん、私にぴったりの服を作ってな!」つって。

Kちゃんは食べることが大好きだったので入院してからそれすらも侭ならず、あれもこれも食べさせてあげたい、ご飯をモリモリ食べさせてあげたいとずっと願っていたんですが叶いませんでした。
今頃は「美味しい~♪」と言いながら満喫してくれていると思います。
もちのろんで私もがっつり飲みます!
食べます!!

これからは困った時の神頼みならぬ、Kちゃん頼みで空を見上げてお願いしてみます。
「どんだけお願いするのよ!私は忙しいのよ!」と怒られそうですが。
ふふふっ。

泣いて笑って大忙しの2ヶ月でしたがこれからもKちゃんを想い、泣き笑いになるでしょうね~。
変な話、キクラゲ達と言い合っていたんですが、ラブソングを聴いてもそれが自分達とKちゃんとの物語になるんです。
重ね合わせてしまう。
で、オイオイ泣くと。
同じ歌を聴いても泣いた分、今後は少しずつ笑顔を増やしていきます。

トリュフちゃんからKちゃんに贈られたお花綺麗ですよね。
彼女そのものです。

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。

◆もこっちさん◆

まだ幼い子供達、大好きなご主人を残して逝かなければならなかったKちゃんには心残りが沢山あったと思います。
傍にいてずっと一緒にいたかったでしょうに。

おバカぶりなら町内で5本の指に入ると自負しております♪
昔から勉強は出来なかったですけど楽しむための脳みそは常にフル稼働なんですよねぇ。
へへへっ。
Kちゃんもワイワイするのが好きだったので我々が逢いに行く度に笑ってくれていました。
向こうでも笑顔の花を咲かせてくれているといいな。
もしかしたら近々Happy超!なご報告をこちらでさせて頂けるかもしれません。
実現した際には語り倒させて下さい。

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。


◆めんたいこLOVEさん◆

私も皆さんに「Kちゃんが退院致しました!」とご報告させて頂けるのを心待ちにしていたんですが、悲しい事に別のお知らせになってしまって。
本題とは関係のないエントリーにも関わらず、多くのコメントやメールを頂戴し、常に気に掛けて頂き、回復祈って頂き、温かいメッセージを寄せて頂いて、Kちゃんも我々もとても幸せ者です。
本当に有難うございます。

我々同期5人の個性はもっすごバラバラでして、ともすれば「あんたなんて嫌い!フン!」になりかねないようなキャラクター揃いなんですが深い部分で共鳴し合っていたのか今も変わらず仲良くしています。
Kちゃん、昔から天邪鬼だったんですよ。
ふふふっ。
空の上で出遭う新しい友達にもきっとそうに違いない。

私の方こそ、重ねてお礼申し上げます。
有難うございました。


◆まややさん◆

家族の皆さん、我々を見守りつつ、私はいつも飲んで飲んで飲まれて飲んでなので「飲み過ぎたらダメよ!」と目を光らせてくれているかもしれません。

トリュフちゃんが贈ってくれた花篭は亡くなる前日に届きまして、お通夜のあった7月6日、祭壇に飾って下さっていたんですが、まだまだ綺麗に咲いていました。
「トリュフちゃんの見立てに間違いなにゃい!」とばかりにヒマワリがKちゃんそのものなんですよ。

大好きなご家族と別れなければいけなかったのは本当に辛かったと思います。
それは残されたご家族も同じお気持ちでしょうね。
私達同期生もKちゃんの事がとても恋しいです。
最後に彼女の話し声を聞いたのが5月の京都だったのでそれがねぇ、エーーーーン・・・・

我々の事を気に掛けて下さって有難うございました。


◆こあらさん◆

ご家族に見守れらながら眠るように息を引き取ったそうです。
今はもう痛みも苦しみも無いんですよね。
ここ数年見ることの出来なかった元気溌溂なKちゃんがニコニコ笑っていると思います。

『智にマニアック』とは何の関係もなく、明るい話題でもないのにこうして存分に語らせて下さり、喜びも悲しみも共有して下さって私の方こそ本当に有難うございます。
こあらさんをはじめ皆様の優しさに何度もパワーを頂戴しました。

よくぞ覚えて下さっていた!!
暑いの苦手なんですよねぇ~。
マジで無理。
でも元気です!!
「夏バテってなに?」の勢いです!!


◆kazuyoさん◆

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございます。
多くの心残りがあったはずですが、辛く苦しい闘病生活、自分の意思ではどうにも出来なかった身体、食べることが大好きなのにそれが出来ない、様々な負の要因から開放され、穏やかな世界で快適に過ごしてくれていることを願って止みません。

私はな~んにもしてないんですよ♪
ただKちゃんに逢いに行ってアホ丸出しの話をしてただけですもん。
ほんでもってゴーゴー泣いてました。
ふふふっ。
kazuyoさんが仰って下さっている“男気”はゼロ以下でございやす。
ウッス!!


◆ツヨママさん◆

仰って下さっているようにKちゃんに抱擁とキス、大好きが伝えられて本当に良かったです。
どうしても直接Kちゃんに言いたくて。
そうさせてくれたKちゃんに感謝です。

Gちゃんねぇ、ほんとーーーーーに、マジで爆笑でした。
神奈川?関東?のしきたりでしょうか、ご遺族の意思なのか分かりませんが、遺骨の拾い方が京都のそれしか知らない私には初体験でして、菜箸みたいなの(すみません、正式名称が分かりません)で遺骨を広い、骨壷に入れる、この作業を二人一組でするんです。
Gちゃんは初対面の女性とバディを組んだんですが、彼女と息が合わなかったのかどうなのか「ドリフか!」な勢いでツルッと。
不謹慎極まりないのでいつものバカ笑いはなんとか抑えましたが「Gちゃん、どうしてくれよう・・・」で可笑しかったです。
さすがは我が友!!

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。


◆ざり~さん◆

「Kちゃんが無事退院しました!ご心配頂き有難うございました!」と皆さんにご報告させて頂ける日を楽しみにしていたんですが、残念ながら訃報になってしまって。
Kちゃんが入院していた時に子供達がフェルトでお守りを作りまして、中にママに宛てた手紙を入れ、封をされたのがベッドに飾られていまして、妹のNちゃんに「なぁ、なぁ、手紙になんて書いたん?」と聞いても「ナイショ♪ ママが元気になったら開けて読むの♪」と言ってたんです。
棺には開封されることの無かったお守りが入っていたので空の上で読んでいると思います。
子供達ともっともっと一緒に過ごしたかっただろうな・・・

うざいぐらいに「大好き!」と「ありがとう」とハグ&チュ~をしましたのでKちゃんは「暑苦しい! ド密着禁止!」になっているに違いない♪
我々のアホっぷりを向こうで笑ってくれていますように。
土産話とお酒を沢山抱えていつの日か再会し、大いに語り倒します。

有難うございました。


◆かっぱさん◆

心残りが沢山あったでしょうに、入院して一ヶ月程であっと言う間に旅立ってしまいました。
一日、うんにゃ、僅かな時間だけでもいいからお家に帰らせてあげたかったです。

癌は不治の病ではないし、過去の再発も持ち前のガッツで乗り越えたKちゃんだから今度も絶対大丈夫と信じて疑わなかったんですが残念ながら打ち勝てませんでした。

「Kちゃんに笑いを届けよう! 顔を見せよう!」と神奈川に通っていましたが実のところ、本当は我々がKちゃんに逢いたかったんですよね。
少しでもクスッと笑ってくれるだけで凄く嬉しくなるんです。
姿形はすっかり変わり果ててしまいましたが何度も元気な頃の笑顔が見れまして、「あ~、あの頃の笑顔と一緒でめちゃくちゃ可愛い」って。

これで終わりではありませんしね、お節介丸出しでKちゃんファミリーに関わっていこうと思っています。
うぃ、ストーカー容疑でお縄にならない程度に。
Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。


◆おおちゃん猫さん◆

そうなんです、我々の願いも虚しく7月4日に旅立ってしまいました。
ご主人から「余命一週間だと宣告された」と聞いて、どうしても私の中できちんとお別れがしたかったんです。
次に逢うのが一生目の覚めないKちゃんの姿なのが絶対イヤだったので「ありがとう」と「大好き」を伝えに病院に行ってきました。
Kちゃんの目を見ながら伝えたんですが、自分勝手な捉え方かもしれませんがKちゃんの目が「うん、分かってる」と語っているような気がしたんですよねぇ。
と書いていてまた泣けてくる・・・・
私一人では動き出すのがもっと遅くなっていたかもしれません。
後悔の嵐に苛まれていたかもしれません。
でもキクラゲやトリュフちゃんやGちゃんがいつも一緒にいてくれたので「精一杯やった」と思えます。

「また長い! いつも以上に長い!」な文章に最後までお付き合い下さり、Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。


◆ずずいさん◆

我々が逢い行った翌日の7月4日に亡くなりました。
前日に見たKちゃんはこれまで以上にうんと痩せてしまっていましたが「まだ大丈夫!」と思わせる強さがあったので、その週末の七夕の日に仕事が休みなトリュフちゃんとGちゃんが笹と短冊を持って行く予定だったんです。
それぞれの願い事を短冊に書くはずがKちゃんの棺に一緒に入れてもらう為の彼女へのメッセージになってしまいました。

我々のおバカな話に何度も笑ってくれましたし、今も空の上でニコニコしてくれていると思います。
「相変わらずよね~」なんて言いながら。
Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。

◆ちゅなさん◆

不謹慎かもしれませんが、ドラマや映画などで余命宣告をされるのって数ヶ月とか半年とか一年とかじゃないですか?
それがKちゃんの場合、たった一週間だったんです。
「絶対先生の勘違いだ!」と信じていなかったんですが先刻を受けて八日目に息を引き取ったんですよねぇ。
はぁ・・・
あの夜の大きな満月にお願いしたことは残念ながら叶いませんでしたが、いつかあちらで我々が再会した暁には実現させます。
それまでもう少しこちらでふてぶてしく前を向いて歩いて行こうと思います。

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。


◆たこさん◆

本当に残念です。
こんなに早く逝ってしまうなんて。
Kちゃんを嫌う人はま~ず、いてなかったでしょうね。
素晴らしい笑顔と心と人柄の持ち主でした。
『Beautiful days』か。
嵐さんの楽曲は全タイトルランダムで流れるように設定しているんですが、私のウォークマンはこの歌を全然チョイスしてくれないんですよ。
なので久しく聴いていないような。
じっくり聴いてみます。

Kちゃんの冥福を祈って下さっただけでなくご家族の皆さんや我々にも温かい言葉を掛けて下さって有難うございました。


デネルさん

デネルさんの素晴らしい表現力のおかげで、自分もその場にいるかのような追体験をしました。文章はいつものデネル節なのに、色々なことを感じ、考え、デネルさんの洗われたような虚脱感まで(勝手ながら)共有した気がします。不思議ですね。デネルさんにもKさんにもお会いしたことがないのに。
Kさんも今はきっと軽くなった身体で、虹の橋の向こうから笑顔で皆さんを見ていらっしゃることでしょう。
Kさんのご冥福をお祈りします。

デネルさん、おはようございます。

Kさん、あまりにも早い旅立ちに心が締め付けられてなりません。

昨年末、私の父も他界致しました。20年ほど前に他界した母の時、自分の若さ(弱さ)故に別れの瞬間が恐くて看取る事をしませんでした。大人になってからその事を後悔し、父の時は事実をしっかりと受け止め、看取る事を絶対にするんだとずっと心に決めていました。
実際、見取ることはできました。ただ、Kさんに対するデネルさんたちのお気持ちや行動を拝読する度、自分は父に対して十分なことが出来たのだろうか、もっと何かしてやれたのではなかろうかと考えさせられました。もう父たちはいないので、今後私が彼らにやれる事はお墓参り位しかないのですが・・・(^_^;)
この先、私たちが生きている上で大切な人との別れは避けたくても避けて通れない道でありますね。その様な事がまた来たときは、デネルさんたちの様に自分が出来る精一杯の事をしていこうと思います。

Kさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
デネルさん、お辛かったでありましょうに、ご報告くださいましてありがとうございます。
あちらの世界からみると、こちらの世界の時間はあっという間だとどこかで聞きました。Kさんにはちょっと待って頂いて、船乗り時代の皆様と合流したあかつきにはあちらの居酒屋とかで飲んで飲んで飲まれて飲んで、クスッとして頂きたいですね(^^) 多分私はそんなデネルさんたちをストーカーのごとく、近くの席でそば耳たてて聞いているでしょう!?

デネルさんとKさんのお話を読ませていただいてから、何をしててもずっと頭から離れませんでした。デネルさんやKさん、お友達がどれだけ辛いか考えては、ボリューム満点な胸を痛めておりました。祈ることしか出来ませんでした。悔しい。でも今、デネルさんの心は晴れ晴れなのですね。デネル節満載の告別式の様子、きっとKさんも大笑いだったはず。自己満足上等!。デネルさん、Kさん、この言葉が合っているのか分かりませんが、本当にお疲れ様でした。Kさん、これからは毎日笑って過ごしましょ。

デネルさん皆さんこんばんは。
虹の橋を渡られたKさんのご様子大事に読ませていただきました。
お身体の辛さや痛み苦しみは想像を越えるものだったと思いますが…
今、目を閉じて浮かぶのはデネルさんやお友達の皆さんに囲まれて楽しそうに微笑むKさんの姿。
デネルさんの勇気と行動力が生んだひとときの安らぎだったと思います。

心よりお悔やみ申し上げます。

デネルさん、こんばんは。

毎回心待ちにしているデネルさんのブログ。
今回ばかりはアップがなくて寂しい反面、ホッとしていましたが…。
Kさん旅立たれてしまったのですね。

なんと言葉を綴ったらいいのか悩んでる間に時間が経ってしまいました。

デネルさんの気持ちも、ご友人の気持ちもkさんにはしっかり伝わっていたと思います。
大好きとハグできちんとお別れ出来て良かったですね。

Kさんのご冥福をお祈りいたします。

デネルさん、こんばんは。

ずっと闘っていたKさん、旅立たれたんですね…。

もっとあぁしとけば良かったと思うこともあると思いますが、お別れが言えて良かったと思います。Kさんにもちゃんと伝わってると思いますよ!

素敵な仲間がいてほんとに羨ましいです。

Kさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

デネルさん 皆さん こんばんは。

デネルさん、お久しぶりです。
5月にエントリーでKさんの事を知り、
何度もコメントしようと思いましたが言葉がうまく綴れず。。。
日々空を見上げてはKさんの回復をお祈りしていました。

そして更新のタイトルを見る度にドキドキしていたのですが、
こんなにも早くこの日が来てしまうなんて。
本当に残念でなりませんが、
Kさんのご冥福を心よりお祈りさせて頂きます。

いつも私たちに嵐愛と笑いとパワー溢れる文章を届けてくれるデネルさん。
そんなデネルさんがKさんの事をこの場でお話してくれた事、
きっと迷いもあったんじゃないかって思います。
でもデネルさんがあの日から今日までこうやって全てを語ってくれた事で、
たくさんの事を気付かせて頂きました。

誰でもいつかは死ぬという事。
自分の周りの大切な人もいつかは旅立つという事。
その人達とどのようにお別れをするかという事。
毎日普通に食べ、家族や仲間と一緒に居られる自分を当たり前だと思っている自分に
喝を入れたいと思いました。

最期まで病気と闘ったKさんも、Kさんと一緒に闘って来たご家族の方も、何度もKさんに会いに行ってキス&ハグをしてお別れした皆さんも、
本当に本当にお疲れ様でした。
その検討を讃え、北の空からエアハグを送らせて頂きます。

私ゴトですが、最後の愛猫が先月28日天国に逝ってしまいました。
その日は私が14年間勤めた職場を退職した日でして、
なんだかその日まで頑張ってくれたんじゃないかなって思います。
またデネルさんの先代猫ちゃんと一緒に遊んでくれてたらいいな。

私たちはこれからもたくさんの出会いと別れを経験しなくちゃいけませんね。
その時は私もデネルさんを見習って、どんなに辛くても
ケツバット上等!!で向かい合って行きたいと思います。
デネルさん、今回もたくさんの愛と優しさをありがとうございました。

デネルさん。もうずいぶん長いこと読み逃げっぱなしで失礼していました。申し訳ありません。

さっきから止まらなくて、くっ!この鼻水めっ!けつバット一つください!
本当にあまりにも早い・・・。なんでなんでしょう。なんでこんな。運命って不条理でもあるけど、でも本当に素敵なお友達に出逢えたKさん。
心よりお悔やみを申し上げます。

ユーモアを交えながらのご報告もありがとうございます。
きっと待っていてくださったのですね。
心残りはたくさんあると思いますが、デネルさんたちが楽しく過ごせる時間を作ってくださったから。それがなにより幸せだったと、そう信じています。

Kさんのご冥福をお祈り申し上げます。虹の橋の向こうできっと笑って見ておられますね。

デネルさん、こんにちは。

Kさん、旅立たれてしまったのですね...。
大切なご家族や仲間達を残してしまう苦しい心情は計り知れませんが、今は大変だった闘病生活からの解放に一息ついて、美味しいものを食べていて欲しいです。
そして、この先はきっと空の上から皆さんのことを見守って下さるかと。
心よりご冥福をお祈り致します。

デネルさん達の思いは絶対届いているはずです。
最後の笑顔の生まれた時間は本当に素敵なひと時だったと思います。
私も、久しぶりに姉や従兄弟と揃って会いに行けた日に祖母が、海外から帰国して数日後に叔父が旅立ち、“待っていてくれた”と思える経験がありました。きっと、Kさんも待ってくれていたのだと思います。

どうぞ、デネルさんもお身体ご自愛下さい。

◆らきさん◆

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。
5月の下旬にご主人から「Kちゃんに残された時間は長くないかもしれない」と聞いてはいたものの、あまりにも早い旅立ちだったので自分の中でお別れが出来たとは言え、まだどこかで信じていない節があります。
私の最も得意なモノマネを披露したんですよ♪
皆には「全然似てない!」だの、「封印しろ!」だの言われたけど気にしな~い。
気にならな~い。
Kちゃんは笑ってくれたもん!
きっと今頃思い出し笑いしてくれてるもん!

内側からのアルコール消毒を怠らず元気に過ごしてます!
あーざっす!


◆のこのこさん◆

我々が逢いに行った翌日の7月4日に旅立ちました。
5月に誕生日を迎えて僅か2ヶ月しか生きられなくて。
7月3日もいつものように何度も笑ってくれたんですが、まさかアレが最後になるとは。
もっともーーーーーっとハグ&チューーーーー!をしておくべきでした。
て、される側のKちゃんとしては「うりゃ! 暑苦しい!」だったでしょうけれど♪

闘病生活が辛かった分、お母さんや叔母さん、ご主人と子供達に見守られながら眠るように息を引き取ったそうで、穏やかに旅立てたことがせめてもの救いです。

私が一番泣いてまして、ケツバットの回数は4人の中で最多だと思います。
Kちゃんを見たらどうにもこうにもなんです。
ゴーーーーーーッ。

彼女の冥福を祈って下さって有難うございました。

◆アルタイルさん◆

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございます。

お通夜も告別式も「あつっ!」なまでに快晴でKちゃんはいつでも晴れ女なんですよ。
前回のエントリーでアルタイルさんから頂いていたコメントだったでしょうか、私も同じことを考えていた事がありまして、日程が発表になる前からアラフェスのチケットが当たると決めつけ、国立の行き帰りに神奈川で降りてKちゃんに会いに行く気マンマンだったんです。
「こんなのいらないわ~」なんて言われるだろうけど大野君のうちわなんぞお土産に持って行こうなんてねぇ。
「Kちゃんはまだ大丈夫!」と強く念じていたんですが残念ながらそれは叶いませんでした。

いろいろ気に掛けて下さって有難うございました!

◆智穂さん◆

7月4日に旅立ちました。
アメリカでは独立記念日じゃないですか?
キクラゲが「7月4日はKちゃんがこの世界から独立した記念日なのよ!」と言ってました。
何年も辛い闘病生活を送り、再発を繰り返し、辛く苦しい日々を過ごしていたKちゃんだったので今頃は鼻歌なんて歌いながらルンタッタしていると思います。
ま、ま、ま、彼女は私と違ってレディなのでルンタッタはしないでしょうけど♪
最後の最後にKちゃんに「ありがとう」と「大好き」を伝える事が出来て本当に良かったです。
抱擁とキスも。
あの日は看護師さん達にお風呂に入れてもらえると叔母さんが仰ってまして、我々からのおでことほっぺへの度重なるブッチューーーーー!攻撃に「Kちゃん、うちらのバイ菌がいっぱいついてるからおでことほっぺたは念入りに洗ってもらってや!」と言っておいとましたんですよ。
グゴゴゴゴゴーーーーッ。

Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。


◆白文鳥さん◆

Kちゃんの為に泣いて下さって有難うございました。
5月の入院から亡くなるまでがあっと言う間で、あまりにも早すぎましたね。
自分なりにKちゃんにきちんとお別れが出来ましたし、お通夜も告別式も参列しましたし、一週間前は「もうKちゃんはいないのか」と実感があったんですけれど、日が経つにつれな~んか夢の中の話のような気がしてならないんですよ。
本当は病気なんてしてなくて今も元気に神奈川にいそうな気すらしますもん。
はぁ・・・
何気ない時にKちゃんを思い出して悲しくなりますがそれ以外は元気っす!!
爆笑してます!!
有難うございました。


◆すのんさん◆

船乗り時代から私はずっとおちゃらけていてアホなことばっかりしてまして、それは時を経た今も全然変わってないんですね、病院でもずっとKちゃんにおバカ満載で話してたんですよねぇ。
ここ数年、5人が揃うというのが無かったのでKちゃんのお陰で何度も逢うことができました。

そうなんです、4日に亡くなりました。
6日のお通夜と7日の告別式に参列する為に再び神奈川に行った次第でして。
本当に最後のお別れをしに行ってたんです。
いつの日か皆さんには「Kちゃんが退院しました!」とご報告させて頂きたかったんですが残念ながら・・・

Kちゃんの回復を願って月に祈って下さって本当に有難うございました。
すのんさんをはじめ皆さんから寄せて下さった温かいお気持ちを胸にいつもKちゃんに会いに行ってました。
彼女に届いているはず。


◆あまざけさん◆

これからもっともっと逢いたかったんですが、ご家族や我々の願いも虚しくKちゃんは宣告を受けて八日目に旅立ちました。
この2ヶ月で私達の流した涙はいかほどばかり?
大爆笑回数はHow many?
沢山泣いて沢山笑って、Kちゃんをギュッと抱きしめてキスして「大好き」と「ありがとう」を伝えることができたことに感謝です。
Kちゃん的には「もー!暑苦しい!ちょっと静かにしてよ!フフフッ♪」に違いない。
我々の事を思い出し、空の下で繰り広げているアホ満載のエピソードにあちらでニコニコ笑ってくれているといいな~。
嗚呼、Kちゃんの笑顔と笑い声が恋しいです・・・

いろいろ気に掛けて下さって有難うございました。


◆サオさん◆

5月に入院した際に「Yちゃんも言いたくないやろうし、私も聞くのを凄く躊躇うんやけど、Kちゃんに残された時間は限られてるの? うちらは心の準備をしなあかんの?」ってご主人に尋ねたら「年単位での約束はできないと先生は言ってる」と聞きまして、その時でもかなりショックを受けたんですが、緩和ケア病棟で余命一週間だと宣告されたと聞いた時は愕然としました。
数時間前にKちゃんの笑顔を見たところだっただけに余計に信じられなくて。
あまりにも早く逝っちゃって。

我々のおバカな話と「大好き」と「ありがとう」の想いがKちゃんに伝わっていますように。
この時にKちゃんにモノマネを披露したんですよ♪
キクラゲとGちゃんは「マジで似てない!」と吠えてましたがKちゃんには激ウケでしたね、きっと。
目が大爆笑でしたもん。
でももしかしたら人はアレを失笑と言うのかも・・・・
Kちゃんに温かいメッセージを寄せて下さり、冥福を祈って下さって有難うございました。

◆miyouさん◆

ご丁寧に有難うございます。
続きの文章をしかと拝読させて頂きました!

Kちゃんが逝ってしまっても私の人生は続いている。
彼女を思い出して時に泣き、時に笑い、笑顔笑顔で進んでいこうと思います。


◆miyouさん◆

我々が逢いに行った翌日の7/4にKちゃんは旅立ってしまいました。
もしも天命というのがあるのなら、Kちゃんがこんなにも早く家族を残して逝かねばならない大切な理由があったんでしょうかねぇ。
もっともっと一緒にいさせてあげたかったです。

病院に行くとご家族のどなたかがいつもいらっしゃったので一度だけ我々4人だけにして頂きまして、Kちゃんに「ありがとう」と「大好き」を伝えてきました。
いや~、もっすご泣きました!!
どうにもこうにも悲しくて辛くてKちゃんとまだお別れしたくなくてゴーゴー泣いてしまいました。
爆裂にブサイクだったに違いない。
自己満足も甚だしいんですけれど、Kちゃんに直接サヨナラをする機会を与えてもらえて私達は幸せでした。
抱きしめることができ、キスすることができて本当に嬉しかったです。
と、お返事を書きながらあの日の事を思い出したら泣き虫D子はオイオイ泣けてくるのです。
Kちゃんの冥福を祈って下さって有難うございました。

miyouさんの亡くなられたお母様も今頃はあちらで微笑みながらご家族の皆さんを見守られていらっしゃるでしょうね。

◆まりこさん◆

ポチッと送信して頂いた際に不具合が生じましたでしょうか?
お手数をお掛けしました。

◆まりこさん◆

最後にKちゃんの声が聞けたのが5月の初旬に京都で会った時なんです。
茅ヶ崎の病院では喉に装置をつけたら話せるようになると聞いていたので「ヤッター!またKちゃんの声が聞ける!」と思っていたんですが、病の進行があまりにも早くて入院から僅かな日数で逝ってしまって。
まりこさんのご友人も亡くなってしまわれたんですね。

Kちゃんは今頃まりこさんのご友人とあちらで逢っているかも。
ニコニコ笑っているだろうな~。
温かいメッセージを寄せて下さって有難うございました。


◆とまとさん◆

ご無沙汰しております。
5月末に入院して、それから僅かな期間であっと言う間に逝ってしまいました。
まだまだ逢いに行くつもりでいたんですが、余命宣告を受けて本当に一週間で亡くなってしまうなんて。
癌は不治の病ではない、Kちゃんは良くなると信じていただけにオヨヨヨヨ・・・
温かいメッセージを寄せて下さって有難うございました。
私は元気です!

とまとさんは大切な方をお二人も亡くされたんですね。
お二人のご冥福をお祈り致します。

デネルさん…大切な大切なお仲間のうちのお一人がとうとう旅立ってしまわれたんですね…何とお言葉をおかけしてよいか…ただ、私も20年程前、20代半ばである日突然大切な仲間を亡くし、しばし茫然自失し自分を取り戻すまで1ヶ月以上かかりました。彼の病気療養中のお母様の訃報を受け、お通夜のお手伝いに駆けつける準備をしていたら、先に斎場に到着した友人から「大変!…本人『も』亡くなった…」…半信半疑で駆けつけるとそこには黒枠の写真が二枚並べて飾ってあり…彼の直接の原因は交通事故でしたが、20年経った未だに真相は誰にも解らないままで…ゴメンナサイ、私事が長くなりました。ただ言えるのは、Kちゃんさんもデネルさん達も、本当に沢山の愛を実感する、短いけどとても濃い時間を持てた…のでは…この点は寧ろ羨ましいくらいです(言葉が不適切でしたらお詫び致します…)。うまくお伝えできず申し訳ありませんが、できる最善の行動をとられたのですね…。(…この夏の大野君のドラマのテーマがもう…デネルさんの為にあるのでは…)言葉足らずで申し訳ありません。まだまだこれからが暑さ本番ですが、どうぞご自愛下さいますよう…改めましてご友人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

デネルさん、こんばんは。
Kちゃんさんが虹の橋を渡り、旅立たれたとのこと、残念な気持ちでいっぱいです。しかし今は、苦しい戦いから開放され穏やかな時間を過ごされていることを願います。
Kちゃんさんとデネルさんたちの関わりが深い絆で結ばれていらしたんだなぁと、今までのやりとりを読ませていただき感じました。
きっとKちゃんさんはご家族やデネルさんを始めご友人の皆様のことを優しく見守ってくださることでしょうね。

デネルさん、こんにちは。

Kちゃん、旅立たれたとのこと、本当に残念でなりません。この長いデネルさんの思いの積もった文章を何度も繰り返し読んで、涙が止まりませんでした。
私の友人も、昨年癌に倒れ、若くして旅立たれました。自分も癌の再発に苦しみながらも、同じように苦しんでいる方たちのために最後まで尽力された、強く優しい人でした。神様は何故そんなに頑張っている人を早く連れていってしまうのか、と恨めしく思ったものです。私も亡くなられる一月前にお見舞いに行っていたのですが、そんなに早くに逝ってしまうなんて思いもせず、もう一度会いに行けばよかったと悔やみました。
デネルさんやお仲間の皆さんのお気持ちは、絶対にKちゃんに伝わって、その暖かい思いを胸いっぱいに抱いて、虹の橋を渡られたんですね。Kちゃんが橋の向こうで、心穏やかに過ごされていますように、そして、デネルさんやお仲間の皆さん、ご家族の方々が、元気で笑顔を取り戻されますように。
心よりご冥福お祈りいたします。

こんなに早く…
涙をこらえきれません‥

デネルサン kサンのそして皆さん‥それぞれの思いそこに少しでも私の思いも届いてたらいいなと思ってます。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。


デネル様、やはりなんてコメントしたらいいのか、わからなくて。でも、何か伝えたい。そんな思いでいっぱいです。

Kさんのご冥福をお祈りします。
皆さんがコメントされているように、デネルさん達の友情に感動しました。
Kさんもそんな友達や、やさしいだんな様、お子様にかこまれ、幸せですね。
一生懸命頑張ってきたKさん、天国でゆっくりして、また、だんな様やお子様、デネルさん達の守護天使になって見守ってくださいね

デネルさん皆さんこんにちは

涙と鼻水が止まりません
空を見上げてしまいますね
姿は見えなくても心は繋がっている
気持ちも伝わっていると私も思います

Kさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます

綴られた文を読んでいたら涙が止まらず…デネルさんもKさんとの思い出をしたためながら色々な事を思い出して、きっと辛くなってしまった事と思います。でもこうしてお知らせしてくださった事に感謝します。

とにかく絶対Kさんがお家に帰れますように、とそれだけを必死に祈りながら読んでいた前回のエントリーから、数日後には旅立たれていたなんて…この世に残していかねばならない大切な人達や志がたくさんあって勿論心残りだった事と思いますが、病と精一杯闘ってこられたKさんは、与えられた1回限りの生を大切に、そして責任をもって完全燃焼させたと思います。

何度も会いにいって涙をこらえながら面白いお話をしてKさんを笑わせたり、たくさんのハグやキスをして寄り添ったデネルさんも、最後までKさんの尊い生を大切に見つめて、同じく完全燃焼したと私は思います。

又、ここでKさんの思い出話を聞かせて頂けたら嬉しいです。船乗り時代のKさんとデネルさん達お仲間のお話とか、いつの日か是非。 

心から哀悼の意を表しますとともに、御霊の安らかなることをお祈り申し上げます。

デネルさん、やっぱり辛すぎますね。
でも、不謹慎かもしれませんが、デネルさんのブログを呼んで、“ちゃんと生きてちゃんと死ぬ”という事をKさんから教わったような気がしました。
本当に素敵な家族や仲間に囲まれて、Kさんは最期まで幸せだったに違いありません。
Kさんのご家族も、Kさんにデネルさん達のような素敵なお友達がいた事が何より心強く、嬉しかったと思います。

本当に早すぎますね…
Kさんのご冥福を心より祈っています。

デネルさん、皆さんこんばんは。
夜分遅くにごめんなさい。
Gさんへのお誕生日サプライズのお話の後、またKさんに会いに行かれるとの事でしたので、そのお土産話もまた聞かせてくれたら、ここ数日猛暑続きだったので、暑中お見舞いのコメントなど送ろうと思っていました

この先ずうっとそんな形でデネルさんやお友達、Kさんや御家族にエールを送り続けていけるものだと思っていました

こんなに早くに虹の橋を渡っていってしまわれるとは…
夜、関ジャニさんのバラエティー番組で、ドリカムさんの「やさしいキスをして」が流れてきて、なんだか、タイトルとリンクしてしまい、号泣してしまいました
私にもケツバットよろしくお願いします

Kさんはデネルさん達を待っていてくれたんですよ。ちゃんと「大好き」も「ありがとう」も伝えられて本当によかったなと思います。
残された御家族やデネルさん達の悲しみは計り知れないけれども、Kさんの魂はKさんのアイデアがいっぱいつまった素敵なおうちで、皆さんを見守ってくれていると思います。

私事ですが、娘の葬儀の後、「お葬式」って、故人の為だけではなく、残された者達の為でもある儀式だなと強く感じました。
そして、よく言う胸の辺りをさして「ここに居る」という意味がわかった気がしました
Kさんも御家族やデネルさん達の「ここ」に居ますよきっと、こちらにコメントされている皆さんの「ここ」にもね。

長々と書いてしまってごめんなさいm(__)m
デネルさん、お返事は本当にご無用ですよ!!
今はいっぱい泣いて下さい。
Kさんのご冥福を心よりお祈りいたします。

甚だ勝手ながら、Kさんのご冥福をお祈りさせていただきます。


(デネルさんのブログを、ずっと拝読しておりました。コメントは、こちらの休止宣言以来で、申し訳ございません。)


Kさんのご病気の事を拝読してから、コメントを寄せたく思っておりましたが、思うに任せられず、ようやく時間の隙間を得て訪問した今日、昨日のエントリーを拝読して後悔しております。


今さらでございますが、「船乗り仲間」の皆様に、素晴らしい絆を拝見させていただいたお礼を申し上げたくコメントさせていただきます。

6月初めに、横浜の日本丸の中を見学する機会がありました。
初めて入った客船の中は、工夫されていても閉塞感が有り、ここを職場とする方々のお気持ちが偲ばれました。
勿論、船によって違うのでしょうが、櫻井さんも近日公開の映画の撮影では、閉塞感があったことを仰っしゃっていらしたので、やはり地上と異なる空気感は有ると考えます。

そこで共に戦われた皆様には、強い強い絆が培われたのでしょう。
それは、誰にでも得られるようなものではなく、本当に貴重なもので、本当に強く、本当に素晴らしいものだと思います。
今回、その絆を垣間見させていただき、感動いたしました。


小3の娘が、幼稚園時代の「おともだち(同年代のこども全員を指す)」と、相手を個別認識した「友達」との違いを私に尋ねました。
私は、「一緒に協力して何かをやって、お互いに信頼できるようになった人が友達」と答えました。
それが真の意味の友達だと思いますし、滅多に得られないと思っております。
嵐以外に、そんな絆を拝見したのは初めてです。


素晴らしい5人組さま、永遠なれ。
ありがとうございました。

デネルさんへ…

Kさん、虹の橋を渡られたんですね。

こちらでKさんのご様子を読ませて頂く度、なんとコメントすればいいのか言葉がみつからず、ただ祈る事しかできませんでした。

やりたい事が沢山あったでしょう…
幼い2人のお子様の成長を、未来を、しっかり見届けたかったでしょう…

そんな事を思うと、涙が止まりません。

でも、ご家族やお友達と最期の時間をゆっくり過ごせて、Kさんはきっときっと喜んでおられたと思います。

デネルさんとお友達が、Kさんに大好きな気持ちを伝える事ができて本当に良かった。

Kさんのご冥福を心よりお祈り申しあげます。

Kさんの、ご冥福をお祈りします。

うっかりしていました…m(_ _)m

7月13日12:12の名無しは私でした。

Kさん、旅立たれてしまわれたのですね。
涙が止まりません。
皆さんからこんなにも愛されたKさんは幸せ
だったと思います。
最期に気持ちを伝えられて本当によかったですね。
友情、強い絆に心を打たれました。

先日、知り合いの方がくも膜下出血で急逝されました。
一番下のお子さんはまだ3歳…。
突然の事だったので、ご本人が一番びっくりされて
いる事でしょう。残されたご家族の事を思うと
気の毒でなりません。

Kさんは慈愛に満ちた人生を送られて、天国で
微笑んでおられるでしょうね。ご冥福をお祈り
致します。
お子さんたちの幸せも願ってやみません。

デネルさんも本当によく頑張りましたね。
お辛いと思いますが、気落ちなさらずお身体も
くれぐれもお大事にしてくださいね。

デネルさん、なんとお声をおかけすればよいか…。

Kさんは、Kさんのご主人やお子さんたち、お母さまや親戚の方々、お友達、先輩、みんなに愛されてきたし、これからもみんなの中にずーっと生き続けているし、彼方から護ってくれますよ。

生まれた瞬間から死に向かって進み続ける事は、この世の決まり事の一つです。私たちにはそれを止める術はないけれど、後悔が一つも残らずこの世を去ることはきっとできないけれど、それでも、最後の息を吐き出すときに自分が「幸せな一生だった」って思えるように生きていきたいと、よく思います。後に遺していけるのは、モノではなく、記憶と気持ちです。愛する人たちの心の中に生き続けて、思い出してもらえれば、私は嬉しいな、って。

デネルさんたちが、Kさんに気持ちを伝える事ができたのは、デネルさんたちにとってもKさんにとっても意味がある事だったはずです。きっと、照れたり惜しんでる時間はもったいないんですよね。「大好きだよ」って伝える事って大事。(ウザがられても、子供に毎日言っているオカン→私。)Kさんもデネルさんたちの事、同じように想っています、これからもずーっと。

Kさんは痛みのない世界でデネルさんたちを待ってます。
いつかKさんと再会した時にお土産話が沢山できるように、これからも素敵なお友達と楽しい思い出を作っていってくださいね。

最後に…。
ケツバット、上等です。一発じゃ足りないわー。明日、また目が腫れてまうわ。

デネルさん こんにちは
ついにその日が来てしまったんですね。
Kさんはデネルさん達に本当に愛されて幸せな時間を
すごされたと思います。
嵐の5人の仲良しわちゃわちゃ感が好きなのですが、
デネルさんのブログを読むと、お友達に対する感じがそれに通じるものがあり、いつも愛情とユーモアと優しさに溢れていて、お邪魔するのが楽しみでした。
Kさんの旅立ちという切ない内容であるのに、今回もまたデネルさんの深い愛情と優しい思いやりを感じます。
私なんかの祈りでも力になれば…とコメントを書く勇気をくれたKさん ありがとうございました。
Kさんのご冥福を心からお祈りしています。

デネルさん、こんにちは

7月4日は実は私の誕生日であり、Kさんに(勝手に)ご縁を感じてしまいました。365(時に366)日、いつも誰かが生まれた日であり、虹の橋を渡った日でもあるんですよね。

Kさんの記事がエントリーされるようになってから、「食べることは生きること」という言葉をより考えるようになりました

猛暑日が連続したり、大雨になったりとなかなか体に負担がかかる時期ですし、心は目に見えないけれど大きなダメージを受けていたりしますので無理なさいませんように

P.S.自宅のお仏壇に毎朝、ご飯とお水をお供えするのが幼少期からの習慣でしたが、お仏壇は自分のご先祖様の他に虹の橋を渡った人と心でつながるどこでもドアと考えています。Kさんにきっとお気持ちが伝わると思います。

Kさん、デネルさん、みなさんが安らかなることを、祈っています。

おはようございます。
ここ一週間近くデネルさんの心境を考えるととても辛くて少しは元気になれたかな?と、思いつつ毎日こちらを覗かせていただいていました。
昨日も昼間覗いた時にはブログの更新がなっていなかったので、まだ時間は必要かも…と思っていて今朝覗いたらデネルさんの書き綴られた言葉を見て、とても辛いけど乗り越える事ができた、話せる事ができるようになったこと不謹慎ですが、嬉しく感じました。

人の死は避けて通れない必ず訪れるものです。

お別れの挨拶ができたことが何よりだったと思います。
抱きしめて「ありがとう」「大好き」を伝えられたことが本当に心からよかったと思いました。

デネルさん達が会いに来てくれるのをきっと待っていたのです。
最後にちゃんとお別れをしたかったのだと思うのです。
家族に見守られ、デネルさんたちともお別れをして、旅立たれたのですね。

短冊に書かれた娘さんの【「ママみたいな強いデザイナーになりたい」】この言葉が母として、子供に最高のものを残してくれたのだと思います。
こんな言葉言われたホント、嬉しいと思います。
きっと、息子さんにも素敵なママでいることでしょう…

Kさんはとても優しく、明るく、面倒みのいい方だったのですね。
周りの方々の優しさが全てを物語っている気がします。

これから先はデネルさんは見て、食べて、飲んで、楽しんで、そして悲しい時も二人分の人生を送ってください。
あっ、飲んでは今現在でも二人分では足りないですね(^-^;
きっとKさんはお空から見てますよ。
困難がくればちゃんとバックアップしてくれますよ。
そんな不思議な経験もすると思います。

時折いろんな場面において思い出すことがあることでしょう。
でも、そんな時泣きたい時は思い切り泣いて、微笑みたい時は場所考えないで微笑んでください。
怪しい人物になってしまってもいいんです!
私はよく、通勤の電車の中で思い出して泣きそうになり何度も涙をこらえてしまうことがあります。
電車に乗ってる間はいつもマスク着用してるので、あまりわからないと思うのですが、涙がでてくると、バックから目薬をだして、さしてしまってごまかしてます…
本当になにがきっかけでそうなるのかわからないのですが、突然襲ってきますから…
デネルさんも涙も鼻水もダァーダァー流してください。


そして最後に

Kさん。安らかにおやすみください。

ご冥福を心よりお祈りいたします。

PS
あの黄色いお花。やっぱり素敵です。
花びらがピンとすくっとしていて、とても真っ直ぐな気持ちが心に伝わってきます。

デネルさんおはようございます。
Kちゃんさん旅立たれてしまわれたのですね。
ご家族や小さいお子さん、お友達を残してという無念さを考えると、言葉になりません。

デネルさんの周りのお友達は本当に温かくて、強くて、ユーモアに溢れていて、素敵な友情だなといつも感じております。
5人の友情はこれからもずっとずっとですね。

Kちゃんさんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

デネル様

この数週間、毎日お部屋におじゃましては、更新がなくて、ほっとしてましたが、こんなに早く、この日を迎えるとは思っていませんでした。
朝からどんな言葉をかければいいのか分からず、考えている間に遅くなってすみません。

Kさんを全く知らないのに、ただ悲しくて悲しくて、寂しい気持ちでいっぱいです。

デネル様の言葉を通して、Kさんや、そこに集まるキノコの名前を持つ楽しい仲間たち、Kさんのご家族の様子が、本当に、よ~く手に取るように分かりました。
デネル様を通して、Kさんのことを見てたような気がします。
私も、もっともっと家族や友人を大切にしなきゃなって思いました。デネル様、いつも大事なことに気づかせてくださって、ありがとう。

Kさんのご冥福を心よりお祈りいたします。

Kちゃんさん、虹の向こうへ旅立たれたのですね。きっとそこは、Over The Rainbowの歌詞のように、夢の国。皆さんを見守って下さっているのでしょうね。

トリュフさんが贈られた花、Kちゃんさんが、太陽のような温かくてキラキラした素敵な笑顔の方なのがわかります。

優しい旦那さま、まだ小さなお子様たち、お母様…そしてかけがえのない絆で結ばれているデネルさんをはじめとしたご友人たち…。お別れされるのは無念だったでしょうね…。涙なくしては読めませんでした。
でも、たくさんの笑顔の想い出ができたのですね。

本当に…言葉にならなくて…こんなことしか伝えられませんが…。

Kちゃんさんのご家族のみなさまやデネルさん、キクラゲさん、トリュフさん、Gちゃんさん、先輩方…どうかお体を大切になさって下さい。

デネルさん、こんにちは。Kさんはたくさんの愛情と共に旅立たれたのですね。そして、周囲の方々にそれ以上の愛を残してくださったのですね。
心よりお悔やみを申し上げます。そして、大切なお友達のことを話してくださって、ありがとうございます。寂しくなりますねぇ。

暑さに弱いデネルさん、どうぞご自愛ください。ヘタっていると、Kさんに笑われちゃいますからね。

心よりお悔やみ申し上げます・・・。

そしてKさんが虹の橋を渡って空へ旅立たれゆっくりお休みされますようお祈りいたします。

デネル様もご友人の方々も本当にお疲れ様でした。とても素敵なご関係で羨ましくまた清清しく読ませていただきました。ありがとうございました。

またどんな時も、デネル様がデネル様らしくて・・・やっぱり男気が、お有りになる方だなと・・・(失礼)確信いたしました。

デネルさん、大変でしたね。お疲れ様でした。素敵な抱擁とキス出来て、大好きを伝えられて良かったですね。デネルさんの長い文章を、涙流しながら読んでいて、Gさんのある行動の時、思わずクスリっと笑ってしまいました。さすがデネルさんのお友達(失礼!)デネルさんの周りの人たちは本当に優しいですね。デネルさんのお人柄だと思います。Kちゃんさん、苦しかったでしょうに本当によく頑張ってくれましたね。ご冥福をお祈りします。

デネルさんの更新は毎回楽しみにしていましたが、
この記事は、もっとずっとずっと後であって欲しいと願っていました。
私にも子供がおりまして、我が子の成長を見届けられないまま旅立たなければならないKちゃんさんの気持ちを思うと、本当に切ない気持ちでいっぱいです。
だけど、デネルさんやお友達の皆さん達との強い絆、繋がりが羨ましくなる位にステキで…
上手く言葉にする事が出来なくて失礼になってしまっていたら本当にすみません。
Kちゃんさん、皆さんからの大好きの気持ちを沢山抱えて、ご家族やデネルさんを見ながら、美味しい梅酒呑みながら、笑顔でいらっしゃると良いなぁと思います。
安らかにお休みください。
デネルさんも、Kちゃんさんを思い出しながら、ゆっくりなさって下さいね。
そして、次にKちゃんさんにお会いした時に沢山のエピソードを披露しなくちゃですね。

Kちゃんさんお空に旅立たれていたのですね、お若いでしょうに、なんて無念でしょうか、涙が溢れてきます。
ほんとに何を書いていいのか言葉がわかりません。
苦しい辛い闘病生活の中でデネルさんはじめ、ご友人の支え、励ましが心強かったことでしょうね。デネルさんもよく頑張られましたですね。お別れは胸を引き裂くようにお辛かったかと思いますが、何度もお顔を出して笑かしてあげよう、ってなさって、頭が下がります。
Kちゃんさんの旦那様や、まだまだ小さいお子様。お母様達の寂しさもいかばかりと存じ上げます。
Kちゃんさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌。

デネルさん こんばんは

kさん、虹の橋を渡られたんですね。
かける言葉がみつかりませんが、最後まで、お互い悔いのないお別れが出来て、本当に良かったです。
本当に仲が良かったとしても、ここまで最後を共に過ごせる親友は仲々、いませんよ。皆さんの絆の強さを感じました。
kさんも素敵な方だったのですね。彼方の世界でも、皆さんをクスッと笑いながら見守っていらっしゃることでしょう笑

お辛い中、お話して頂きありがとうございました。
kさんのご冥福を御祈り申し上げます。

デネルさん こんばんは

Kさん、旅立たれたんですね。
本当になんて書いていいのか言葉が見つかりません。。。

でも、楽しい友人達と優しいご家族が見守る中で過ごした日々はKさんにとっても素敵な楽しい日々だったと思います。

Kさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

こんばんは
Kさん 旅立っていかれたのですね。
お若いからなのでしょうか?早かったですね 
一番最初 ここでお話を伺ってから、それでも旅立たれるのは まだまだ先だって思っていたので、言葉が見つかりません。
これ以上に無いお友達想いのデネルさん達のお陰でKさんは濃ゆく幸せな時を過ごせたのじゃないでしょうか。
今は もう天国にいらっしゃる頃でしょうか?お空の上で デネルさんやお友達の皆さん、ご家族の皆さんの事を見守っていらっしゃる事と思います。
今世では「おばあちゃんになって、縁側でお茶を飲みながらワイワイ!」っていうのは叶わなかったですけど、どうか来世で 実ります様に!

Kさんのご冥福をお祈り申し上げます。

デネルさん、こんばんは。
とても残念でたまりません。
Kちゃんさんの無念を思うと涙が止まらない。
思うに、Kちゃんさんはとても素敵な方で、とても素晴らしい人生を送って来られたんですね。
デネルさんやデネルさんの周りの方々がそれを証明していますね。
私は父、祖母、妹と続けて亡くした後、嵐さんのbeautiful daysを聞いて凄く助けられました。
今は聞ける状態ではないかもしれませんが、Kちゃんさんの周りの方々に、いつか聞いて欲しい。(私も年が経ってから効きました)

最後に、ご冥福とKちゃんさんのご家族、デネルさん始めご友人方にありったけの敬意を!

デネルさん、こんにちは。

Kさんのご冥福、心よりお祈り申し上げます。
いまだこちらで命を与えられていることの奇跡を感じます。
大好きなお友達や家族に見守られて、Kさんのこの世での最後の時は幸せだったと思いますよ。

暑い日が続きますがデネルさんもお身体お大事に!

デネルさんこんにちは。


Kさん、旅立たれたのですね。。。
あまりにも早い旅立ちに…なんと申し上げていいのか。言葉が見つからないです。

でも、Kさんが素敵なご家族・ご友人に囲まれて素晴らしい時間を過ごされたのは間違いないと思います。

泣いてもいいじゃないですか!
ケツバットなんてクソくらえですよ!
私にも一発いれてもらっていいですか!
「涙には勝てない」by相葉


Kさんのご冥福をお祈りしております。

デネル様、こんにちは。
何をどう書いたらいいのか…。
まずはお友達Kさんのご冥福を心よりお祈り致します。
そしてご家族の皆様の幸せも願っております。

お通夜の6日は関東地方の梅雨明け発表のあった日ですね。
きっとキレイな夏空からお通夜と告別式での皆さんの様子を笑って御覧になっていたんだと思います。
最後まで頑張ったKさんに拍手。
最後まで笑っていようとしたデネルさん始め周囲の皆様に拍手。
お疲れ様でした!

 デネルさん、こんにちわ。kさん、虹の橋を渡られたのですね。長い間治療を頑張ってこられたのですものね。本当にお疲れさまでした。今は空から。愛するご家族やすばらしいお仲間のことを、優しい笑顔で見ているんだろうとおもいます。皆さんが、そして、デネルさんが、残された時間を精一杯過ごせたことは、素敵な思い出となってこれからの自分を助けてくれることもあるでしょう。いつかまた会える日まで。 デネルさんもお疲れ様でした。    kさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

デネルさん こんにちは
kさん 旅立たれたのですね。
もう 読んでいて 涙が止まりませんでした。
会いにいって あげれて本当に良かった。
kさんに 笑顔が戻って良かった。
 
残った ご家族を思って 涙がまた止まりません。

kさんのご冥福をお祈りします。
空の上から いつも見守ってくださいますように。

デネルさん 悲しい中伝えてくださり ありがとうございます。
笑顔が皆さんに戻りますように  
kさんに 合掌

デネルさんへ  
たくさん、たくさん頑張られましたね
デネルさんやお仲間の気持ち、間違いなくKさんへ伝わっていたと
思います  私もそう信じます
Kさんのご家族も、本当に心強く、嬉しかったことと思います

七夕の日にはお別れに行かれていた…
6日に会いに行かれると言われていたのに、その後のお話がないので…もしや?いやいやそんなことを考えちゃいけないと思いながら…
それこそ、あれから夜空や空を見上げることが多くなり
KさんやKさんのお子さん達のこと、もちろん自分の周りの人のことも思って過ごしていました
上手くは言えませんが、今日のこの涙を忘れないで、
いろんなことを大切にしていきますね 

こちらに残してくださり、ありがとうございます
Kさんの御冥福を心よりお祈りいたします

デネルさん おはようございます。
Kさん、天国に逝かれたのですね。
早朝から涙が止まりません。
デネルさんとお仲間の温かい 大好き!!が伝わってきました。 これからのKさん御家族にとってデネルさん達お仲間と一緒にいるKさんを想い出す時ホントにやさしい気持ちになって自然と笑顔になると思います。もちろん天国のKさんもね。 (爆笑かも)
皆さんが早く元気になりますように。

デネルさん おはようございます

Kさん 旅立たれたのですね。涙が溢れてしょうがないです。デネルさんたちの思い、ご家族の思いに…

デネルさんたちの「大好き」がKさんにまるっと伝わって、「私って、しあわせもん」ってふわっと心が軽くなったんじゃないかなぁと読ませてもらって感じました。
私もちゃんと生きよう。ふんどし締めなおそう。と思いました。

Kさん こちらを通してあなたを知ることができました。自分を見つめなおすきっかけを与えてくださってありがとうございました。

ご冥福をお祈り申し上げます。

デネルさん 再びこんばんは。

先ほど投稿したコメントが途切れてしまっていました、すみません。続きをもう一度…

デネルさん、Kさんはきっと天国から皆様を笑顔で見守っていてくれることと思います。今はとても悲しくて辛いでしょうが前を向いて歩いて行って下さいね。

デネルさん こんばんは。

Kさんは虹の橋を渡られたのですね…
Kさんの御冥福をお祈りいたします。
まだ小さなお子さんを残して逝かなければならなかったKさん、どんなに辛く無念だったことでしょう。大好きな旦那さん、デネルさんを初めとするお友達の皆さん、お母様方…
皆様とお別れしなければならなかった事 どんなに辛かったことでしょう。
Kさんと皆様の事を想うと涙が止まりません。だけども、残された最期の時間をKさんのことを大好きな皆様と笑顔で過ごす事が出来て、Kさんはきっと幸せだったと思います。
デネルさん、Kさんに「大好き」だって伝える事ができて、キスを送る事ができて良かったですね。
デネルさんのブログでKさんの事を読ませてもらいながら、昨年春に他界した母の事を思い出しました。母も病院で入院していたのですが、だんだん弱っていく姿をただ見守るしかなくて、延命措置をしなければ余命は1週間だと医師に告げられ、家族会議で延命措置をしないと決めた夜は皆で泣きました。それから僅か2日目の朝に母は旅立って行きました。余命を告げられた時に全身に走った衝撃は今でも忘れられません。

デネルさん、Kさんはきっと天国から皆様を笑顔で見守

合掌。恋しいですね。一緒に年を取って親よりも長く一緒にいられると、当たり前に思っていましたか?昨年新春、夫の再発を心配し私を励ましてくれた大切な友が七夕あたりに癌が見つかり10月には逝ってしまいました。私にとっては女神様のようなお姉さんでしたのに。おいてかれてしまい寂しくて切なくて。そして、とても恋しいのです。いまでも事あるごとに天に向かい話しかけています。大好きですょ一緒にいたかったょ本当に恋しいですょ 出会えて感謝。 Kちゃんさんに合掌。

合掌。恋しいですね。一緒に年を取って親よりも長く一緒にいられると、当たり前に思っていましたか?昨年新春、夫の再発を心配し私を励ましてくれた大切な友が七夕あたりに癌が見つかり10月には逝ってしまいました。私にとっては女神様のようなお姉さんでしたのに。おいてかれてしまい寂しくて切なくて。そして、とても恋しいのです。いまでも事あるごとに天に向かい話しかけています。大好きですょ一緒にいたかっょ本当に恋しいですょ 出会えて感謝。 Kちゃんさんに合掌。

デネルさん 久しぶりにコメントします
ずっとずっと つたない言葉でも、なにかデネルさんとKさんにエールを送れないかと考えてました。だけど、なんにも思い浮かばなくて、心配だけしているうちに、お別れの日がきてしまってたんですね 最期の様子を読ませていただき、涙がとまらないです。実はわたしも、最近大事な人を続けて二人亡くしました。片方はまったく予期せず突然いなくなってしまいました。もう片方は予期していたけど、予想外にその時が早くて、なんでもっと会いにいかなかったのか、と後悔で今もつぶされそうです。だからデネルさんが、最初は迷いながらも一生懸命Kさんに会いに行ったのは、私はそれで絶対良かったと思います。ごめんなさい。結局こんなことしか言えません
大事な大好きな人と、会いたい時に会える、話したいときに話せるって なんて幸せなことだったんだろうと痛感します
デネルさん、お疲れさまでした
そしてKさんも。お疲れさまでした ゆっくり休んでくださいね。

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