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2009年10月18日 (日)

遡ること数ヶ月前

“朝のこない夜はない”

私の格言なんです。

飲み過ぎた日の翌朝は上記のフレーズが脳内でビッグエコー。

お天道様が眩しい・・・・

デネルでございます。

本日は『智にマニアック』はお休み。

何故ならば・・・・

アイドルグループ嵐のキャプテン・大野君が出演するミニドラマ『0号室の客』の放送に向けてブログに貼る為のカウントダウン時計を作ろうと思ったらスタート時間を知らないという事に気付いた私。

数字にまつわるエトセトラに関してはモンキーさん以下の脳みそしか持ち合わせていないんですの♪

放送時間を調べるついでに嵐さんの動向をチェックしがてら久しぶりにYOU帝国のHPにお邪魔してきました。

1995年1月17日 午前5時46分52秒

阪神・淡路大震災が発生したあの日あの時。

遠く離れた我が家も凄く揺れました。

高い所に置いた物が幾つか落下しただけで幸いにも怪我はなく、愛猫(先代の猫)を含め家族全員が無事でした。

兵庫県であんな事になっていると知ったのはそれから数時間後。

リアルタイムで流れる緊急の報道ニュースを見ながら我が目を疑いました。

でもそれはまだまだ序の口だったんですよね。

日を追うごとに増え続ける死者や怪我人の数、全てを飲み込んでも尚まだ足りないとばかりに燃え盛る炎、倒壊するビル、半壊・全壊する家、行き場を失った多くの人達、寸断されたライフライン、機能を停止した街。

船乗り時代 ( ← ご参照下さい )にしょっちゅう神戸港に入港していたので停泊中は夜な夜な三宮に繰り出して飲みに行ってたんですよねぇ~。

見慣れた街の変わり果てた姿をニュースで目にして言葉を失いました。

刻一刻と被害が拡大するのを見ているのは凄く辛かったです。

心が痛かったです。

電話が繋がらない旧友の安否を確認する為に、そこに辿り着けるかどうかも分からないのに父がリュックサックに食料品を沢山詰めて出かけて行ったのを今も鮮明に覚えています。

勤めていた船会社はフェリーも数隻所有していたので、それらを利用して救援物資を運んだり、行き場を失った方々の仮の住まいにしたり、乗組員たちが炊き出しをしたりしていたそうです。

当時はまだ船乗りだったのになんだか他人事ですね。

家にいたのに。

同じ関西の空の下でぬくぬくと生活してたのに。

震災から遡ること数ヶ月前のお話。

ひょんな事から長期の入院生活を強いられたD。

藪からスティックでびっくらこいちゃって。

自覚症状が皆無だっただけに4ヶ月弱の入院は正直きつかったっす。

でもいつでもどこでもお笑い魂は忘れない生き物なのでそれなりに快適でした。

大学病院だったので各階にいろんな病棟があるわけです。

それぞれの階に友達が出来るわけです。

タバコ仲間が出来るわけです。

仲良くなったご夫婦は生後数ヶ月のちっちゃな赤ちゃんが難病に冒されていて、仕事を辞めて北海道から来ていらっしゃいました。

赤ちゃんが手術に成功して元気になっていますように。

休暇のためにどこかの港で下船すると同期や先輩や後輩が外国人クルーからの手紙を携えてわざわざ見舞いに来てくれて船での出来事をいろいろ話してくれました。

で、それから各々遠くの家に帰るんです。

休暇明けの乗船前にも寄ってくれたっけ。

同郷のトリュフちゃんはしたい事が沢山あるだろうに、僅かな休暇中に顔を見にしょっちゅう来てくれました。

ある時、私がお風呂に入っている間にやって来た彼女。

ベッドで爆睡してました。

ウケる!!

どこぞの国の将軍様のようなシザーハンズの同級生・マイタケちゃんは髪切りセットを一式持参して伸びた髪を何度も切ってくれました。

病気のせいで食事制限をしないといけなくて、塩分の摂取量は一日たったの・・・ え~と、えっと、何グラムだったかなぁ!?

細かい事は忘れましたが、よしんば私が星一徹ならば、卓袱台をひっくり返していたであろう不味さだったのは確かです。

1に肉・2に肉・3と4がキノコ&モヤシで5に肉な勢いの私がムキ~ッ!!

肉が入ってないじゃないか!!

味がついてないじゃないか!!

病院で出される食事に殆ど手をつけず、フンッ!な私を不憫に思った両親がなるべく塩分を控えた料理を持ってきてくれて。

近所のコンビニで買い食いしないように靴を隠された事もあったっけ。

スリッパで行くも~ん。

服も持って帰られたっけ。

“ザ・パジャマ”の格好じゃないから平気~。

しめしめ♪

が、しか~し、数日後の血液&尿検査の結果でバレると。

こっぴどく叱られたっけ。

ええ、父に。

暇潰しにインターンの担当医を顎で使って「こらっ!」と説教されたっけ。

ええ、母に。

当時健在だった今は亡き祖母もいつも来てくれました。

あの時既に足腰が随分弱っていたはずなんですが。

『白い巨塔』みたいな「○○教授の回診です」を身をもって体験しました。

派閥ってあるのね。

皆さんは生検というのをご存知でしょうか!?

やった本人もいまいち理解していないんですが、皮膚の上からぶっとい針みたいなのでエイッ!と内臓を突いて組織を調べる検査でございやす。

その生検の結果があまり芳しくなく、なんと、わたくし、IgA腎症っちゅう病気であることが判明したのであります!!

あんれまっ!!

で、IgA腎症って何!?

知らな~い。

聞いたことにゃ~い。

説明されてもツルッツルの脳みそが理解できな~い。

腎臓というのは自覚症状が無いので厄介なんですよねぇ~。

どうやら遺伝?先天的?に腎臓が丈夫じゃなかったみたいです。

薬が効かなくて腎臓の機能が低下したら透析だと言われました。

ガーン・・・・

能天気な私もさすがに凹むってなもんです。

診断結果を聞いたのは夜遅くでした。

私の前では気丈にふるまっていた両親ですが見送る為に手を振ったエレベーターの扉が閉まった直後に二人で泣いたそうです。

というのを随分経ってから聞かされました。

治療の為に多くの薬を飲みましたが最大の敵はステロイド。

飲み始めて速攻で副作用が出ちゃって。

太ってないのに顔がパンパンに。

どこの誰が名付けたのか知りませんが“満月症候群”というズバリ!な命名に思わず山田君に座布団を3枚あげたくなりましたよ、全く。

そんなこんなで季節は夏から秋へと変わり、4ヶ月弱が経った誕生日の数日前に退院しました。

家でも食事制限ingです。

母も私も“適当”が大好きなB型なのでちょっきりきっかり塩分を計ることはせず、“だいたいこんな感じ”の味付けでございやす。

ふふふっ。

ステロイドを飲み続けていたので顔は相変わらず満月さん。

自分の顔を鏡で見ながら「顔パンパンじゃない?」と両親に問いかけると揃って返ってくるのはいつも同じ。

「全然そんなことないよ」でした。

お父さん、お母さん、どの角度から見てもバスケットボールみたいなのだよ。

抵抗力が落ちているので風邪引きは厳禁、人込みも厳禁、外食だぁ!?塩分が半端じゃないだろ!、ハードな運動は禁止、船で立ち仕事だと!?ノー!、家の中でも外でもマスクをするように、などなどなど、多くの注意事項がありました。

傷病休暇をもらい自宅で療養をしている時に1月17日の朝を迎えたのです。

あの日を忘れないために兵庫では毎年同じ時間に慰霊祭が行われます。

15年前、テレビの前でただ見ている事しか出来なかった自分を思い出します。

闘病(といっても本人は至って元気)生活を思い出します。

両親や祖母の溢れんばかりの愛情を思い出します。

友人たちの優しさを思い出します。

命の尊さを実感します。

地震で多くのものを失くされた人々に想いを馳せます。

“がんばろう神戸!”にエールを送ります。

来年1月に放送される「阪神・淡路大震災から15年 神戸新聞の7日間~被災地に生きた記者達の闘い~(仮)」で櫻井君が記者役を演じるそうな。

この記事を読んで、私にとって忘れ難い15年前のあんな事やこんな事を思い出しまして、いい機会なのでここは一つ、ブログに書き記しておこうかなと。

入院から2年程かかりましたがお陰様で病気は完治しました。

薬も飲んでませんし、通院もしてませんし、食事制限も一切ありませんし、顔は元に戻りましたし、大酒呑みですし、煙草はスパスパ吸ってますし、運動もしてますし、やりたい放題ですこぶる元気です。

絶好調・超!で元気溌溂オロナミンCです。

あれから15年。

櫻井君のドラマを心して観ます。

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コメント

◆airesさん◆

大病と言えば大病なんですが、私の場合、自覚症状が全く無かったので呑気なものだったんです。
院内中をあっちへフラフラこっちへフラフラしてました。
お陰様で今はすっかり元気になりまして、日々大野君への絶大なるLOVEを叫んでおりやす。
健康でいられる事に感謝。

あれから15年です。
震災に遭われた多くの皆さんの様々な想いとお気持ちが櫻井君からのメッセージで少しでも癒されますようにと願います。

ありがと~ございます!
大切にします♪

◆にゃんこままさん◆

ご無沙汰しております!
お元気でいらっしゃいました?

にゃんこままさんも枝豆さんと同じで神戸新聞会館に映画を観に行かれてたんですね。
慣れ親しんだ光景がある日突然無くなってしまうのをご覧になった時の心痛はさぞかし。

温かいメッセージを有難うございました。
健康な体に感謝しつつ、無理は禁物でマニア道を精進します。

◆キノメさん◆

ご無沙汰しております!
コメントを下さるのに遅いも早いもないのでツツツツーっとどうぞ♪
私も皆さんからのコメントを拝読していてダーダー泣いてしまいました。
キノメさんご自身は今現在闘病生活を送っていらっしゃるんですね。
先の見えない道かもしれませんが、きっと良くなられる事を信じて。
陰ながらこっそり祈ってます。
震災についてこらまでこんな風にじっくり考える事なく15年が経ったような気がします。
櫻井君がドキュメンタリードラマに携わらなければこれからも触れずにいたと思います。
あの日を知っている人は当時の気持ちと対峙しながら、あの日を知らない人はこんな事があったんだと何かを得てもらって、櫻井君からのメッセージを感じ取れればいいですね。
キノメさんもどうぞご自愛下さいね。
嵐さんで笑顔を♪

◆おおちゃん猫さん◆

おおちゃん猫さん、はじめまして!
ようこそお越し下さいました。

おおちゃん猫さんご自身も悲しい出来事がおありだったんですね。
病気をしたと言っても顔がパンパンだった以外は至ってピンピンしていたので辛いと思った事は一度も無いんですよ。
ふふふっ。
マイナスイオンが大放出な大野君の笑顔でおおちゃん猫さんの悲しみがいつの日か無くなりますように。

おバカ満載のブログですがこれからも宜しくお願い致します。

◆ゆたぬきさん◆

ほんの少しのご無沙汰でございます。
そうなんです、あたしゃマグロ漁師だったんです♪
ゆたぬきさんのおうちがご無事で良かった。
うちも落下物が当たって壁に少しヒビが入っただけでした。
香港で仲良くなられた方がご無事でありますように。
その節は被害に遭った街の復興への担い手になられたそうで本当にご苦労様でした。

ありがと~ございます!
“ほどほどに”は私の辞書にないんですけど頑張って登録します!

デネル様 皆様 こんばんは。

デネルさん、そんな大病を患っていらっしゃったんですね。びっくりしました。
でも、デネルさんのいつも優しいコトノハの理由が分かった気がします。
こうやって、デネルさんや皆さんのお話を拝見すると、
日々過ごせることに感謝しなければいけないと改めて思いました!
デネルさん!これからも暖かくて楽しいお話を拝見したいので
お身体大切にして下さいね!

そして翔くんのドラマ…
あれから15年が経つのですね。あの日テレビから流れる映像に愕然としたのを覚えています。
あの時、被災された方や復興に携わった方々にとって想いもその方たちの分だけあるんですよね。
いろいろドラマ化するにあたって難しい事もあるでしょうが、あの震災を知らなかった人達も含め何かを感じる時間になればいいなと思っています。
心して観たいと思います!

デネルさん!本当にお身体だけは大切にして下さいね!


お久しぶりです…(^^ゞら
にゃんこママです

翔君が
阪神・淡路地震の神戸新聞の記者を演じるとテレビで知りました…


やはり、気になって…、もっと知りたいと思い、
調べて読んでいたら涙が…(>_<。)

若い頃、
神戸新聞会館の名画座に、私もいっぱい映画を観に行ってました…(^^ゞ


改めて15年…

神戸新聞の頑張りと
イチローがいたオリックスの
頑張ろう神戸!…

は元気の源でしたっ

実家に帰っても、
なかなか…、
三宮周辺に遊びに行けなかったんです…
踏み出した一歩…

翔君とみなさんと…
私も踏み出したいと思います(*'-')


デネルさん、

お体を大切になさって下さいねっ
くれぐれも…、無理は禁物ですっ

ありがとうございましたm(_ _)m


お休みなさぃ〜

デネルさん、こんばんは。
コメントはもの凄く久しぶりです。
いつも素敵なマニアックをお届け下さってありがとうございます!
タイミングも遅いし・・・と思いましたが感謝の気持ちをお伝えしたくて。
デネルさんの文章を拝見していて涙がぼろぼろ出てきました。そしてみなさんのコメントも拝見してまた。
丁度持病が原因で今月頭に仕事を辞めることになり、なかなか治らない病気に焦りと苛立ちでいっぱいだったのです。
でもデネルさん、みなさんの文を読んでいたら一文一文にもの凄く勇気を頂きました。明日から頑張ろうと!どんな薬より効きそうです。「コトバノチカラ」ですね。
ありがとうございました!
どんな時も優しくてユーモアのあるデネルさん、病院で一緒になられた皆さんもきっとそんなデネルさんに力を貰っていたんだろうなぁと思いました。
阪神大震災の時は私は小学生で、現実のこととして全く理解していませんでしたが、今でもあの時テレビでみた映像は焼き付いています。
大阪に住んでいた叔母はしばらく夜寝られなかったといいます。従姉妹は友人を亡くしました。
忘れられることは幸いでもありますが、残酷なことでもあります。
翔くんがやると知ったとき複雑な思いでしたが(デリケートな問題であり、大変な負担だろうなと思ったので)、デネルさんの文章を拝見していて翔くんが何を伝えてくれるのか待ちたいなと思いました。翔くんが向き合う決断をしたんですから応援したいです。
長々と失礼しました。
デネルさんもみなさんもご自愛ください。

デネル様こんばんははじめまして
いつもデネル様の楽しく爆笑のコメントに笑いこけておりました
ところでチワワさんへの押しつけの無い温かいコメントに感動しました。私事ですが、自分も悲しい経験をし…チワワさんの想いを少しだけ理解した気がします。でも、デネル様のコメントは辛い事を経験した方だからこそ解る優しさを感じました後ろ向きな発言ですみません
私は大野くんの笑顔で乗り越えつつあります長文すみません

こんばんわデネルさん。
この二日ばかり、HDの整理に忙しい時間をすごしていました。こちらを覗いてコメント数にびっくり!
どっどうした?デネルさんと思い読み進めました。
『へぇ~マグロ漁師だったのかぁ~』最初は笑っていたのですが・・・
阪神大震災。
そうでした。
あの日、地鳴りの音で目が覚め、ベッドの上に物が降ってきて、マットにしがみ付いたことを覚えています。とっさには人間何もできないものですね。幸い家の塀に亀裂が入ったくらいで済みました。
前日に香港に行っていたのですが、現地で仲良くなった方達が神戸の方でした。大丈夫かしらと思ったのも数日たってからです。
仕事が公共事業関連のため、あの日から暖かくなる頃まで、連日浄水場等の復旧対策にあたり、精神的に追い込まれた同僚もいました。
それでも、当事者でないと時間が経つと忘れてしまうんですね。数千人分の悲しみがあるというのに・・・
翔くん。きっと、頑張ってくれますよ。

デネルさん。お酒はほどほどに。

◆cosmosさん◆

cosmosさん、はじめまして!
ずっとお越し下さっていたとの事でありがと~ございます!

ここで震災について書くまで皆さんが様々な想いを抱いていらっしゃるなんて思ってもいませんでした。
感じている事を伝えるきっかけを作ってくれた櫻井君に有難うを言いたいです。

cosmosさんは今何かの治療をされていらっしゃるんですね。
ご自身の体に正面から向き合って感謝の気持ちを忘れずに過ごしていらっしゃるcosmosさんはすんばらしい!!
私は入院して初めて健康である事の有り難みを知りました。
宝塚のご親戚がご無事で良かったです。
今もあちらに?

これから寒くなりますがNo Arashi No Lifeを満喫する為にもご自愛下さいね。
日々おバカな事しか書いていませんがこれからも宜しくお願い致します。

◆嵐命のマミーさん◆

すみません、芸予地震を知らなくて、なのでちょっとwikiさんに聞いてきました。
地震列島日本はいつどこで大きなのがきてもおかしくないですよね。
天災の怖さを忘れないためにも櫻井君が伝えてくれるドキュメンタリードラマを心して観ようと思ってます。

温かいメッセージを有難うございます。
お陰様で病気が治りまして、今じゃすっかり。
嵐命のマミーさんもご両親の分まで元気な毎日をお過ごし下さいね。

お友達に教えてもらって先日、町田君のニッキを読みました。
感動・・・・

◆ぶれっどさん◆

お陰様で今はすっかり元気です。
15年後にまさか自分がブログをやっているとは。
素敵なご縁に感謝カンゲキです。

私はあの時も猫を飼っていたので飼い主さんと一緒に暮らせなくなってしまったペット達の姿を見てオヨヨヨと泣いていました。
悲しそうな瞳なんですよ。
一日でも早く飼い主さんの元に戻れますようにと思っておりやした。

ぶれっどさんの仰る通り、櫻井君がそう思える作品になりますように。
沢山の人がそう思える作品になりますように。


◆しぃさん◆

皆さんに心配をお掛けして申し訳ありません。
が、しか~し、あの時は辛いとは不思議と一度も思わなかったんです。
検査結果を聞いた時はさすがに凹みましたが持ち前のポジティブさを発揮してすぐいつもの自分に戻りましたし。
お陰様で15年後の今、こうしてキモキモブログをやれている事が凄く有難いです。

震災のあった時期は修学旅行でこちらにいらっしゃる予定だったんですね。
そんな事があったなんて。
新潟も大きな地震がありましたし、これは人事ではないですよね。
櫻井君のドラマをしっかり見届けたいと思います。


◆カオリさん◆

お~、カオリさんは生まれも今現在のお住まいも兵庫県なんですね。
生まれ変わった街の片隅でひっそりと当時の面影が残っているんですね。
忘れないためにもそれをそのまま残しておくのがいいのか前に進むために撤去した方がいいのか。
そちらはあれから元気を取り戻してますか?
いつかまた遊びに行きます。

ぜひぜひお気軽にお立ち寄り下さい♪

◆マッシュさん◆

あの日体験した出来事は今も多くの人の心に深く残っているんですよね。
あれから父は重い荷物を背負って何度も旧友の家を訪れていました。
周囲には同じような人が沢山いたそうです。
地震の時もそうですし、入院した時も多くの支えがあって人は生きているんだと実感しました。

櫻井君の出演が無ければきっと書かなかったであろう震災の事や病気の事。
改めて皆さんの優しさにジ~ン・・・
快適に大野君を愛で倒すためにマッシュさんもご自愛下さいね。


◆バジルさん◆

どこまでも自己チューに生きていた私に「もう少し人の痛みが分かる人間になれ!」とご先祖様が思われたのかもしれません。
腎臓がちょっと弱ってるだけで私は自分の足で歩けましたし、凄く元気だったので各階にツツツーとお邪魔してぴーちくぱーちく喋っておりやした。
仲良くなったお婆さまのお使いを売店までしに行って高級なおやつにあやかったり。
ふふふっ。
両親や祖母には凄く心配をかけました。
足腰が弱っていた祖母は両親の目を盗んで内緒で見舞いに来てくれたんですがヨレヨレで登場する祖母に慌ててベッドを譲った事が何度もありました。
どっちが病人なんだかねぇ~。
家族の愛にありがとうです。

櫻井君のドラマがどんな風な構成になるのか分かりませんがきっと彼にしか出来ないメッセージの伝え方をしてくれると思ってます。

お嬢さんが・・・
くれぐれも宜しくお伝え下さいませ。


◆センタクプーさん◆

本人は至って呑気なものでして、大変だと感じた事は一度もないんですよ。
入院中も3食昼寝付きで優雅な別荘生活を送っているかのように過ごしておりやした。
15年後の今、こうして嵐さんを介して皆さんと素敵なご縁を繋げていられる喜びはとても大きいです。
大野君、ありがと~!!

センタクプーさんは寮暮らしをしていらしたんですね。
私は兵庫県には一人も知り合いがいなかったので震災に遭われた方のお話をここで初めて伺ったんですがダーダー泣きながら拝読しました。
皆さんご無事で何より!!

櫻井君から発信されるメッセージをしっかり受け止められればいいなと思います。


◆ちょもさん◆

私も今回のエントリーについていろいろ考えてしまいました。
珍しく脳みそが回転する音が聞こえておりやす。

15年前は広島にいらしたんですね。
ご主人様のご家族がご無事で何よりです。

“人生楽ありゃ苦もあるさ”
完全にパクってますが大好きなフレーズなんです。
人にはその人が歩んできた後ろにそれぞれの歴史あり。
いろんな事で笑える毎日がいいですよね。
嵐さんから多くの喜びをもらってます。


◆ランランさん◆

ご無沙汰しております!!
お元気でいらっしゃいました?
ランランさんのお名前はちゃんと記憶しておりやす。

お陰様で病気をしてから15年後の今、健康な体で大野君への絶大なるLOVEを叫ぶ事が出来ています。
精神年齢は物凄く低いのが玉に瑕です。
自分では辛いと思った事が不思議と一度も無いんですよ。
ふふふっ。

震災のあった時ランランさんは7歳でいらしたのねぇ~。
書かれる文章が凄くしっかりしていらっしゃるからもう少し上の年かと勝手に想像してました。
失礼ぶっこきました。
神戸の小学校に“がんばって”手紙を送られたんですね。
ランランさん達からの手紙に励まされた神戸っ子が沢山いたはず。
なんとかしたいと思う優しいお気持ちだけで十分伝わっていたと思いますよ。
友人Yさんは兵庫の方なのね。
素敵なご縁ですなぁ~。
彼女もお元気!?

あんれまっ!
“tomo”シャツを??
私はもんの凄い怪しい生き物と化してませんでした?

◆だっくりんさん◆

お陰様で15年後の今ここでこうしてマニア目線丸出しのブログをする事が出来ております。

だっくりんさんも長期の入院を余儀なくされた事がおありなんですね。
108日前後ですな。
日記か・・・
入院中、どんなに暇を持て余していても“日記”ちゅうのを一切したためませんでした。
もし書いていたとしても『○○先生(インターン)、今日のダメダメ観察日記』になっていたに違いない。

入退院を繰り返していらっしゃるとの事ですが今はお元気に?
大野君をがっつり目で倒すためにも日々ご自愛下さいね。

ですですです、あんなに凹んだのは人生で初めてです。
自覚症状が無かっただけに検査結果の悪さに軽く引きましたもん。
でもいろんな病気と闘っている人達を見てこれしきの事でくよくよしている場合じゃない!と思い、凹みは数日で封印しました。

櫻井君からのメッセージを一人でも多くの人の心に届けばいいなと思います。


◆京豆腐さん◆

ですねぇ~。
近くにいる家族や友人たちの愛情のお陰で今の私がおりやす。
病気にならなければそれを当然の如く受け取って余裕でスルーしていたはず。
お母様の体調が毎日好調でありますように。
お肉&お酒、また行きましょね♪

15年前の状況を今もはっきり記憶していらっしゃる人がこんなにも多いとは。
櫻井君のドラマがきっかけでこうして皆さんからいろいろお話を聞かせて頂けて凄くためになりました。

いや~ん、照れる~♪
あーざす!!


◆チワワさん◆

“朝のこない夜”は命のある限りやってきますが、チワワさんのお父様のように奪われてしまうのも事実ですよね。
その時のチワワさんのお気持ちについて私が語るべきことではないですし、物事の捉え方が違うのであーだこーだと口を挟むのは差し控えさせて頂きますが、暗がりの心に少しでも光が差すことを願ってます。

病気になって初めて健康であることの有難みに気づきました。
せっかく良くなった体なので大切にします。
チワワさんも大事になさって下さいね。

◆モコさん◆

私はビールのジョッキがめちゃくちゃ似合いますよ♪
お陰様で今も元気にアルコールを美味しく頂いています。
頂き過ぎると言ったほうが正しいかも。
モコさんのご主人様もステロイドを。
摂取量によって違いますがマックス時の満月ぶりはそりゃ~もう凄かったです。
減る度にそんなに顔に出にくくなって、服用をやめたらさっと元に戻りました。
ご主人様が元気になられて良かったです。

櫻井君のドラマを心して観ようと思います。


◆トモさん◆

貴重かどうか分かりませんが櫻井君が震災のドキュメンタリードラマに出演すると知って私の中で切っても切り離せないエピソードだったのでここは一つと。

トモさんのご実家は家の中がめちゃくちゃに。
ご家族の皆さんとご親戚・お知り合いの皆さんがご無事で本当に良かったです。
プライベートの無い避難場所での生活はさぞかしストレスが溜まったことでしょうね。
命あっての物種と言いますが、そんな言葉では片付けられないぐらい想像を絶する大変な気苦労があったと思います。
今こうして元気にここでコメントを寄せて頂けることに感謝カンゲキです。

トモさんも腎炎に!?
同じっす♪
健康で毎日を過ごせることに感謝ですなぁ~。


◆おに☆ぎりさん◆

おっ、おに☆ぎりさんは栄養学を学んでらしたんですね。
減塩・減塩の食生活を強いられましたが、がっつりステロイドを飲んでいたピーク時はテレビで目にする美味しそうな料理の映像についヨダレが・・・
食い意地の張った私は「元気になって絶対これを食べるんだ!」と奮起したのを覚えています。
ふふふっ。
ステロイドってば乙女の顔をパンパンにしてしまいますよねぇ~。
浮腫んでないし太ってないのにパンパン。
自分が病気になって初めて周囲の温かさと優しさの有難みに気づきました。

おに☆ぎりさんもくれぐれもご自愛下さいね。


◆ポレポレさん◆

1月17日と聞いてすぐには阪神・淡路大震災を思い出さないどこまでも数字に弱い私なので“1月の寒かった日”で記憶しています。

震災を身をもって体験された方にとってはまだ15年でありもう15年なんですよね。
今でも様々な想いを心に抱いていらっしゃるはず。
15年後の今、こうしてここで皆さんと交流を深めていられることに感謝です。

お陰様で今じゃすっかり元気になりました。
お父様もご無理をなさらないようにご自愛下さいませ。
ポレポレさんも健康管理をしっかりと♪


◆さんどさん◆

私もこんなにも多くの方があの日現地で震災に遭われていらっしゃったとは思ってもいませんでした。
ダーダー泣きながらコメントを拝読させて頂いちゃって。
地震のあった日の直後のニュースでは兵庫県の様子が全然分からず、ただ大きな地震だったということしか知らなかったんですがまさかあれほどまでに壊滅してしまうとは。
息子さんと一緒に櫻井君のドラマをご覧下さいませ。
きっと何か伝わるはず。

妹さんもIgA腎炎でいらっしゃる!
ぬぉ~同じ!
元気になられて本当に良かったです。
私も健康でいられることの有難みを忘れないようにします。

◆コウさん◆

物心ついてからあんなに大きな地震を初めて体験しました。
今でもこそ街は復興しましたが皆さんの心にはまだ深い傷があるんですよね。

大病っちゃあ大病なんですが、私の場合全然自覚症状が無かったので本人は至って呑気に過ごしてたんですよ。
お陰様で今はすこぶる元気でございます。
コウさんもご自愛下さいね。

デネルさま、初めまして。ずっと読ませて頂くだけで、勝手に日々の清涼剤にさせて頂いてました。

デネル様始め、皆様色んなお考えやご経験をお持ちで、その人生を生きられての嵐ファンでいらっしゃる事に感慨深い物があります。
私も何度か危機一髪で病気から、周りの人々の手を借りて治って来ましたので、病気のおかげで感謝出来る事が増えました。
でも、また現在治療中です。この病気こそ日々小さな感謝で過ごす事が必要になり、ともすれば逃げたくなる今を嵐さん達に引き止めてもらった事が多々ありました。

1月17日は小学六年生で、ちょうど中学の試験日でした。
朝震災の事実を知って、動揺しながら受けに行き、帰って報道を観て愕然としたのを憶えています。
関東に居りましたので、当事者の方々や身近な方々には比ぶるべくもありませんが、宝塚の親戚が家にヒビを入れたということで、心配しました。

長いですな...。長い上に遅い(苦笑)。すみません。
読んで頂ければそれだけで嬉しいので、お返事は結構です。

翔くん、心配しながら期待しています。
あなたの思いが伝わりますように。

◆マサミさん◆

有難うございます!
お陰様で元気溌溂で毎日楽しく過ごせてます。
マニア道を邁進出来る幸せを噛み締めながらこれからもずずずいっとな。
宜しくお願いします。


◆なちさん◆

震災のあったあの朝の記憶は今も皆さんの心に残っているんですね。
当時、5:46:52の針を差したまま時を刻むのをやめてしまった掛け時計をテレビで見る度に地震の恐ろしさを感じました。
櫻井君のドラマが観る人の心にすっと沁み込む作品になりますように。

晴天の霹靂ってやつであれよあれよと言う間に検査⇒入院⇒退院になったんです。
びっくらこいちゃって。
入院生活が快適だったのは看護師さん達のお陰です。
生検後の寝たきりデーでは本当にお世話になりました。
なちさんは毎日患者さんに接していらっしゃるんですよね。
有難うございます。
幸いにも私は今こうして元気に大野君に絶大なるLOVEな毎日を過ごしております。
健康である事の幸せを病気になる事で初めて知りました。

◆ぼぼさん◆

ご無沙汰しております!

ぼぼさんもIgA腎症になられたことがおありなんですね。
お仲間♪
ブログにエントリーして改めて当時の事を振り返ってみたんですが、私の場合何が原因でIga腎症になったのか結局分からかったような。
それともツルッツルの脳みそから記憶が抜け落ちたのか。
元気溌溂になられて良かったです。
栄養士の先生から退院後の食事とかアドバイスを母と一緒に聞いたんですが揃いも揃ってB型なのでどれ一つまともに実践しませんでした。
減塩て結構きついですよねぇ~。
普段いかに塩分過多の食生活だったかを思い知りました。
塩って美味しい!!と再認識。
ぼぼさんもお体を大切になさって下さいね。

新潟にいる親戚たちの中にも家が半壊・倒壊しました。
今も怖いと言っています。
ご実家は大丈夫でした?


◆あむんちょさん◆

ご無沙汰しております!
あんれまっ!
そないな事がありました!?
あむんちょさんから頂いたコメントで“お節介な事”が何も思い当たらないんですが、その節は私が何か余計な事を言葉にしたせいでそう思われていたんでしょうか?
それなら大変失礼しました。

あむんちょさんご自身も入院をされた事がおありなんですね。
しかも昨年も?
今こうしてお家からコメントを下さっている事が凄く嬉しいです。

地震はいつどこで起こるか予測が出来ないですもんね。
私の住むところで明日なんて事も。
15年前のあの日を忘れないためにも、震災を知らない世代の皆さんのためにも、これからの未来のためにも櫻井君がドキュメンタリードラマで伝えてくれる何かがご覧になる人の心に届くといいなと思ってます。

あむんちょさんも快適な3104ライフを過ごすためにもご自愛なさって下さいね。


◆じゅんさん◆

お陰様で今はすごぶる元気で日々を過ごしておりやす。
あーだこうだとグチグチ不平・不満を言う時間が勿体無いんですよねぇ~。
言葉は毒にも薬にもなります。
顔が見えない分、ストレートにそれが伝わります。
同じことを書くなら毒よりも薬の方を私は取ると決めています。
よしんばそれがマニア目線丸出しだったとしても。
ふふふっ。

入院当初は人生初の入院体験にワクワクしてたんです。
快適~♪なんて思っていたんですが検査結果を聞いてあんんれまっ!に。
電車とバスを乗り継いで来てくれる両親や祖母、友人たちの支え、病棟中に出来たお友達たちの背負っている物の大きさ、それでも温かい思い遣りを忘れない彼らの姿のお陰で今の自分があると思っています。

じゅんさんの仰る通り、人は誰かに支えられて生きているんですよね。
それに気づけた私は病気になって良かったのかもしれません。
お父様とお母様の姿をご覧になってちゃんと分かっていらっしゃるじゅんさんも温かい方ですなぁ~。

私は同じ関西にいながら震災の本当の怖さを知りません。
櫻井君が伝えてくれる何かを心で感じ取ろうと思います。


◆ninninさん◆

ninninさん、はじめまして!
ようこそお越し下さいました。
ninninさんも大野君に絶大なるLOVEなB型でいらっしゃる。
右に同じくでございます♪

ご自宅は神戸市内でいらっしゃるんですね。
ご自身もご家族の皆さんもお知り合いの皆さんもご無事で本当に良かったです。
震災以降、今もやはり心に残る傷跡がおありだと思います。
忘れられない、思い出したくない事も沢山おありなんでしょうね。
櫻井君のドラマが身をもって地震を体験されたninninさんのお気持ちに何らかの変化が訪れることを願います。
また是非感想をお聞かせ下さい。

おバカ満載のブログですがこれからも宜しくお願い致します。


◆あきひさん◆

今まで目にしてきたものが一瞬で無くなってしまうと知った日から15年です。
こうして毎日元気で過ごせている有難さをつい忘れがちですが今回櫻井君が震災のドキュメンタリードラマに出演する記事を読んで改めて考えさせられました。
そういった意味でも彼がドラマで記者役を演じるのは大きな意義があるような気がします。

ですねよねぇ~。
ある日突然入院!なんて事になってしまって。
それまで病気の兆しは出ていたんですが大したことないと勝手に判断して無視し続けておりやした。
長い入院生活とその後の治療、両親や友人たちの支えがあったからこそ今の自分があると思ってます。
あきひさんもお体を大事になさって下さいね。

◆モーズさん◆

モーズさん、はじめまして!
一年ほど前からお越し下さっていたとの事で恐れ入りますです。

病気はしましたが本人は全然大変な体験をしたとは思ってないんですよ。
脳みそが“考える”という事をしないので当時も今もケ・セラセラの勢いで日々過ごしておりやす。

看護士さんは凄い!!
私も入院している時いつも思ってました。
役立たずのインターンの先生の言う事は何一つ聞きませんでしたが看護師さんは別。
看護師の皆さんには何から何まで本当にお世話になっちゃって。
皆さん口は悪いですけど凄く温かいんですよねぇ~。
モーズさんのコメントを拝読してあの時親切にしてくれた看護師さんの顔が思い浮かびました。
私の方こそ有難うございます。

おバカ満載のブログですがこれからも宜しくお願い致します。
また遊びにいらして下さいね。

◆ちょこさん◆

以前に一度コメントを寄せて下さっているんですね。
お久しぶりに有難うございます。

ちょこさんは震災当時は学生さんでいらっしゃいましたか。
阪神・淡路の各地域は復興への道を急速に辿りましたが暫くは皆さん埃が舞う中で生活をしてらしたんですもんね。
あれから15年です。

みちるちゃん役のレディがドラマでIgA腎症を?
あんれまっ!
「赤鼻のセンセイ」は一度も観た事が無いので彼女がそないな役柄を演じていたとはつゆ知らず。
教えて下さって有難うございました。
なんか不思議な気持ちです。
そっか、みちるちゃんが。
お陰様で病気は治りまして、今は暴走しまくりでピンピンしております♪

◆おさかなパンさん◆

15年前おさかなパンさんは芦屋にご在住だったんですか。
今は九州ですよね?
ご家族の皆さんがご無事で本当に良かったです。
櫻井君のドラマが観る人の心にすっと沁み込む作品になるよう願ってます。

ステロイドで幻覚症状?全身の関節の痛み??
人によって副作用が違うし、凄く強力な薬だとは聞いていましたがまさかそんな症状があるとは。
おさかなパンさんご自身の頑張りと周囲の皆さんの支えの甲斐があって今こうしてこちらでお近づきになれた事に感謝カンゲキです。

◆MOMOさん◆

温かいメッセージを有難うございます。
そんな風に言って頂いて猛烈に照れまくっております。
これまでの人生で出逢った人達は全員が素敵な人ばかり(まあ、類はなんちゃらってやつで大概みんな一風変わってますが)なんです。
人間関係で嫌な思いを一度もした事が無いんですよ。
それだけでも私は幸せだなと。

幼い頃から甘やかされて育ったのでどうしようもない私ですが今の自分があるのは両親や友人たちのお陰だと思っています。
入院当時、改めてその有難みを実感しました。
何物にも変え難い貴重な財産です。


◆chiさん◆

chiさんも“聞いてないよ~!”な状況で心臓のご機嫌が悪くなられたんですね。
入院当時、同じ病棟で一番仲良くなった女性は幼い頃から心臓が悪くて「これまで一度も走った事が無い」と言っているのを聞いた時は風を感じながら走らせてあげたいと切に思いました。
診断の結果がちょっと悪かったからってくさってる場合じゃないぞ、私!と。
大野君を愛で続けるためにchiさんもお体を大切になさって下さいね。

震災当時chiさんは救援物資を現地に運んで下さったんですね。
各メーカーの方やボランティアの方のお力添えに頭が下がる思いです。
その節はご苦労様でした。
櫻井君の挑戦を私も楽しみにしています。


◆ワタルさん◆

そんな風に言って下さって本当に有難うございます。
まさか15年後にマニア目線丸出しのブログを始めてるとはねぇ~。
あの時の自分に言いたいです「将来すんごい楽しいことがあるで♪」と。

震災から15年です。
櫻井君のドラマについては皆さん様々な感じ方があると思います。
お一人お一人の意見は全て正しいはず。
櫻井君からのメッセージがどなたの心にも届くと信じて。


◆かおちゅうさん◆

かおちゅうさん、はじめまして!
ようこそお越し下さいました。

震災当時、かおちゅうご一家は大阪にご在住だったんですね。
今で訪れたことのある街並が一瞬にして崩壊してしまった映像を見ても状況を把握するのに暫く時間がかかったような気がします。
言葉を失いました。

あの時の事をご存知ではないお子様がたと櫻井君のドラマをご覧になって是非また感想をお聞かせ下さい。

おバカ満載のブログですがこれからも宜しくお願い致します。
また遊びにいらして下さいね。


◆ゆふさん◆

闘病生活と言っても検診を兼ねて定期的に通院するのと食事制限と顔が満月になるぐらいでして、後は呑気に過ごしていました。
入院を期に両親や祖母から注がれる愛情と友人たちの存在がどれほど大きなものだったかを初めて知りました。
それまでずっと当たり前に受け取っていた自分を蹴り上げてやりたいです。
お陰様で今はすっかり元気になりました。

私は生まれも育ちも関西ですがこれまで一度も兵庫県の人と出会う機会が無かったので震災については報道で観るものしか知りませんでした。
今回こちらで当時の様子を伺ってダーター泣いてしまって。
ドラマ化についても様々な想いがあると思いますが櫻井君が伝えてくれる何かを心して観ようと思います。

◆ナノハナさん◆

本人は3食昼寝付きで呑気に別荘暮らしを満喫していたんですが両親や祖母には心配のかけ通しだったと思います。
体力的にも精神的にもしんどかったはず。
さすがの私も診断結果を聞いた時はもんのすごく凹みました。
自覚症状が全然無かったのでまさかそんな事になっていたなんて。
“枕を濡らす”という事を初体験した夜でございやした。
と言っても数日後にはケロッとして傍若無人ぶりを発揮しまくってたんですけどね。
ふふふっ。

今回こちらで多くの方が阪神・淡路大震災を体験されたと伺ってなんだか胸がいっぱいになってしまって。
櫻井君が演じる記者さんが大切な何かを伝えてくれるような気がしてなりません。
心して観ようと思います。

◆ももさん◆

私は大変な事を乗り越えたとは思ってないんですよ。
病気になったのは悲しかったですけど根が単純なので出来るだけの事をやろうとのほほ~んとしてました。
ももさんも食事制限をされた事がおありなんですね。
ほんでもって医療に携わっていらっしゃる!
そう言えば当時の先生に腎臓は“物言わぬ臓器”と教えてもらいました。
過信は禁物で定期的に検診なんぞを受けた方がいいのかしら!?
一度掛かりつけの病院で聞いてみます。
アドバイスを有難うございました。


◆namiさん◆

お陰様で今はすこぶる元気になりました。
当時も元気だったんですがちょっと腎臓が悪かったみたいです。
健康でいられることの有難みを忘れないようにします。

ご親戚の皆さんがご無事で良かったです。
街がめちゃくちゃに破壊される映像は凄く辛かったですよね。
現地で被災された皆さんの心痛は私の想像にも及ばないものだったはず。
あれから15年です。
私も心して観ます。

◆noritanさん◆

大病を患ったという実感は全然無いんです。
幸いにも薬の副作用は顔パンッパン!だけでしたし、超適当ぶりを遺憾なく発揮して減塩生活を過ごしてましたし。

15年前の震災は忘れ難い想いを今も皆さんの心に残していますよね。
ただ黙って観ていることしか出来なかった自分をつい思い出してしまいます。
櫻井君のドキュメンタリードラマがきっと何かを伝えてくれると信じて。


◆怜音さん◆

いや~ん、賢いだなんて言って頂いて照れる・・・
有難うございます!
“まだ15年”の方も“もう15年”の方もどちらもいらっしゃいますよね。
非常事態に陥れば咄嗟の判断は凄く難しいと思います。
私は煩悩の塊なのであれもこれもと思うに違いない。

ご家族のどなたかが入院中との事ですが一日も早いご快復を。

デネルさん、皆さん、こんばんわ(>_<)

読んだ直後は涙とイロイロ胸がいっぱいでコメントが書けませんでした(T_T)
私の住んでいる地域は関西から少し西に離れているので直接影響はありませんでした。
その後に地元で起きた芸予地震での恐怖を思いだします。阪神淡路大震災に比べたら小規模ですが、初めての体験だったので今でも微弱の地震があると少し怖いです。
芸予地震は昼間の時間帯だったので外が明るかったのと職場で人と一緒だったのが救いでしたが阪神淡路大震災は夜中だったので、とてつもない恐怖だっただろうと考えるのも恐ろしいです(T_T)
自然が起こす事とは言え、もうこんな大震災が無いことを願ってやみません。

私は両親共、長い闘病生活の後に亡くしていますので、デネルさんが完治されて今はお元気なのは本当に嬉しいです。
デネルさんには元気で「智にマニアック」続けていただかないといけませんからね(^o^)

最後にジャニーズWebの町田くんのブログで入所記念日に大野くんから連絡があって「お互い頑張ろう」って話した書いてありました。
また涙(T_T)
しかも今テレビで「流星の絆」の最終回やってるし(T_T)
長文になってすみません。またコメントします(^0^)/

デネル様、皆様、こんばんは。

皆様とのここでの出逢いをあらためて
かみしめています。
デネル様がお元気になられて本当によかった。

震災の日のニュースはよく覚えています。
娘が生まれて数カ月のことでしたので
被災された、幼いお子さんをもつ方々のことを
想い、祈っていました。

翔君がうけたこのお仕事が、
翔君自身、やってよかったと思えるように。
そしてたくさんの人が翔君でよかったと思えるように。
心から願いたいと思います。

デネルさん、こんばんは。

辛い過去お話くださってありがとうございました。
読みながら涙が出てきてしまいました。
本当に完治されてよかった。
でも無理はしないでくださいね。
デネルさんに出会えたこと(ブログでですが)感謝しています。

阪神大震災、私は高校の頃でした。
新潟も少しですが、ゆれました。
修学旅行で神戸に行くはずだったのですが、ホテルが倒壊して急遽予定変更になりました。
被災地の方はものすごい苦労をされたんだと存じております。
15年経ちますが忘れてはいけない事なんですよね。
翔くんのドラマ、私もちゃんと心して観たいと思っています。

お返事頂きとても嬉しいです!
私は生まれた時からずっと兵庫なんです~。街のほとんどが綺麗に生まれ変わっていく中、街の片隅に…廃墟と化した当時のままの場所を見かけると今でも胸が痛みます。全地域の復興を願うばかりです。
デネルさん、とても大病を患われたとは思えないほど、毎日元気いっぱいの文章に感激します。
これからも是非寄せて頂きます。
ありがとうございます♪

デネルさん、こんばんは。
阪神大震災、わたしは遠く離れた九州にいましたが
大阪出身の旦那と結婚し、義母がいまだに微弱の
地震でもおびえる姿を見ると、あの大震災が残した
傷というのは大きいんだなと思いました。
私も今でもあの朝のニュース映像が忘れられません。
ご友人のために駆けつけようとするパピちゃん…
たくさんの人が助けあい、支えあい、今があるのですね。
そしてデネルさんの一大事にはご家族のあふれんばかりの愛と、ご友人のやさしさが…読んでてホロリです。
デネルさんが回復されて、本当によかった。
大野君もよくメンバーを気遣う発言をしますよね。
そのたびに温かい気持ちになるんですが
デネルさんの言葉にも同じように温かさを感じます。
だからここが大好きなんです。
これからも健康第一で、デネルと智にマニアックさせてください☆

デネルさん、神様はどうして、デネルさんをお選びになったのでしょうね。今日は心に残る話をシェアしてくださってほんとうにありがとうございます。入院生活って本当に色んな人とお友達になれますよね。デネルさんがどんなに大変な中でもナイチンゲールもビックリのユーモアで病棟全体を白衣の天使の励ましよりもずっと明るく勇気づけていたとわかります。そして今、全快されて本当によかったです。今は百合の花のようなあなたが、ムーンフェイスになったこともあったなんて信じられませんよ。おかあさんやお父さんがどんなお気持ちだったか。街角を数百キロ走ってそちらにいきhughugしたくなるほどです。
さて、翔ちゃんが地震のことを扱って下さること、本当にありがたく思いつつも、思い出したくない辛さが心の中にあります。東京でもものすごく揺れて怖かったあの日、何故、東京でなくて阪神間なのかと子どもを抱きつつも驚きでいっぱいでした。阪神淡路大地震にまつわる色んな事、子どもにまだ言えない悲しいことがいっぱいあります。マスコミの方もずっと家を離れ取材に行ったままで、毎日放送するものの報道の方向を見失ったこともありましたね。翔ちゃんのドラマが美談に終わらないことを願うばかりです。
さて、J-friendsの活動を応援してたわが子でしたが、今日その娘が涙があふれてデネルさんのブログを読めないと申しました。デネルさんと皆さんのコメントのお陰で、ご病気のこと、地震のことが実感として子どもに伝わり、悲しみを共有した様です。心より皆様に感謝致します。長文失礼致しました。

◆ぺがさすさん◆

自分の事を語るのは苦手なんですよ。
ふふふっ。
病気についても嵐の誰かが阪神・淡路大震災の何かに携わらなければこの先もずっと口を閉じてました。
ドラマを見て感想文を書くなら私の中で切っても切り離せない話なのでここは一つと思い立った次第です。

お姉さんもIgA腎症でいらっしゃるとは。
今も通院中との事で、薬が効いて少しでも良くなられますように。
宜しくお伝え下さい。

櫻井君のドラマは私も心して観ます。


◆さゆりさん◆

私は完璧でもなんでもごさんせんよ〜。
“適当”をモットーに生きてますし♪
マメになれるのは大野君限定なんですの。

あの日、息子さんが描かれた絵を今も冷蔵庫に貼っていらっしゃるんですね。
4コマに分けて描いていらっしゃる事に息子さんの絵心が伝わってきます。

当時の事を忘れない為にも15年後の今、櫻井君がドキュメンタリードラマに出演する事の意義をしかと感じ取ろうと思います。


◆レモンティーさん◆

震災があった頃はレモンティーさんはまだ生まれてなかったんですよね。
関西圏にお住まいなら少しはご存じかもしれませんが遠く離れた所だと尚更だと思います。
櫻井君のドラマで何かを感じ取ってもらえたら嬉しいです。

私も入院して初めていろんな事を知りました。
新型インフルエンザも侮るなかれ。
気をつけて下さいね。

◆てるさん◆

お陰様で今はすっかり元気になりました。
入院してた時も見るからに元気だったんですが、ちぃとばかり腎臓が悲鳴を上げていたみたいで。

物の捉え方は人それぞれですが、私はいつもいい方に目を向けるようにしています。
愚痴はいくらでも言えますが、その時間をプラスの部分に回すとあ〜ら不思議。
景色が違って見えるんですよ。
お試しあれ♪

◆タツボウさん◆

あたしゃ懐は全然広くないですよ。
ふふふっ。
“今を存分に楽しもう精神”は小さい頃から今も全然変わってません。
悩み皺はいりませんが笑い皺は大歓迎。
人生楽しまなきゃ損ですもん♪
病気になって初めて健康でいる事の有り難さを痛感しました。
大切にしなくっちゃ。

◆みきっちさん◆

お陰様で今はすっかり良くなりまして、怪獣デネゴンで日々暴れまくっています。
周囲の支えがあったからこそ今こうして元気に過ごせている事に感謝しています。

15年前のあの朝は北陸でも大きく揺れたんですか?
全然知らなかった。
まさかあんな大惨事になるとは想像だにしていなかったので時間を追うごとに悪化し続ける現地の様子に言葉を失いました。

あれから神戸には行かれました?

震災をドラマ化するのは堪えられないと思っていらっしゃる方が沢山いらっしゃると思います。
櫻井君が担い手となる事で皆さんの心が少しでも軽くなりますようにと願ってます。

◆カオリさん◆

カオリさん、はじめまして!いつもお越し下さっているとの事で恐れ入りますです。

復興以降、兵庫県を訪れたのは数回しか無いんですが、私が目にした風景は随分様変わりしていました。
カオリさんはあちらが地元でいらっしゃる?

15年前の出来事を風化させない為にも櫻井君が記者役で当時の状況を伝えてくれるのは意味があるのかもしれないですね。

おバカ満載のブログですがこれからも宜しくお願い致します。
こっそりと仰っしゃらず、気兼ね無くコメントをお寄せ下さいまし。

◆枝豆さん◆

根が単純なのでくよくよ思い悩まないんですよ。
グチグイ愚痴を言う時間があればそれを楽しい事の方に回すタイプなもので。
ふふふっ。

泣ける・・・
当時の枝豆さんのお気持ちに想いを馳せたら泣ける・・・
枝豆さんのコメントをダーダー泣きながら拝読しました。
豆夫さんから大変な思いをされたと伺い、今度は枝豆さん(あら、“豆”繋がり♪)から。
地震が起きて以降、現地の皆さんは未曾有の出来事に心身ともにさぞかしお疲れになった事でしょうね。
暖かい部屋で何不自由無く暮らしていた私には想像だにしない毎日を過ごされていたはず。
15年後の今、こうしてお近づきになれた事を誰に言ったらいいのか分からないけど「ありがとー!」の気持ちでいっぱいです。

櫻井君のドラマの感想を是非お聞かせ下さい。

◆みちのく小町さん◆

「生きてるだけど丸儲け」
大好きです♪
さんまさんのお嬢さんの名前の由来はこれなんですよね。

転職を目前に気胸になられたのは本当に残念ですが、もしかしたらそれなりの理由があったのかもしれないですね。
今は良くなられたんでしょうか?
病気になる前よりも何倍も素敵な新しい出会いがありますように。

◆とまとさん◆

ほんとにねぇ、私は愛されてるなーって。
甘やかされて育ったので自己チュー全開な生き物でして、それまでずっと当たり前に受け取っていた自分のバカさ加減を悔いました。

お陰様で父の旧友と家族の皆さんは怪我も無く震災の被害を免れました。

東北でも大きな地震がありましたもんね。
とまとさんが親しんでらした景色が一瞬で消えてしまったとは。
自分の事のように親身になって手を差し延べてくれるお仲間が沢山いらして良かった。

仰っしゃる通り今回は阪神・淡路大震災のドキュメンタリードラマですが、とまとさんのように他の土地で同じような思いをされた方々にとっても切り離せない話です。
ご覧になる皆さんの心に届く内容になる事を願ってます。

油断禁物了解!
せっかく治ったこの体を大事にします。

◆更りんさん◆

いろいろな経験と言うほどのものではないんですが、まあね、決して平坦な道では無かったのは確かです。
快適な嵐ライフを過ごすために更りんさんもお体を大事になさって下さい。

『ネプリーグ』を予約しようとしたら番組が違う!
どうやら関西は数日遅れの放送みたいです。
吉本工業、恐るべし。

◆まっきーさん◆

ご無沙汰しております!
お元気でいらっしゃいました?

大病と言えば大病なんですが、全く自覚症状が無くて本人は呑気に別荘暮らしを満喫してたんです。
電車とバスを乗り継いで遠くから来てくれる家族の方が大変だったと思います。

六甲道に行ってらしたんですね。

震災当時、少しでも早い復旧をと現地にお住まいの方々は自分の事を後回しにして不眠不休で奔走されたと後々の報道番組で知り感動で胸がいっぱいになったのを覚えています。
中には自宅が崩壊した方やご家族を亡くされた方がいらしたでしょうに、本当にご苦労様でした。
なりふり構わず団結して復興への道を築かれた皆さんに有難うございましたと伝えたいです。
毎年1月17日のあの時間に灯される蝋燭の明かりが皆さんの心の傷を少しでも癒してくれますように。

デネル様、皆様 こんにちは。 
 デネル様、大変な時期があったんですね…。でも 元気になってくださり、本当に良かったです。今こうして 困っちゃうくらい嵐が好きで楽しい毎日を過ごせてるのは、デネル様のブログと出会ったからといっても過言では無いくらい 私の嵐史の中では大きな柱になってるんですよ。 きっと皆さんにとってもそう。今 こうしてお元気で居てくださり感謝感謝です。

震災の朝、私は友人達と成人祝いをして朝方 ドミトリーに帰ってきて速報で知りました。 一気に酔いが覚めていったのを憶えています。当時 神戸の大学に進学した親友が居たので 慌てて彼女の携帯に電話、寮にも…名古屋の彼女の実家にも。でもどこも繋がりませんでした。 
その日の夜遅く、彼女の実家に連絡が付き、偶然前の週に成人式で帰省していて神戸に戻るつもりが熱が出たので戻れずに居たという事で難を免れたそうです。 泣きながら無事を喜びましたが 次々に流れるニュースで寮の友達が心配になり体の震えが止まらないと言っていました。当時 まさか自分が神戸に住む事になるとは… 引っ越してきてすぐ 近所の方に この辺りはまるで焼け野原だったよ…と特に被害が大きかった地域でした。今でも町のあちこちに 焼けただれた電信柱やブロンズ像が震災の記憶として残されています。 一昨年の小学校の卒業式は 震災を経験した最後の子供達を送り出すということで 震災と出産育児を振り返っての父兄の挨拶が印象的でした。 

来年、櫻井くんが参加するドラマが 震災を経験された方々にどのように受け止められるか… きっとこの作品を通して櫻井くんの伝えたいメッセージがあると思います。そのメッセージが真っ直ぐに 皆さんの心に届く事を切に願います。 

◆ともぞうさん◆

検査入院のつもりでふらっと行ったらそのまま即入院になってしまって。
気づいたら季節が変わってたんですよねぇ~。
入院フレンズと一緒に中秋の名月を愛でたのをよく覚えています。
家族を始め親戚一同、友人知人全員がまさか私が入院するとは!な勢いでして、てんやわんやで大層心配をかけてしまいました。

15年前ともぞうさんは道路公団関係のお仕事に就いていらっしゃったんですね。
関西方面の関連会社は未曾有の有様だったんじゃないでしょうか。
会社の皆さんの安否を気遣いながら怒涛のハードワーク大変お疲れ様でした。
櫻井君のドラマが震災を知らない世代の人たちの目に触れる事でこれからもずっと伝えていければいいですよね。


◆SALAさん◆

あんれまっ!
SALAさんもIgA腎症ですか?
みぃとぅ~♪でございます。
お仲間!
腎生検を2度はきついですよねぇ~。
何を隠そうわたくし、生検後に見舞いに来てくれた友人と話し過ぎ&笑い過ぎで針を突いたところから出血しまして、凄く往生をこいた経験が。
生検よりも検査直後の寝たきりデーよりもこれが一番しんどかったです。
数年後に透析になってしまわれたんですね。
ご自身の体と向き合っていらっしゃるSALAさんを尊敬します。
大野君にデヘデヘな毎日がこれからもずっと過ごせるように大事になさって下さいね。


こんにちは。
昨日読ませていただいて何か言いたいのにうまく表せなくて…頭の中を整理しようとしたんですけど…。
皆さんのコメントを読ませていただいて色々考えちゃいました。

震災当時、私はダンナの転勤で広島に住んでいたのでニュースで見るまで大惨事を知りませんでした。私は大阪、ダンナは兵庫出身なので慌てて実家に連絡しました。どちらも無事でしたがテレビの映像を見ていたら涙がどんどん出てきて…

人生って何が起こるかわからない。私もここ数年ホントにドラマか?これは!?ってな出来事が次々押し寄せておりまして。疲れてました。
でもね、出会っちゃったんです。大野君とデネルさんとこちらの皆さまに。
そしたらね、大丈夫なんです、私。
疲れてる場合じゃないってくらい楽しくて。
有難いことです。感謝してます。

これからまだまだ色んな私ゴト、嵐ゴトがあるんだろうな。
明けない夜はないよ…と歌って日々過ごそうと思ってます(笑)

デネルさん、ご無沙汰しております!以前コメントさせて頂いておりましたランランです、覚えてらっしゃいますか??

デネルさんはご病気の過去がおありだったのですね。今はすこぶる元気とのこと、本当に良かった…デネルさんの文面から優しさをいつも感じるのは、きっとツラい過去もひっくるめて包み込む大きな器とポジティブ精神と周りへの感謝が伝わってくるからなのだと、改めて思いました!
でも無理はどうかなさらずに…

そしてあの日のこと、コンサートの名古屋の日程を見たときから思い出していました。
当時私は7歳。九州の片隅の学校で、生徒全員が小学校内のTVに釘付けでした。
こんな遠く離れた場所から、小さなガキんちょ達にも何かできることはないか。私たちにできることはとにかく“励ますこと”でした。
授業中、顔も知らない神戸の小学生たちに手紙を書きまくったっけ。覚えたての折り鶴で千羽鶴を作ってたっけ。学校や路上で募金活動もしてみたなぁ……本当に小さなことしかできませんでした。非力な私たちでしたが、遠方だからという蚊帳の外状態にはなりなくないと、幼いながら思っていたんです。
余談ですがこちらでマグ○ム発言でお世話になりました友人Y、実は私たちが手紙を送ったいくつかの小学校のうちの1校の出身者というミラクルな出逢いでした。あの手紙も少しは書く意味があったんだなと、彼女の笑顔を見る度にこちらも救われる思いです。たとえヤツが可愛らしいド変態なニューハーフちゃんであろうとも。

長文になってしまい、すみませんどうか1月17日に、少しでも多くの方が嵐くんたちに元気をもらえますように。

P.S.過去ログを読んでビックリ!私、国立も福岡もデネルさんと同じ空間にいたんです!やっぱりあの智Tシャツのレディ方はデネルさん御一行だったんですね〜

◆ikuさん◆

ikuさんのご親戚は兵庫に多くいらっしゃるんですよね。
震災のあった日は皆さんの安否を気遣われていらっしゃったはず。
お父様もお母様も看病されるikuさんご自身も心労はさぞかし。

櫻井君のドラマは今も深い傷を抱えていらっしゃる皆さんも正面から向き合える内容でありますようにと願って止みません。
何かがちゃんと伝わるものでありますように。

◆のちょさん◆

ご無沙汰しております!
お陰様で毎日元気に過ごしております。
のちょさんはお元気でいらっしゃいました?

治ってますし、15年も前の事なので病気についてはブログではこれまでもこれからも一切触れないつもりだったんですが私の中で切っても切り離せない震災の話のドラマに櫻井君が出演するというので放送前にあの時の事を綴ってみようと思った次第です。

のちょさんは小さい頃に入院なさってらしたんですね。
病院では私も多くの方のお世話になりました。
あたしゃ随分大きくなって入院しましたがおやつとかいっぱいもらってたんですよねぇ~。
ふふふっ。

櫻井君のドラマは今も大きな傷を抱えていらっしゃる人が多いので配慮のある構成になっていればいいなと思いますし、震災を知らない世代の人達が見て何かを得られる内容でありますようにと思ってます。


◆まりこさん◆

大病と言われれば大病なんですが、私の場合、全く自覚症状が無かったので入院中は本人が一番けろりとしていたような気がします。

震災があったあの日、ご家族の安否を案じられるまりこさんのお気持ちは大変なものだったと思います。
あの時の記憶や恐怖はこの先も消えはしないんでしょうね。
実際に天涯孤独の身になられた方も沢山いらっしゃったはず。
まりこさんのご家族がご無事で本当に良かった。
櫻井君のドラマが皆さんの心にしっかり通じますように。

デネルさん、皆さん、こんにちは。

今こうしてデネルさんの所にお邪魔して、ブログが読めることに感謝しています。そしてデネルさんをずっと支えてくださった周りの方にも深く感謝・・・。

私も4ヶ月弱入院したことがありました(保険の申請時に日数を書くのですが、除夜の鐘といい勝負だなって思ってたのでよく覚えています)。
当時のスケジュール帳には、毎日の診察・検査の記録と、ちょっとした日記が淡々と書かれていて、ふざけた内容は書いてあっても不思議と泣き言を書いてないんです。表現できない程、辛いことが沢山あったことは覚えているんですが。多分文字にしてしまうと本当にどん底に落ちそうだったからかもしれません。
その後も、数年毎に入院やら手術やらと、病院とは長~いお付き合いです。今年の夏にはMRIってのを初めて体験しましたが、何事もなくほっとしてます。
デネルさん、『能天気な私もさすがに凹んだ』とさらりと書いていらっしゃいますが、本当は相当辛かったのではないかと。。。こうしてブログに書ける状態になられたことで、ニュートラルな思い出になることを願っています。

そして櫻井君のドラマは、被災者の方々やなんらかの繋がりがある方々にとっては、辛い内容かもしれないんですね。最初そんなことを考えなかった自分を恥じるばかりです。皆さんのコメントを読んで色々と考えさせられました。私も心してみたいと思います。

◆ゆうみんまんさん◆

自覚症状が全然無かったので入院中も呑気なもんでした。
あっちへフラフラ、こっちへフラフラと病棟を徘徊して一日過ごしていたような!?
後はお昼寝♪
両親や祖母や友人たちには心配をかけましたがお陰様ですっかり元気になりました。

ゆうみんまんさんは震災当時ボランティアで通訳をされてたんですね。
普段なら何とも思わないことがあの状況下で映し出されると見る人によっては「おいっ!」になる事が多々あったに違いない。
皆さんの不眠不休の頑張りによって我々視聴者はリアルタイムでニュースが見れていたのに。
ゆうみんさんのお仕事ぶりをもしかしたら私も観ていたかもしれないですね。
その節は大変お世話になりました。

震災を知らない世代の人の為や、これからも忘れないようにするために櫻井君のドラマが大きな役割を担ってくれますように。


◆かっぱさん◆

ずっと健康診断の尿検査で引っかかってたんですが大したことないわと無視してたらがっつり病気になってしまって。
それまで風邪ぐらいしか引いたことが無かったので両親も祖母も凄く心配したと思います。
友人たちも驚いてました。
多くの知り合いから「飲み過ぎだ!」と説教されましたが「肝臓ちゃうし!」ですよ、全く。
お陰様で今じゃすっかり元気になりました。

震災の直前にお母様を亡くされたんですね。
その上に早朝の大きな揺れはさぞかし。
櫻井君のドラマをいろいろ思い出しながら観ようと思います。


◆やぎのゆきちゃんさん◆

検査のある日意外はすんごい暇なんですよ。
私は自分の足で歩けたので仲良くなったお友達の所に遊びに行ったり煙草仲間とぴーちくぱーちく話したりして過ごしてました。
ちょっとしたヴァカンスてな感じだったのかも。

15年前のあの日は皆さんそれぞれの記憶がありますよね。
お子様と一緒に櫻井君のドラマをご覧になるとの事なので、やぎのゆきちゃんさんの当時のお話も併せて是非。


デネルさんが元気になられて本当によかった。周りのみなさんの溢れる愛情に支えられて今の元気な”智にマニアック”になられたんですものね。闘病生活中から周りの方々に感謝の気持ちを持たれてたことも素敵です。私の母も長く透析を続けていますので、これからもどうぞお体大事にしてくださいね。
(でもたまの”お肉&お酒”にはぜひお供します)

あの日の朝、大阪の北で一人暮らしていた私は激しい揺れの中生まれて初めて死ぬ、と思いました。しかし幸いアパートは崩壊せず、近所に住んでいた友達二人も転がり込んできてパニック状態だったのを思い出します。
で、電気が通って無意識にまずしたことが「ご飯を炊く」でした!「こういうときはな、ご飯食べなあかんねん!」と言って私が米を研ぎ出したことは今でも友達に笑われます…

「あの日の朝、どこで何をしていたか」を今でも鮮明に語ることができる、そういう特別な日ですよね。15年とは早いものです。私もみなさんと同じく心して見たいと思います。翔君、がんばって!

もう一つ、最後に思ったことを:ブログ主のデネルさんが素敵なら、やはり集うみなさんも素敵ですね!

“朝のこない夜はない”
いいえ、あるんです。くるはずだった朝が突然こなくなったんです。
デネルさん、わたしは4年前に突然父を亡くしました。
前の晩にみんなでタワイもない会話をしながら夕食をとり、
いつものように『うめ〜うめ〜』と言いながら私の作った料理を
頬張ってくれた父が、天国に行っちゃったんです。
自営業をやめて『これからはのんびりと暮らすよ〜』と言ってた
矢先の事でした。私はパニック状態に陥りその後精神的ダメージを
受け今でも通院中です。主人や娘、母にも沢山心配をかけちゃって
ます。あの日から全てが怖くなっちゃったんです。
翔君のドキュメンタリードラマは、残念だけど今の私には
きっと見れないと思います。でも、『頑張って、翔君!』という
気持ちはありますよ〜。

デネルさん、私ってね楽しかった事って割と忘れちゃうんです。
でも辛い事ってこんなにも引きずるのかと... 人によって違いは
あると思いますが、メンタル面が弱い私は、正直朝が来るのが
怖いんです。ごめんなさい。でも、こういう人間もいるんだよという
事をお伝えしたくて...
こんな私が大野君に惹かれるのは父の性格にドンピシャだからです。
性格だけじゃなく、笑顔が優しくって似てるんです。私は大野君と
父を重ねて見てるのかな〜?そこら辺は、よくわかんない...

デネルさん、完治したとは言えお気を付け下さいね。私もこちらを
訪問するのが心の支えになっている一人ですから...
長々とごめんなさい。気分を悪くされたら削除して下さいねm(_ _)m

デネルさん、こんにちは
ビールのジョッキがとても似合いそう!とイメージしていたので闘病生活のお話はびっくりしましたが、お元気になられて本当によかったです
私の夫も以前ステロイドのお世話になっていましたが、今では顔もほっそりすっかり元気です。二人で飲んで飲まれて生活しております

親戚一同が関西在住(私も生まれは関西)で、震災の時は幸いにも無事だったのですが、割れてしまったと聞き食器を送ったりといろんなことがありました。
ドラマ化って難しいと思いますが、しっかり見ようと思います。

デネルさんがお元気になられてブログを始めてくださったことに感謝です

◆かすかすさん◆

自覚症状が無かったので病院でのほほ~んと別宅住まいをしていたという感じなんです。
それでもやっぱりね、家族の愛情と友人・知人の温かい思い遣りが無ければストレスが溜まりまくっていたと思います。
入院中も担当医のインターンから煙草をやめるように言われ続けていたんですがフンッと一蹴しておりやした。

激しい揺れと余震を感じたぐらいで大切な何かを失くしていない私ですら15年前の事はずっと心の片隅に巣食っています。
実際に体験された皆さんの心の痛みや傷は私の想像だにしない深さだと思います。
あの日のことを風化させたない為にも、震災を知らない人たちの為にもドラマ化はいいことなのかもしれません。
それとは逆にそうでない人も多くいらっしゃるということも事実です。
被害に遭われた皆さんのお気持ちを傷つけることのない構成になればいいですね。

『オリ☆スタ』の浪花節夫婦パワーは凄い!!
そりゃ~売り切れ続出になるってなもんです。
素敵♪

デネルさん、おはようございます。
貴重なエントリー、有難うございました。

私もあの震災の時、震度5強の揺れで目を覚ましました。
泣き叫ぶ母、私たち姉妹の近くにあった家具を必死に押さえる父、震えながら寄り添った妹と私。
怪我人は出ませんでしたが、食器棚から食器が飛び出し、ぐちゃぐちゃでした。

親戚は神戸在住がほとんどで、全壊、半壊、色々で、避難場所での生活でしたが、幸い怪我人はいませんでした。そんな中、従兄がバイクで何度も避難場所と我が家を片道2時間かけてやってきて、水や乾電池を取りにきては避難場所のみんなに配ってました。
でも、こちらでもポリタンクや水不足で、何人かの友人がわざわざ取り寄せてくれたり送ってくれたりして、感謝感謝でした。
あれ以来、毎年あの時間には、私も起きて黙祷をささげます。
櫻井くんが演じることで、沢山の人に見てもらえたらいいなと思います。

それから。実は私も急性糸球体腎炎にかかりました。もうかなり昔ですが年末年始を病院の味のない病院食で過ごしました。
私も完治しましたが、やっぱり健康が一番ですね。

長々と失礼しました…。

◆豆夫さん◆

ご無沙汰しております!
お元気でいらっしゃいました!?

あれから15年です。
豆夫さんは震災で家を失くされたんですね。
ご家族全員がご無事だったんでしょうか!?
命あっての物種ですが、当時の豆夫家の皆さんの心痛を思うと筆舌にし難く。
て、コメントを拝読しながら泣いてたのに途中から爆笑なんですけど!!
分かります、分かります、ダウンタウンのビデオは大事です。
当時の豆夫さんにとって“本当に大事”なものだったんですよ。
私もきっと同じことをして父に本気で怒られてるはず。
心の傷がこれから先も癒える事は無いかもしれませんが豆夫さんのユーモアのセンスに周囲の方々は助けれるはず。
そして豆夫さんご自身も。

◆ここさん◆

これなんですよ~。
本当はここでは病気の話は絶対に書かないつもりだったんですが櫻井君が震災のドラマに出演する記事を読んで私の中で切っても切り離せない出来事なだけに最初で最後のつもりでエントリーしました。

ここさんにも絶対、過去の事として振り返れる日がくると思います。
大丈夫♪

15年前を思い出しながらドラマを見たいと思います。


◆ふにさん◆

ふにさん、はじめまして!
ようこそお越し下さいました。

ふにさんも関西にお住まいなんですね。
15年前の震災は多くの人の心に深い影を落とし、今もその傷が癒されていない方々が沢山いらっしゃいます。
今回のドラマを観れない、観たくない、映像にして欲しくなかったと仰る方も多いと思います。
あの日を風化させないためにも残すことの意義もあるのかななんて感じるのも確かです。
ご覧になるかどうかは当日のお心次第でいいと思いますよ。
もしくは録画しておいて「もう大丈夫」な日が来るまで封印しておくか。

おバカ満載のブログですがこれからも宜しくお願い致します。

デネルさん、こんにちは。
過去にigA腎症を患われた事があるのですね。
学生時代栄養学を学んでいたのですが、制限食の献立を美味しく作る事が大変だった事を思いだしました。
味気ない病院食を不憫に思い、お母様が献立を考えて差し入れされた食事に愛を感じます。
おまけにステロイドは食欲増進効果があるらしいので、制限食はさぞかし辛かった事でしょう。
完治されて本当に良かったです。
ステロイド経験2度ありますが確かに顔が丸くなりました
病気は辛いですね。でも病気になって気が付く事も沢山ありますね。自分の事の様に心配して支えてくれる家族や友人の大切さに改めて気が付く事ができたし、毎日アラシゴトが出来る事が当たり前な事ではなく、どれだけ幸せな事か気が付く事が出来ました。

「朝の来ない夜はない」素敵な言葉ですね。
ここに集まる大野くん&デネルさんマニアの皆様の健康を願います。

デネルさん、皆さんおはようございます。
1月17日=阪神淡路大震災があった日とすぐ出てきます。元々人の誕生日などを覚えるのは得意なほうなんですが、この日のことは関東在住の私でも強烈な出来事として記憶に残っています。
当時まだ都内勤務の暢気なOLでしたが、あの光景は信じ難いものでした。悲惨な状況をメディアを通して見ていることしかできませんでしたが、15年たった今も心に傷を負っている方がたくさんおられることに心が痛みます。
今こうして心身共に元気で過ごしていられることに感謝です。

デネルさん、元気になられてよかった。私の父も何度か入院を経験しているのですが、本当に本人も家族も大変ですよね。父も「喉元過ぎれば熱さ忘れる」なB型人間なので、ちょっと元気になると隠れてコソコソ・・っていうのが困りもんでした(笑)
トリュフさん、ベッドで爆睡って!素敵なご友人達に恵まれていますなぁ~。とにかく、もう年齢が年齢(失礼!私もです)ですし、あまり無理しないで下さいね♪

デネルさま

貴重なエントリーありがとうございます。
そして、大野くんが好きと言う事で集まっておられる方々の中に、あの震災を実体験なさっている方がこんなにも多くいらした事に驚いています。
あの朝、神奈川県在住の私は早朝に仕事に出かけた主人を送り出した後小さかった息子に添い寝しながら、TVをみていました。地震の第一報は『京都や、大坂でちょっと大きな地震があった』と言うものでした。例によって京都や大坂のTV局からのレポがあり「だいぶ揺れましたが大丈夫です」と言う内容だったと思います。いつもの事かと思い、その後数時間、明るくなり神戸からの映像がはいるまで、私達は、いつもと変わらぬ朝を過ごしておりました。その数時間の間に同じ日本の中でとてつもない恐怖や苦痛を味わっていらした方たちがいたとは全く知らずに。
今年その幼かった息子も18になります。しかし、彼に震災のあったことを話しても、まるで理解することは出来ません。(多分映像でしか見ていない私も同じかも知れません。)若い世代にも影響のある櫻井くんが、もう一度改めて伝えてくれるのは、息子達の将来にとって、ありがたいことだと感じております。
ただ、実体験なさった方たちにとっては、そんな事ではすまされない諸々がおありなのでしょうね。

私の妹もIgA腎症で、高校の頃入院生活を送っておりました。
今は、元気なようです。
デネル様も、回復なされてよかったです。
無理なさらずに、でもいつでもどこでも『智にマニアック』をお願いします。

デネルさん、皆さん、おはようございます。

震災の時、私はまだ学生でした。関西から遠い地域に住んでいながらも、ニュースの映像を見て衝撃を受けたのを覚えています。

デネルさんは大病を経験されていたんですね。
私の家族もステロイドを長く服用していたので、副作用の強さは近くで見ているのでわかります。
完治されて本当に良かった。デネルさんが素敵で気持ちのいい人だからこそ、素敵でCuteな方々に囲まれてるんですよね私も、こちらに出会えて幸せです

完治されて本当に良かったです。これからも、お体に気をつけ下さいね。

デネルさん、元気になられて良かったです。
それしか言えないけど、本当に良かった。
(ちょっと涙が出ちゃいました……)
これからも、智にマニアック 大野君へのぶれることのない熱~い思い、待ってます♪♪

デネルさん、皆さんこんばんは。

震災当時、私は大阪市内で1人暮らしをしておりました。飛行機が墜落したのかと思ったほどの、もの凄い地鳴り。その後の長い揺れ。揺れが止まって部屋を見ると、テレビは倒れてる、コップは割れてる、壁にはヒビが入っている、、何が起こったのかよくわかりませんでした。本当に怖かった。その後、神戸で大変な被害が出ていることを知りました。すごく悲しかったです。その後も余震が何回もあったので、マンションで1人で居るのがすごく怖かったのを覚えています。
・・あれから15年。櫻井君のドラマがあるんですね。心して見ようと思っています。


デネルさんは大きな病気を体験されていたのですね。完治されたとのことで、本当に良かったです。生検やステロイドの副作用・・・看る側として知っているだけに、デネルさんが実際に体験された痛みや精神的な辛さを思うと・・私は思うことでしか感じることができませんが・・胸がいっぱいになって言葉がつまります。
・・何か上手く書くことができません。でも、今を元気に過ごしてらっしゃるデネルさんがいる。出会えて良かったです。

デネル様こんばんわ☆
今回のお話で思い出すことがあったので、久々にコメントします。
実は私も数年前、ひょんなことからIgA腎炎になり、1ヶ月半入院していました。
私の場合は、小さい頃から扁桃腺で熱を出すことが多く、その蓄積で腎臓に負担がかかっていたみたいで・・・入院ついでに扁桃腺取っちゃいましたけど
生研後の24時間動くな状態とステロイドでムーンフェイスになるのが、切なかったぁ。
でもデネルさん同様、今はすこぶる元気です
タンパク質の単位とか確かお勉強したはずなのにすっかり忘れ、塩分とか気にしなくては・・・と思いつつ好きなものをいただいている毎日です。
同じ経験をしていたんだなぁって思ったら、ついコメントしちゃいました。
人のことは言えませんが、物言わぬ臓器なので、
お互いちょっぴり気をつけながら楽しく過ごせたらいいですよね

そしてあの震災の日、私は東京から実家(新潟)に帰る電車に乗っていて、震災の他にもアクシデントが重なり、早朝に駅に着くはずが2時間以上も遅れ、家に帰って見たテレビの悲惨な状況に震えたのを覚えています。
そして新潟にも地震被害にあわれた方々がいて・・・
その時、どれだけ怖かっただろうと考えると今でもドキドキしてしまいます。
ただ、復興にかける人の力はホントにすごいものだっていうのも教えてもらった出来事でした。

櫻井くんのドラマ、私も心して見たいと思います

デネルさん 皆さん こんばんは 深夜にすみません

初めに デネルさんごめんなさい 以前「全国放送を」でコメントを書かせて頂いて、丁寧にお返事を頂いていたのに、お節介な事をしたのでは…と コメント内容についてそのままにしてしまいました。本当にすみませんでした。
あれから後ろめたい気持ちで、デネルさんのコトノハに触れたいのにお邪魔する事に抵抗が…
やっと気持ちを落ち着かせ覗いてみると…
もう涙が止まりません
以前入院生活があると伝えて下さっていて、だから心の琴線に触れる詞を紡ぎ出されるのだと思っていました
私も入院経験が何度かあり、昨年はショック状態で2日間意識がなかったそうです。目が醒めた時実家の両親がそこに
朦朧とする中 安心感に包まれたのは 覚えてます。15年前東海地方でも4〜3の震度でした
揺れる中、小1の息子の頭を覆いお腹にいた子をかばい、揺れの収まるのを待ってました
弟は土木の仕事をしており、手伝いに何ヶ月か行っており。戻っても疲労困憊し食欲も落ち、暫くは母が心配してました。
こちら東海地方もいつ大地震が起こるのか…など取り沙汰される事があり、人事ではありません。
先日の台風もそうでした。
色々な気持ちがありますが、翔クンが原作を読み込んだ様だし、役にもしっかり取り組みたいと言ってくれてて、当日はしっかり見届けたいと思います。

体は一つしか無い と十分理解されているでしょうが、これからの人生ご自身の体と向き合って元気でいて下さい。(私もですね)
これからも私に元気の素をわけて下さい
勿論 『智にマニアック』で
長々と失礼致しました。

デネルさん みなさん こんばんは~^^

デネルさんが完治されて 自分のやりたい事がやれるお体になって 本当に良かった。

大野くんへの思い、周りの皆さんの事、つい見落としがちな日常の些細な事を決して人を傷つける様な事を書かないデネルさんの言葉で綴られると笑いあり涙あり、時にはハッとさせられたり..。私の心の中にストンと入って温かい気持ちになります。
ここは私にとって とっても大切な場所です。おそらく 皆さんにとっても...。

闘病中の周りの方への愛情・感謝の気持ち・自分ではどうしようもない事(病気)があるってことを知っている優しさや強さが 今のデネルさんのコトノハとなって綴られているからなんだと改めて思いました。
デネルさんくれぐれも お体慈しんでお過ごし下さいね。

私の父は幼い頃に大病を患い、何度も大きな手術を行い入退院を繰り返して、現在も検査と通院の日々を送っています。
「病気とうまく付き合いながら 楽しめることはとことん楽しむ」父とそれを支える母を見てきて思うのは「人は大勢の方に支えられて生かされているんだな」って「感謝」だなって。つくづく思います(普段は忘れがちなんですが)
体調が良い時は趣味の海釣りに出かけ「誰もいない海に船を浮かべて釣った魚を自分でさばいて食べると最高だ!」と誰かさんと同じ様な事を申しております(笑)

震災の日、関東住みの私は、僅か10日ほど前に自分が運転して通った高速道路が真っ二つに折れている映像をTVで見てショックと恐怖でTVの前から動けませんでした。
実際に被災された方々のお気持ちは 私などが推し測れるものではありませんが、櫻井くんが演じる事で 震災を知らない世代の方々や忘れかけている方々が、震災について知る・考える良い機会となったらいいなと思います。
何事にも勉強熱心で、真摯な姿勢で臨む櫻井くんが演じるドラマですから、私も期待しつつ心して見たいと思っています。

初めまして。少し前からたまに読ませて頂いてました。大野さん大好きなB型です(笑)

震災、翔くん主演の情報が届いて私も当時のことを思い出しました。
自宅は神戸市内でしたが、本当に有り難いことに自分が直接知っている人は一人も無くさずに済みました。
正直な話、あまり思い出したくないこともあるんですが翔くんを通じて私も震災を見直してみたいと思います。

デネルさんお久しぶりです今晩は。
人にはそれぞれ色々な人生があるんですね。
1日を大切に生きよう。
そう深く心に刻んだあの日から15年が経ちましたか。
明日があるとは限らないと思い知らされたあの日から少し、いや大分呑気に生きている自分がいます。
櫻井くんご出演ドラマ。憧れの街があの日どうなったか映し出される映像はまだ心が痛いですが、彼が出演する意味を、伝えたい思いを受け止めてみたいと思います。

病気はある日突然やってきます。
デネルにマニアックな私としましてはデネルさんの健康を、いつまでもお元気でいてくださることを願ってやみません。
愛情深く見守り続けておられるデネルさんのご両親とデネルさんの周りに集う素敵なお友達の皆さんもいつまでもお元気でいてくださいますように。

初めまして。
一年ほど前からこちらへお邪魔しています。
いつも読み逃げしてしまってすみません。
いつかはお礼のご挨拶をと思っていました。
いつも大野君への深~い愛ある語りを楽しく拝見させ
ていただいてます。ありがとうございます。

デネルさんの文章から滲み出てくる底抜けな明るさと
楽しさと深い考察と独特の世界観は大変な体験をされ
てきたからこそのものだったんだと勝手ながら納得。

私はデネルさんのような大病ではありませんが妊娠出産
時につわりが酷く食べ物を一切受け付けないというので
点滴のみの入院生活を1ヶ月ほど上の子と下の子の時の
2回しました。いろんな方の妊娠つわり体験など聞くと
私の様なのはまだ軽い方みたいですが、それでも入院と
なると自分の気持ちも沈みますし家族にも迷惑かけてるというのもあって今思えば気持ちにさらに負担がかか
っていたとおもいます。デネルさんの闘病体験談を拝見してその時の事が沸々と蘇ってきました。そして気力の無くなっていた私を一生懸命励ましてくれた看護婦さんの事も思い出しました。看護士さんの偉大さを深く認識
したのもこの時でした。なんか自分の事を話しちゃって
すみません。でもデネルさんのおかげで阪神大震災のこともそうですが、忘れちゃいけない事を再認識させて頂きました。ありがとうございます。
これからも大野君へのマニアック楽しみにしています。

デネルさん、一度だけ書き込みをしたことのある者です。私は大阪に住んでまして、当時は学生でした。学校は神戸で休校になり、再開後はがれきがそのままになっている道を通学していました。もう15年も経つんですね。。
そして、その頃、デネルさんが闘病をされていたとは驚きでした。ちなみに、私は大野くんの他に大泉洋さんが結構好きなので「赤鼻のセンセイ」という院内学級が舞台のドラマを見ていたのですが、そこで「うたおに」の「みちるちゃん」がIgA腎症の患者役で出ていたんですよ。だからその単語を見てハッとしました。ドラマで知識を得ていたため、大変な病気だということがわかったので。。デネルさんが病気が完治してお元気になられて本当によかったです

デネルさん、皆さん今晩は。

震災当時、義姉が芦屋市に住んでいたのですが、幸いにも被害がなく、一年後家族で訪問したときは、道路や壁のひび割れと仮設住宅に震災のなごりを見ただけでした。
今回櫻井くんのドラマ出演の話を知ったとき、彼なら真摯に向き合い取り組んで、感動を与えてくれるに違いないと思いました。でも皆さんのコメントを読んで難しい部分もあるのだということを知りました。
大変な仕事ですが、櫻井くんがんばってほしいです。

デネルさんの闘病生活のお話を読んで、本当に尊敬してしまいました。私も4年前突然ある病気を発症して2ヵ月程入院したのです。大量のステロイド投与の為に、幻覚症状と全身の関節の痛みに苦しみました。その間、家族、親戚、友人、職場の上司、同僚、牧師夫妻など、多くの方々にものすごくお世話になりました。そして奇跡的に回復したという経験があります。生かされて健康にもなり、感謝すべきなのに、いつの間にか当たり前のように生活してきていました。”のどもと過ぎれば熱さ忘れる”状態でした。
デネルさんの周りの方々に対する感謝の気持ちや心遣いが伝わる文章に、自分がいい加減にしていたことがあるということに気付かされました。ありがとうございます。

デネルさん、こんばんは。
うまく言えませんが、デネルさんの綴られる言葉の深さ、温かさ、優しさの訳が、少しだけわかったような気がします。
デネルさんの書かれる文章には、沢山の表情が見えるんです。書き手であるデネルさんはもちろん、ご家族、お友達、デネルさんを取り巻く皆さんの顔が。
沢山のことに感謝していらっしゃる。一人では今の自分が存在しないことを理解していらっしゃる。それが伝わります。

私はデネルさんの言葉に、ハッとさせられる事が何度もあります。気取らず素直で一本筋の通った方。

デネルさんのご両親のお気持ちを思うと、お元気になられて本当に良かったです…。『歌のおにいさん』の七つの子の回を思い出しました。カラスの格好をした健太くんが、お父さんの自分への気持ちを立ち聞きするところです。

私自身は有り難いことに、入院どころか点滴すら打ったことがありません。ですが、亡くなった祖母が腎臓を患い、長く透析をしておりました。

心身共に健康であることが、何より幸せであること。つい忘れてしまいがちですが、心にとめなくてはと改めて思いました。
デネルさん、ありがとうございます。

こうしてここで出会えた事に感謝しています。

デネル様、こんばんは。
今回のエントリー、いろいろと思い起こしながら読ませていただきました。
デネル様が今、お元気な様子で嬉しい限りです。
私は7年前にまさに藪からスティック状態で心臓が機嫌を損ね、それ以来、ステロイドとその他数種類の薬を服用しており、3年前にはICDというAEDの体内植え込み版を身体の中に入れる羽目になっております。治ることはないと言われたときには生きる意味があるのかと落ち込みもしましたが、なんとか病気と仲良くして生きています。
健康の大切さを身体を壊してからわかった次第です。
そして、15年前の1月17日、テレビをつけた時の衝撃は今でも鮮明です。二週間後、現地の業務支援で大阪と尼崎に出張しました。阪急電車の車窓から見えたブルーシートの風景が目に焼きついてます。お客様の話を聞いて一緒に泣きながら応対したことも昨日の事のように覚えてます。
今回のドラマがどんな内容か、震災をどう扱っているのかわかりませんが、これに翔くんがどう取り組むか楽しみにしたいと思います。
デネル様、これからも身体に気をつけて「マニアック」を語ってくださいね。

デネルさんを治してくれた大学病院の先生、看護婦さん、ありがとうございました。
デネルさんの体、ありがとう。
デネルさんを支えてくれたご家族の皆様、ご友人、ありがとう。
神様ありがとう。
こうやって、この場に遊びに来れるのも、デネルさんが健康だからこそ

阪神大震災の時、私は妹と暮らしていました。
寝ててふと目が覚め、しばらくしてから聞いた事がないような地響きが!
そして、あの惨状でした。もう15年、それとも被災された方にとってはまだ15年なのでしょうか。
考え深いです。

デネル様、初めてコメントさせていただきます。
いつも楽しく拝見させていただいていますが、今回は涙が止まりませんでした。

15年前のあの日、大阪に住んでいた私は夫が京都に出張に行く日だったのでいつもより早く起きたところでした。
すごい揺れに慌ててお腹にいる子をかばいながら、隣で寝ている2歳の娘に覆いかぶさりました。
電車が止まっていて会社に出勤もできずしばらくはTVを見ていましたが、阪神高速が横になっているのと生田神社が潰れているのを見て愕然としたのを覚えています。

一部の電車が動いていることがわかったので保育園が通常通り預かってもらえるのを確認し、とりあえず出勤しましたが仕事どころではなく、出勤できたわずかな人たちで社員の安否確認をしました。

櫻井くんのドラマについても皆さんいろんな思いをお持ちでしょうね。
あの時2歳だった娘も高校生。あの後生まれた息子も中学生。震災を知らない子どもたちと一緒にドラマを見たいと思ってます。

デネルさん,皆さん,こんばんは。

まさかそんな大病をされ,闘病生活を送られていたとは全く思いもしませんでした。
デネルさんのあたたかさ,懐の深さは,つらい体験を乗り越えられてのことだったんですね。だからこそなんでしょうか,ブログでの一言ひとことが心に響くように思います。
たくさんの愛情を受け取っていらっしゃるデネルさんだからこその,愛情あふれる言葉で綴られるブログ,丁寧な心のこもったコメントのお返事なのだと改めて感じました。
今は完治されているとのことで安心しましたが,これからもお体を大切に“智にマニアック”道を突き進んでくださいませ。どこまでもお供させていただきます♪

震災については,遠く離れた我が家でも目を覚ます揺れだったことを覚えています。
でも,申し訳ないことに関西方面に親戚,知人がいないため,すべてが画面の向こうの出来事でした。そんな人間にとっては,今回のドラマ化は震災について考えるいい機会なのかもしれません。でも,こちらに寄せられるコメントを拝読すると,それが良いことなのかどうかは,正直わからなくなりました。
いろいろと大人の事情も絡んでのことなのでしょう。
ドラマ化がすべての方にとって良いことなのか,疑問は残りますが,翔くんはきっと心をこめて演じてくれると信じ,当日はしっかりと見届けたいと思います。

デネルさん 皆さん こんばんわ!
拝読していて何だか胸がつまる思いでした・私は経験した事が無いので容易にコメントをしてはいけない気がしました。デネルさんの事、阪神淡路大震災の事。
闘病されてた時デネルさんを支えてこられたご両親やお友達のエピソード、デネルさんがとても凹んでしまった事。デネルさんはパワフルな方~と勝手なイメージを持っていました(今はそうなんだと思いますが)申し訳ありません。辛い事を乗り越え今のお元気で素敵なデネルさんがいらっしゃるのですね
それから皆さんのコメントでこちらに集う沢山の方が地震に遭遇されていて・・いつも皆さんの楽しくて明るいコメントを拝読していたので・・うれしいはずの翔くんのドラマに複雑な感情を持たれても仕方がないと思います。今年ZEROで長崎に行った時の翔くんが印象に残ってます。報道番組に関わっている翔くんが今度はドラマで実際にあった事をどう演じていくのか、何かを伝えてくれるといいです。

デネルさん、こんばんは!
仕事に追われ、なかなか遊びに来られず毎日ウズウズしておりました。
デネルさんの、闘病体験を読ませて頂いて、
色々、大変な事を乗り越えられたからこその、温かいコトノハなのだと、
なんだかジーンときました。
いつも、どんなに疲れていても、デネルさんのコトノハで、余分な力が抜けて、
いつの間にかリラックス出来るのです。
いつも癒しのパワーを頂いています。ありがとうございます。
私も、妊娠・出産で、腎臓さんのご機嫌を損ない暫くの間、
食事制限とお薬で治療しました。
そして、実は私、医療従事者でして・・・
腎臓さんは、なかなか無口なお方なので、
本当に、藪からスティックな事だったでしょう。
でも、完治されて、本当によかった!!
あまり、無理なさらず、たまには検診なんぞとやらを受けて
「智にマニアック」道を楽しく突き進んで下さい!


デネル様 こんばんは。

デネルさん、大変な経験をされてたのですね。 今は完治して元気はつらつという事で、安心しました。 私は入院の経験はありませんが、家族が入院・手術した事があるので、ご両親の気持ちはよくわかります。 健康第一ですから、これからもお体大事にして下さいね♪

あの日は私も忘れられません。 神戸と大阪にいる親戚も被災しましたが、皆怪我無く無事でした。 テレビから飛び込んでくる惨状に言葉を失い、特に高速道路が倒れてるのにはびっくりしました。 地面に亀裂が走っていて、その時初めて活断層という言葉を知りました。 あれから15年も経つんですね。
翔くんがどのように伝えてくれるか期待し、しっかりと観たいと思います。

デネルさん、みなさん、こんばんは♪

ちょいとばかり滲んだ涙でPCの画面が曇ります。。。
デネルさんが大病を克服されてお元気になられて本当に良かった。今の自分の健康に感謝するとともに、こちらを訪れる方、ご家族やご友人に少しでもお加減の悪い方がいらっしゃるとすれば、早く回復されますようにとお祈りいたします。

神戸や淡路に縁が深い浅いの違いはあれど、あの日のことは皆さんの胸に深く刻まれているのはないでしょうか。私は神戸で大学時代を過ごしました。友人たちの安否を気遣いながら青春を過ごした街が燃えるのをテレビの画面で見続け・・・心配するだけで何も出来なかった自分を思い出します。

桜井くんご出演のドラマは、被災者の方がご覧になったら辛い思いをされるのかもしれません。なので見ないという選択をされる方もいらっしゃるかもしれませんね。
でも桜井くんが主演されることによって、当時のことを知らないとか忘れかけているという方々がご覧になり、色々考えるきっかけになればいいな・・・と思います。
私も心して観ようと思います。

平々凡々な人生を送ってきた人でないというのは、文章から滲み出ておりますよ。
楽しいだけでなく、賢いだけでなく、決して人を傷つけるような文章は書かれない。

まだ15年というとご家族を亡くされた方などはまだ見られないかもしれませんね。
私は静岡県民ですが、非常持出袋を常に枕元と外から取りやすい場所においています。
でも実際にやってきたら、身一つなんとかするだけで精一杯でしょうね。

私は家族が入院中ですが、そのときは真っ先に諦めなければならないと覚悟しております。

デネルさん、皆さん、こんばんわ。

デネルさんがこんな風に過去を語られるのを初めてお見うけしたような…(違っていたらすみません)誤解を恐れずに言うと、何だか感激しています。…イヤ、なんか違うなやっぱりぴったりくる言葉が見つかりません。

実は私の姉も、確か同じ病名で現在も通院中です。
生検のための入院もしました。
病気のせいもあってかあまり体が丈夫なほうではないのでやっぱり心配ですね。デネルさんは完治されたとのこと。本当に良かった
こうやってデネルさんのブログにおじゃまできることにも感謝です
無理はなさらないで下さいね。

阪神淡路大震災、関西在住の私もあの日地鳴りで目覚めたのを覚えています。

15年経った今、翔くんがどんな風に伝えてくれるのか…その日を待ちたいと思います。

デネルさん こんばんは! あっちょっと 私あわてています。 デネルさんの事 これまで歩んでこられた毎日の事 そしてこの携帯の向こうにある完璧なblogの管理人さんをいろいろ妄想しておりました。何か個人的に書きたい事がいろいろ思い浮かぶのですが、それはまたいつか… もうすっかりお元気のようですが、やはりあんまりな無理はしないで下さいね。
と言っても毎日blog記事の更新を楽しみにしていますが…

あの阪神大震災の朝の事デネルさんの文章読んでいろいろ思い出しました。 おそらく揺れ方は同じ位 40年生きてきたあの時点で 経験のない突き上げる揺れでした。 あの朝学校が当然休みになった息子たち 小学生の次男はイラスト好きだったので あの朝の家族四人の様子を4コマの絵に書いたのですが、 あれ以来ずっと我が家の冷蔵庫にそれを貼っています。 やはりいろんな事忘れてはいけないと思うから。

そしてその時の事に関してのドラマに櫻井君が主演してくれること、確か以前何かでも震災の事を語ってくれていたし どんな演じ方をしてくれるか 期待して待ちたいと思います。

デネル様、皆様、こんばんは。

震災・・・。15年前って、私、生まれてないですね。ドラマで実感したいと思います。関西出身の親戚もいないので・・・。この記事を読んで、いま自分が生きていることにとても感謝しました。

私、入院したことがありません。闘病者の気持ちがよく分かりました。この世にはもっと深刻な病気と闘っている人がいるのに、私は豚インフルエンザだけであんなに騒いで・・・

デネルさん みなさん こんにちは
デネルさん元気になってよかったです。
”朝のこない夜はない”
そうやって…越えてきたんですね。
”智にマニアック”のあたたかさは…そんなデネル
さんならではなんですね

コメントの返事にも心が感じられます。

そして…みなさんにも…

あんまり携帯の使い方にも自信が無いなか…チョロチョロと大野くんに関するところをうろうろしましたが デネルさんに辿り着けて本当良かったと思います。
大野くんにデヘデヘしてるなか…時に人生相談したくなる衝動にかられることがあります。
先日もついブルーなどと書いてしまいましたが…
そんな空気がデネルさんにはあります。
”智にマニアック”だけでも十分癒されているんですが…
それぞれの思いの先に…
”智にマニアック”
”デネルさんにマニアック”です。
私も今を越えたいなぁ

デネルさんの、懐の深さ…今を存分に楽しもう精神…

なんだか今回の日記で少しだけ納得できたような気がします。

なんだかんだと忙しい日々を送りながら、お邪魔だけさせてもらって申し訳ない限りの「智にマニアック」…
今回ばかりは、何だか~デネルさんのように言葉にできないのですが…

今現在、デネルさんが元気に人生を楽しんでいらっしゃる事・・・それがとてつもなくありがたくもあり、ココロから嬉しくも感じます。

この先どんな事が待ってるか分からない未来ですが
大変な思いをされた事が、何倍にも何十倍にも、人を大きく・豊かにしてくれるんでしょうね・・・

今の元気な体が、無償にありがたく感じるエピソードでした。

デネルさん 皆さん こんにちわ
デネルさん何時もコメントのお返事有難うございます♪

大病され長期の入院生活、デネルさんが無事完治され「智にマニアック」をやられている現在の状況に本当に感謝しています。
沢山の愛情の中その思いをしっかり感じ受け止めたデネルさんだからこそこんなに素敵なサイトなんだって改めて思いました。
これからも無理せずお身体大事に「智にマニアック」続けて下さいね。

遠く離れた我が北陸地方、深夜の大揺れに2階で寝ていて家がどうかなるんじゃ無いかと心配した日の事は今でも体感で覚えています。
朝、続々入るニュースに家族と青ざめながら見るしか無かった。
その一年前に友人と行った神戸の街並みが又来年も来ようねと約束したのに跡形もなくなり、ショックで悲しくて思い出すたび胸が苦しくなります。
櫻井君ご出演のドラマ化。。。複雑な思いです。
出来るなら記憶の片隅でそっとしておいて欲しかった。

はじめまして。いつもこっそり読ませて頂いてます!
あの震災から15年…自分にとってはあっという間の時間でしたが、街並みを見ると「あぁ、まだまだなんだな…」と今でも感じます。
あの時を忘れないために、色々な形で伝えてくれること…本当に嬉しく、また大切に思います。
櫻井さんが演じてくれることで、心が救われる人もきっと多いでしょうね…。私も心して観たいと思います。

普段の文章からは微塵も感じられない大変な闘病の経験がおありだったのですね。完治されて本当に良かった。こちらのブログを楽しみにしている私たちのためにも、元気でいてね。


私もドストライク被災者です。あの日、何がどうなっているのか確かめるべく真っ暗闇の中を壁伝いに歩いてスイッチをプチっとしたのに電気がつかない…街灯は全部消えている、月も出ていない、漆黒の闇とはこのことか…生まれて初めて聞く地鳴りとその後必ずやってくる余震が怖い…。とにかく何も知らずに眠り続ける幼子を守らねばと、救急車、パトカー、消防車のサイレンが絶え間なく鳴り響く中、布団にくるまって震えていました。非日常的な体験って人間の感覚を麻痺させるんですね、翌日近くの小学校前の歩道に何十と並べられた行き場のないご遺体を目の当たりにしながら、「ああ、たくさんの方が亡くなったのね」と、無感動で眺めたのを覚えています。

この街は永遠に復興することがないのではと暗澹たる気分になったのもつかの間、予想を覆す猛スピードで街は蘇り、私の青春の日々を知っているあの店、この駅舎などはことごとく無くなってしまいました。最上階に映画館があり、「新聞会館」として市民に親しまれていた神戸新聞本社ビルもその一つです。

でも、あの激震地においてもあっという間に電気を復旧させてくれたK電力さん、まっきーさん、ありがとう。北海道や沖縄のプレートを付けた給水車で駆けつけてくれた自衛隊のみなさんありがとう。その水を汲みに行くタンクがなくて困っていたら無料でタンクごと水を配りに来てくれたコープさん、ありがとう、そのタンクには遠く離れた土地の生協さんの名前がマジックで書かれていたよ。お風呂が沸かせなくて困っていたら無料で電気循環風呂を設置してくれたメーカーさん、ありがとう。おむつやカセットボンベを軽トラで無料配布してくれたメーカーさん、ありがとう。本当に、みんなありがとうと思った日々でした。

こんな経験があるので、今回の翔さん主演の作品は「全くの作り物」として楽しませてもらおうかなと思っています。ドキュメンタリーと思うと「違う、そんなんじゃなかった」って思ってしまいそうなので。長文失礼しました。

ところで、翔さん、神戸ロケに来るのかしら…求む、情報。

デネルさん、皆さんこんにちは。

アースマラソンに出る際に、サンマさんからカンペーさんに「生きてるだけで丸もうけ」というような言葉を贈られた記憶しております(違っていたらすみません…)。

今年、転職して念願の職業に就けると思っていた矢先に相葉君と同じ気胸を患いました。地元を離れてやっていこうとした決意はなんだったのか…なぜこのタイミングで…などと思うこともありましたが、今生きていることでそんな風に感じることができるんだと気持ちを切り替えております!!


普通に呼吸できることに感謝!今生きていることに感謝しながら私は1月を待ちたいと思います。

デネルさん みなさん
こんにちわ
涙がぽろぽろ止まりませんです
入院時の話にしかり、震災の話にしかり。
ご両親のエレベーターの件では鼻水がぐっちゃぐちゃ
みんなに愛されてるんだなぁって。愛情たっぷりのご両親やお友達がいるって幸せなことですね。
そして、それに気づく事ができるのも、また感謝ですよね
お父様が当てもなくただ心配の一心で被害地に向かわれたのも、また涙です
私も少し前に被災しました。子供の頃から見慣れてきた景色がほとんど無くなりました
景色なんてあって当たり前で、じっくり見るなんてしなかったくせに、いざ無くなった時、あまりの衝撃と、ただ、もう悲しくて声を出して泣きました。
そんな時、真っ先に大量の水や食料を送ってくれた友人知人がたくさんいました
もう二度と経験したくない体験だけど、自分を心配してくれる人達がいるってことに、あれほどまでに感謝して心強く思えたのもあの地震のおかげです
今回は阪神大震災がテーマですが、それによって受けたキズやいろんな思いは、ほかの被災地や被害者たちにも当てはまるはず
櫻井くんが出るというひいき目だけじゃなく、しっかり心して見ることにします
長くなりましたが、デネルさん!油断禁物!
健康には注意してくださいね
同年代の透析をしている知人が時々「自分の好きな事を思いっきりできないなんて、透析するぐらいなら死んだほうがましだよね」と、冗談まじりで言うのが、聞いててとてもつらいです
デネルさんが元気だからこそ、ここも続くんですから!

こんにちは♪デネルさん
デネルさんも色々な経験があって今があるんですね‥
今ちょっと調子が悪く病院のお世話になっている私ですが読ませて頂いて頑張ろうと思いました♪
そして現在元気にピンピンしてらっしゃるデネルさんがあって本当に良かった
しかし明日から少しずつ忙しくなりますね、まずはネプリーグの翔くん二宮くん

デネルさん、みなさんご無沙汰しております。

デネルさんが過去に大病をされていたなんて初めて知りました。お元気になられて、本当に良かったです。
その経験がデネルさんの、より一層の優しさに繋がっているのですね。


昨日、用事があり神戸の六甲道へ行ってきました。
震災大火災で報道されていた住吉の隣の駅です。
翔くんのニュースを知り、私も15年前のことを思い出さずにはいられませんでした。偶然なのでしょうけど、昨日はその地に立っている自分。

朝、お弁当を作っている途中で揺れはじめ、慌てて子どもを守らねば・・・と箪笥を押さえに行った。電子レンジの上の物が落ちる程度で済んだのも、関西の端っこに住んでいたからでしょう。
何事が起きたのか分からないまま、子ども達を夫に任せ急いで車で会社へ向かった。
会社に到着すると情報が集まっていて、神戸へ向けて飲料水・食料品・薬類・毛布等の輸送、そして人材と工事に必要な資材を調達している最中だった。
「ライフラインを確保しに行く」私たちに与えられた使命でした。被災地に住む社員は自宅が崩壊していても家族を残して自分は復旧に携わらなければならなかった。全国から応援に来ていただいて不眠不休の作業により、いち早く被災地に「灯り」を届けることができた。その道のりは想像以上に厳しいものだったけれど、灯りが点いたときの人々の歓声が今も耳に残っていると、その地に立った社員から聞いています。

あれから15年、社屋ビルの窓を黒いビニールでマスキングし、1.17を映し出す。多くの御霊の冥福を祈り「命をありがとう」と感謝の気持ちを込めて1枚1枚社員の手作業で進められる。私は遠くの地で祈ることしかできないけれど、これを見る度に「命に感謝する日」を思い起こしています。 長文、ごめんなさい。

デネルさん、皆さん、こんにちは
デネルさん、4ヶ月にも及ぶ闘病生活後も完治までには2年を要されたんですね。ご両親、ご友人、同僚の皆さんからのたくさんの励ましがデネルさんをより懐深く、目線の温かい方にしたのかもしれませんね私達はそんなデネルさんにいつも励まされています。

15年前のあの朝、都内のアパートの一室で近所の犬達のただならぬ鳴き声で目を覚ましました。まさかあの時、阪神淡路であのような災害が起こったとは…
私は道路公団関連の新電電の会社に勤務していました。対応策の為に事業所に設置されたTVに常時映し出される信じられない光景に目を疑い、阪神地域の同僚、知人の安否を気遣いながらもインフラ復旧対応に明け暮れていた気がします。
辛い記憶の残る災害だっただけにドラマ化には色々障壁もあったでしょう。でも皆の記憶に残っているうちにドラマ化する意義を考えたいと思います
嵐のファンの中には当時まだ生まれていなかった方も多いでしょう。翔くんが出演することで、若い世代の方々にも災害を回避する身近な知恵や地域の連携について興味をもって貰えたらいいですね
翔くん、引き受けてくれてありがとう。
私もこころして観ます。

デネルさん みなさん こんにちは♪

デネルさんがかつて私と同じ病気をお持ちだったと知り
びっくりしています。
私は高校生の時からIga腎症で、腎生検の経験もあります。
1度目に失敗されて、2度もブスッと刺されたという経験も
デネルさんと同じように今はすっかり完治していますといいたいところですが…
出産もしましたし、腎臓が悪いと分かってから27年後に透析生活に突入しました。
今ではすっかり透析にも慣れ、病気ともうまく付き合うことができています。

それに、私には愛する嵐と大野くんがいてくれます
嵐と大野くんに元気をもらって毎日楽しく過ごせる!
嵐を好きになってよかった~!です。

デネルさん、また時々検診をされてどうか腎臓をいたわってあげてくださいね

こんにちは。

両親は兵庫出身。当時、父は白血病で長期の入院中。大震災が起きたと知った時。母は青冷め絶句しました。そんな母も片肺を取る手術から回復したばかりでした。
あの時をあの頃を私も今も忘れてはいません。

被災された方にとってはドラマ化は様々な思いが去来され辛いと思われます。
私自身、正直には浅い闘病ドラマは、時に腹立たしく感じられ。苛立つ事も有ります。
ドラマだからこそ、もの事の本質を真髄を外さずに伝え、大切なメッセージを届けて欲しいと願います。

何事も無理は禁物…。
忘れられない痛みや悲しみを抱きながら、それらを内在する自分を慈しみながら、それでも前に進みたい。

これ迄も、体当りで全力で役に挑む、櫻井翔さんに期待しています。翔さん頑張って!

デネルさん、みなさん、こんにちは。

デネルさんお元気ですか?御無沙汰してます。
いつもブログにはお邪魔してましたが、コメは超久しぶりです。
いつも明るい文面のデネルさんにこんな過去があるなんて知りませんでした。
闘病中にも病院内にお友達が増えるなんてさすがです。
私も幼稚園のころ1カ月ほど入院したことがあります。
子供なんで何の病気か?どんな病気かは当時全く知りませんでした。
家に帰れないのが寂しくて入院当初、就寝時間になるとしくしく泣いていたのを覚えています。
完全看護の病院だったので家族の付き添いは夜8時になると帰らなければならなかったのです。
泣いているときに慰めてくれたのは同室だったおばあさんと30代くらいの女性でした。
彼女たちのおかげで入院生活もだんだん楽しくなり、終いには同じフロアの病室に勝手に遊びに行って、歌って踊ってお菓子をたくさんもらって帰ってくるというずうずうしい子供になってましたっけ(笑)。
デネルさんのエントリーでそんな昔のことを思い出しました。

私は関東住みですが、あの日は朝からニュースにくぎ付でした。
関西に住む親戚に電話を掛け続け、無事を確認してほっしたのを覚えています。
ドラマにするにはディープな内容で、ドラマよりは純粋なドキュメンタリーのほうがいいんじゃないか?とも思いますが、オファーを受けたからには翔くんも覚悟があるのでしょう。
複雑な気持ちはありますが、私もしっかり見たいと思います。

長文で失礼しました。

デネル様こんにちわ。そうなんですか。大病されていたとは・・・完治されて何よりです。本当にいろんな方の愛情ややさしさを感じられていたのですね。だからこそこんな暖かいブログになっているのですね・・・。

震災・・あの時は私だけたまたま留守だったのですが・・・本当に家族は生きてるのか、もしかして天涯孤独になってしまったのかも・・・と不安だった時を思い出します。(幸い、家も大丈夫でした。)

先日テレビでNYのテロの映画も見ておりましたが・・・・たまたま知人がいたので、あの時も本当に取り乱しましたが、
正直あんまり見たくなかった映画かも・・・と思いました。

でも櫻井君は・・・大丈夫。きちんと向き合って、いろいろと勉強し考えて演じられると思います。嵐として、キャスターとして、素晴らしい一歩になると思いますので期待しています。そしていろんな人が、またいろいろと考えるきっかけになってくれると思います。

やっぱり櫻井君には今までのジャニーズの先輩がやっていない事をどんどんやって欲しいです。

デネル様、そして今ここに集える『奇跡』に感謝カンゲキ雨嵐の皆様、おはようございます

デネル様、そんなご経験がおありになったとは・・・。私自身は入院した事は無いのですが、両親が闘病した経験があるもので・・・。デネル様の闘病sceneと両親のそれが重なって脳裏に浮かびました。

でも、元気になられて良かった。治療に当たってこられた「白い巨塔」の先生方、お見舞いにこられた船乗り時代のお仲間達や長年のご友人方、そして有り余る愛情で看病に当たられたご両親に感謝ですっ。今こうしてデネル様のお庭にお邪魔できるのは、そのおかげがあってこそですもん!

それから、翔君の神戸新聞の記者役が決定したという記事を読んで、私もあの日の事が鮮明に蘇っていました。

当時住んでいた神○地方裁判所付近は、被害はあまり無かったのですが、交通が完全に麻痺していたせいで学校は通学不能。どうしたものかと思っていたところ、神○市役所が通訳ボランティアを募集と発表したので、取り急ぎダー。2週間くらいpress centerにて、ごそごそしてました。

内外のpress関係者が不眠不休で情報収集に集まるところ、それは思った以上に修羅場。被災者でありながらわが身を省みず任務に当たる方が犇いている状況下、互いに励ましあう中で笑顔が画面に映ると、「何笑ってるねん」と視聴者からキツイお叱りのお言葉が・・・。食事をとる場所も時間も無い中、食事代わりに机に置いたクッキーが画面に映ると「お茶しながら仕事してんのかっ」とお叱りの意見が・・・。報道に悪意があったとは思いませんが、伝えたいことが伝わらない、あるいは間違って伝わる悲劇に。(ま、生きてるだけましなのですから、こんなこと些細なことかもしれませんが。)

一方で、この時とばかりに私利私欲にまみれて色々売り込みに来る人がいたり・・・、極限状態っていうのは人間の色々な面が出てしまう場所なんだな~って思ったものでした。

あれから月日がたって、多くの人の記憶から消え去られようとしている中、翔君主演のドラマ放送を切っ掛けにこの震災が思い出され、見た人が今ここに生きていることの素晴らしさを実感し、生かしてくれる全ての奇跡に感謝してくれたらいいなって思いました

おはようございます。秋晴れの爽やかな大好きな季節です
デネルさんが貴重でディープな5年の船乗り時代の後にそんなご病気をなさっていたとは・・・・・若い娘のご病気にご両親様がどれほど心配なさったことか・・・
とてもよくわかります。ご両親やおばあちゃまやお仕事仲間やご友人・・・デネルさんはいつもたくさんの愛情に囲まれていらしたのですね。素敵
今では朝の来ない夜はない・・・の格言が出てくるデネルさんを、健康になってくれてよかったとお思いになられていることと存じ上げます。
本当にお元気になられて良かったです。でないと智にマニアックを綴って下さる方は他にはいませんもの
私はちょうど震災の日は、母が亡くなり3週間程で1歳の上娘と共に実家におりました。地震の日だけは母のことは頭から消えておりました。淀川近くの実家は幸い外壁にヒビだけでしたが、この世のものとは思えない地響きと揺れでした。私もいろんなこと思い出しながらドラマを拝見しようと思います。

デネルさん、皆様こんにちわ。いつも明るく元気なデネルさんにそんな過去があったとは。各病棟にお友達って優しい同僚、思いやりのあるお友達。デネルさんのお人柄が出てますね。素敵デス 15年前の阪神淡路大震災。私も関西の片隅で経験しました。冷蔵庫の上に置いてたゼリーが落ちた程度の揺れだったんだけど、スッゴク怖かった当時、彼が神戸に住んでいて震源地を知って慌てて電話したっけ。携帯なんてまだ普及してなくて安否が判るまで怖かった彼からの第一声は『生きてるぞ~!』でした。これからきっと生まれてくるであろう彼の子供に、この事実を伝えないとと思い新聞記事をスクラップまでしてました。(今はなぜか嵐さんのスクラップはできず雑誌は山積み常態あの時できて今なぜできぬ)子供も11月で10歳になります。(嵐さんと一緒なのがちょっと嬉しかったりします)伝えるのには絶好のチャンス。子供と一緒に心して見るつもりでございます。

人に歴史ありですね。
そんな大病と闘われた経験がおありだったとは。
四ヶ月以上、周りの方への感謝を忘れず気丈に頑張ってこられたんですね。
デネルさんの優しさ、懐の深さの理由が少しわかった気がしました。
ますますファンになりました!
完治されたとはいえ、お体お労りくださいね、えぇ、タバコとかお酒とか(笑)
ま、私もお酒とお肉とキノコには目がないからそんなご無体は強いられませんが…んふふ。

櫻井君のドラマ、関東人の私ですら「大丈夫かなぁ」と若干心配でした。
まして神戸淡路、京阪にお住まいの方の複雑な想いはいかばかりかと。
とてもデリケートなトピックです。
ドラマって、脚本や演出次第では、視聴者の不快感の矛先は主演俳優に向けられがちです。
しかも、この嵐旋風のタイミングで、S兄さん贔屓だったフジテレビ系列が「櫻井君を報道の人として起用」というのが、
何だか微かな異臭をぷわ〜んと放っているような気がしてしまいました。
穿った見方とはわかっていますが、なんか違和感。
もしこちらに局の関係者の方がいらしたら本当に申し訳ありません。

何はともあれ、問題は局の政治よりも、
あの日あの時を「再現」したドラマの重さです。
被害を遭われた方々の心を傷つけるような内容にならないといいな、と強く思います。
櫻井君はきっとしっかり向き合って取り組まれるはず。
脚本や演出の方、頼みますよ


最後は楽しい話題で……


オリスタ、私も慌てて買いました。
金曜発売の雑誌が、土曜日には都内の大型書店二軒ですでに売切れ、て!?
恐るべし、山コンビ効果!?
なんとか三軒目でゲットしました!
も〜ぉ、大野君の足の裏、こちょこちょしたひ〜
大野君の英語、早く聞きたひ〜
「時計じかけのアンブレラ」をダンス付き(もちのろんで3104振付)で歌番組にて歌って欲しひ〜

デネル様ご無沙汰しております。もうあれから15年ですか...当時まだティーンネイジャーだった私も今では無事三十路の山を越えました。(泣)
震災のことは一生忘れません。私激震地に住んでまして。今では跡形もありませんが、心の傷跡は消えるわけがありません。
17日震災当日「もうこの家には住めないから。本当に大事なものだけ持って逃げろ。」と言われ、泣きながら身支度をしたっけ。紙袋二つに山盛りの録りためたビデオ(主にダウンタウン)を持って逃げようとして本気で怒られたっけ。いざというときには気が動転するものですね。(笑)
それにしても15年後立派な大人になっているはずだったのに、まさかこんなにもアイドルに骨抜きにされているとは...人生何が起こるか分からないものです。
とりあえずあの時どうなっていたか分からないくらい凄い場所に住んでいながら今も元気にうちわを振っていられる幸せ感じずにはいられません。
櫻井君が演じてくれることでまたたくさんの方が震災のことを思い出してくれたらいいなと思います。

デネルさん、皆さん、こんにちは〜。

以前にコメントのお返事をいただいたときに、デネルさんも大病をされたことがあるのかな?って思った事がありました。
この15年前のことだったのかな。
今日のエントリを読ませていただいて、私も今、たくさんの優しさに囲まれてる事を改めて感じました。
デネルさんがよくなられて、本当に良かった。
いつも優しいお返事をありがとうございます。
そして、私もまた、いつかこんなふうに過去のこととして振り返ることができたらいいな。

阪神大震災は友人が尼崎に住んでましたので、何とか連絡をとろうとしたもののなかなか通じず、数日後に家のなかはぐちゃぐちゃになったけど無事だったと聞いたとき、本当にほっとしたことを思い出します。
私も櫻井くんのドラマ、心して観たいと思います。


デネルさんこんにちは。いつも楽しませていただいています。
今日のエントリはすごく考えさせられました。デネルさんの文章はこういう内容も不思議にすっと入ってきます。
私は近畿住人です。素直に言えばドラマ化は複雑です。いろんな意味で。嵐ファンです。翔くんが真摯に取り組んでくれるだろうこともわかっています。
でも正直このドラマ化のニュースは喜べなかったです。
デネルさんのエントリを読ませていただいて、見るか見ないかもう一度ゆっくり考えようと思いました。実際にあった出来事のドラマ化っていうのはやるほうも見るほうも難しいですね。

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