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2011年7月25日 (月)

初めて知ったこと

ほぼ幽霊会員となっているスポーツジム。

仕事帰りに一ヶ月ぶりで行ってきました。

一ヶ月前に聞いた新しい筋トレマシーンの使い方をころっと忘れちゃって。

あれこれインストラクターのお姉さんに教わっていたならば、身長に合わせてマシーンの角度を調整するそうな。

お姉さん:  だいたい160センチぐらいですか?

私:  は? ひゃくろくじゅう?

お姉さん、Pardon!?

わたくし、小学生の時で既に160センチあったんですけど!?

あれからうん万光年。

かなり成長してるんですけど!?

167センチあるかないかぐらいなんですが、初めて160センチと言われました。

食欲旺盛のあまりこの数か月で横幅がグインと広がったから実際より低く見えたのかしら!?

チキショ~、痩せてやる!!

週に一度はランチタイムに必ず食べている大好きな王将の皿うどんを断つ!!

ヤフーのトピックスでエイミー・ワインハウスさんが急逝された事を知りました。

最近ではスキャンダラスなニュースばかりが先行して本業の話を全く耳にしなくなっていたんですが彼女のパワフルな歌声が好きだったんですよねぇ。

ご冥福をお祈り申し上げます。

27歳か。

若い。

若すぎる。

リアルタイムでは存じ上げませんが確かジャニス・ジョップリンさんもこれぐらいの年代で亡くなったような!?

そしてもう一つ。

映画『ハリー・ポッタ○』の名前を言ってはいけないあの人を演じている俳優さんの正体をさっき知ってドドドドドびっくり!!

マジでぇ~!!

うっそ~ん!!

特殊メイクってば凄い!!

デネルでございます。

本日は『智にマニアック』はお休みでございやす。

何故ならば、目が猛烈に疲れたから。

これより以下はアイドルグループ嵐にまつわるエトセトラは登場しませんし、明るい話題でもないのでご興味の無い方は今すぐ回れ右をして出口へとお急ぎ下さい。

父の父、それすなわち私の祖父。

亡くなった祖母が絶大なるLOVEだった私のおじいちゃん。

祖父は戦死してまして、私は遺影の写真でしかその姿を知りません。

海軍にいたそうなんですが軍服?姿のおじいちゃんはそりゃ~もぉ~、めちゃくちゃ男前なんですよ。

そらおばあちゃんもペロッとまるっと惚れるわ!てな勢い。

とても温厚な人柄だったそうです。

写真の祖父は目がクリッでキリッでもっすごダンディ。

同じDNAを継いでいるはずなのにパピちゃんてばゴニョゴニョゴニョ・・・・

孫である私も残念な結果でゴニョゴニョゴニョ・・・・

いかん、持病の“話が脱線しまくり病”が。

祖母亡き今、遺族会の取りまとめをしているのが父なんです。

と言っても町内の分だけですが。

ご遺族の皆さんがかなりご高齢なので、年の若い父がまとめ役を引き受けたそうな。

と言っても基本的には母が父の代わりにやっているんですが。

パピちゃんめ!!

ゴラッ!!

数年前に更新されたきりの会の名簿を新たに作り直すとの事で薄毛な父に依頼されて私がパソコンで表を打ち出しました。

我が町内だけで53人。

戦没者のお名前、どこに所属していたか、生年月日、戦死した場所、戦死した日、ご遺族のお名前、ご遺族の生年月日、ご遺族のご住所、などなどなど。

リストを作成している時になんかグッときたんですよね。

ご家族を置いて若くして亡くなってしまわれた皆さんの無念というか悲しみというか、なんていうか、う~ん、上手く言葉で表現できないんですけど。

残されたご家族もさぞお辛かっただろうなと思って。

フィリピンで亡くなれた方、沖縄で亡くなられた方、ビルマ(今はミャンマー)で亡くなられた方、どこどこ海峡で亡くなられた方、鹿児島で亡くなられた方、中国の○○県、もしくは○○省で亡くなられた方、どこどこ手前で亡くなられた方、中には終戦後にシベリアで亡くなられた方もいらっしゃいました。

“どこどこ手前”は多分、特攻隊でいらしたのではないかと推測されます。

生年月日と戦死された日で計算したらとてもお若いんです。

どの方も“どこどこ病院”というのはありませんでした。

おうちに帰りたかっただろうな。

ご両親や奥さんやお子さんに会いたかっただろうな。

小学生の頃に社会科の授業で『おじいさん・おばあさんに戦争の時の話を聞きましょう』という課外授業がありまして、感想文を書かないといけなかったので祖母にちょろっと尋ねたぐらいで全く興味の無かった少女Dはそのままスルーしてしまって。

父とも話した事は今まで一度も無かったですし、父も自らは語りませんし。

後悔先に立たずですが祖母からおじいちゃんのことをもっと教えてもらっておけば良かったです。

名簿にタイピングミスが無いか父と一緒にリストの照合してたんですが、昨日の夜初めて、ほんの少しでしたが祖父のことを聞きました。

偶然か必然か、勤務先の社長が“研修”と言う名のゴルフコンペでつい先日宮崎に行きまして、大野君がいつぞやのファンクラブ会報でも訪れていた鹿児島にある知覧特攻平和会館に行ってきた話を伺って、これまたどうにもこうにも。

涙が。

泣ける・・・・

平成の時代に何の苦労もせずぬくぬくと暮らしている私は生かせてもらっている。

無駄にしてはいけないと改めて思いました。

ありがとうございます。

おじいちゃんとお酒を飲みたかったです。

しまった!!

祖父は下戸なんだった!!

柄にもなくちょっと今日は真面目なお話でした。

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コメント

◆枝豆さん◆

お父様は沖縄で従軍してらしたんですね。
入学と同時に卒業アルバムを撮影するという事は、やはりアレなんでしょうか?
もしかしたらもう帰って来れないかもしれないから?

『硫黄島からの手紙』で二宮君が演じた西郷さんのように米軍の捕虜に。
手厚い看護を受けられたんですね。
お父様が無事生還されて、今この時、この瞬間に枝豆さんとこんな風にやり取りをさせてもらっている。
どこに向かって叫べばいいのか分かりませんが「ありがと~!」です。


投稿: デネル→枝豆さん | 2011年7月28日 (木) 12:06

◆まおさん◆

長崎の平和公園には行った事はあるんですが原爆資料館は訪れたことが無かったです。
やはり地元の皆さんは授業で我々以上に多くのことを学ばれるんですね。

おじい様はシベリア抑留で捕虜に?
今回リストを作っていてお一人シベリアで亡くなられた方がいらしたんですが、これまで私の中ではシベリアで捕虜になられた方のお話はテレビや本でしか見聞きしたことが無くて、自分には別世界のことで、まおさんのおじい様のお話で初めて「本当にいらしたんだ」と実感しました。
まおさんには一度もお話にはならなかったんですね。
思い出したくないからなのか、孫には自分の過去を知られたくなかったからなのか、どんな理由にせよご自分の胸の内にずっと留めていらっしゃりたかったんでしょうね。

日々のほほ~んと呑気に暮らしていますが過去の皆さんのお陰で今こうして生きていられる。
感謝しないとダメですよね。
まんまんちゃんあん。


投稿: デネル→まおさん | 2011年7月28日 (木) 11:58

◆くまともさん◆

フィリピンで戦死された叔父様がいらっしゃるんですね。
当時は「お国のため」が前提で自分の意思とは関係なく戦地に行かなければいけなかったので現代では考えられないようなことが罷り通っていたんですよね。
『当たり前のこと』が今とで全然違う。

祖母はあっちで祖父と手を繋ぎながらスキップなんぞしているはず♪
くまともさんの叔父様も笑顔でいらっしゃることでしょう。

そうですよね、震災であらゆる方面・分野で復興に携われていらっしゃる方々も戦時中に日本を守って下さった皆さんと相通じるものがありますね。

私の方こそ、嵐とは何の関係も無い話しにお付き合い下さって有難うございました。
ここで皆さんから貴重なお話を伺えて良かったです。

投稿: デネル→くまともさん | 2011年7月28日 (木) 11:50

◆ゆかゆなさん◆

私の方こそ、その節はメールを下さって有難うございました。
いつもお立ち寄り下さっているとのことで有難うございます!

ゆかゆなさんのコメントを拝読して作成したリストの中に一度に3人のお兄さんを亡くされたご遺族(一番下の弟さんかな?)がいらっしゃるのを思い出しました。

おじい様もおばあ様も戦争のことはあまりお話にはならなかったんですね。
うちもそうでした。
祖母も多くは語らなかったな。

また是非コメントをお寄せ下さいませ♪
お待ちしております!

投稿: デネル→ゆかゆなさん | 2011年7月28日 (木) 11:41

◆絵理亜さん◆

今までは戦死した祖父と亡くなるまでずっと一緒に暮らしていた祖母をメインにざっくりと戦争というものを捉えていたんですが、皆さんから寄せて頂いたコメントを拝読して見方や考え方が変わりましたし、ここで教えて頂かなければこの先も知らずにいたであろう大切なことを学べました。
『黒い雨』って田中好子さん主演で映画化されてるやつですよね?

絵理亜さんのところもそれぞれの代で同じ場所に同じアザが♪

投稿: デネル→絵理亜さん | 2011年7月28日 (木) 11:33

◆たまさぶろうさん◆

父方のいとこ達は全員背が高いんですよ。
身長に関してはこちら側のデオキシリボ核酸が強かったようです。
たまさぶろうさんは155センチの小柄さんでいらっしゃるんですね。

戦後の混乱期に大黒柱を亡くした祖母と父たちはとても大変な生活を強いられたそうですが根があっけらかんとしているのとどこのお家も同じなので「辛かったけど楽しかった」と生前の祖母が言ってました。 

毎年終戦の日に慰霊祭があるんですけど、足腰が弱ってしまっていた祖母の付き添いで一度だけ東京まで行ったんです。
「今もあなたのことを忘れていませんよ」と手を合わせながら空にいる祖父に話しかけていたのかなと思って。

投稿: デネル→たまさぶろうさん | 2011年7月28日 (木) 11:24

◆yumiyumiさん◆

どうぞどうぞ何度でも~♪

小さい頃『はだしのゲン』は実際に広島で起きた事なんだというのは頭では分かっているんですが、あんなに怖い事が本当に?と心が全く理解出来なくて、考えれば考えるほど怖かったんですよね。
大人になった今改めて読み直してみよう、とは怖いからやっぱり思えず。

これまであまり深く考えずお盆を迎えていましたがご先祖様だけに限らず今の自分がこうして元気に過ごせていられるのは皆さんの多くの犠牲と努力の上でのことなんだと実感する2011年の夏。

投稿: デネル→yumiyumiさん | 2011年7月28日 (木) 11:16

デネルちゃん

阪神大震災のエントリーの時に経験談書いて泣かせちゃったから今回は傍観しようと思ってたんだけど、皆さんの真摯な書き込みを読んで、つい書いてしまっていますcoldsweats01

年がバレますが、父が沖縄戦の生還者でした(でもジャニス・ジョプリンはリアタイでは知りませんでした、父の遅い子供ということで 笑)。当時、関西を離れて東京の大学に行っていた父ですが、いつ召集されるかもしれないというので当時は入学と同時に卒業アルバムを撮影したとのこと、納屋にあったそれには、まだ幼い顔の学生さんたちが神妙な面持ちで写っていたのを覚えています。

ご存知の通り沖縄戦は文字通り熾烈な戦いで、父には辛い思い出ばかりだったのでしょう、私たち子供にもあまり話すことはありませんでした。一つだけ皆さんにお知らせしておくとすれば、父が助かったのは米軍の捕虜になったから、ということです。つまり、もし負傷したとき(至近距離からズドンと撃たれたわけですが)味方に助けられていたら、当時の日本軍はもはやロクな医療環境にはなかったのでおそらく父は命を落とし、私は存在しなかったはずということです。ホスピタルとなっていた米軍テントは素晴らしい医療施設で、抗生物質などの薬も豊富にあり、それを知った時に父は「日本は確実に負ける」と悟ったそうです。そして、アメリカ兵たちは負傷した日本兵を大切に扱ってくれたとhospital

そんな父もすでに鬼籍に入って久しく、こうして私は日夜アイドルに癒されながら平和な日々を過ごしています。昔のこと、それが今に繋がっている。そんな当たり前のことをたまには思い出すことも必要ですね。エントリーありがとう。

長文失礼しました。

投稿: 枝豆 | 2011年7月27日 (水) 19:26

デネルさん、こんばんは

色々と考えていて、コメントが今になってしまいました。
私も地元の近くの、長崎の原爆資料館等には小学生の時に行ったり、原爆の話も何度も授業で色々と知りました。
高校生の時に知覧にも旅行で行きました。10代で命を落とされた方達も沢山いました。

そして祖父は、一度も話すことはありませんでしたが、終戦後シベリア抑留で捕虜になっていました。脱走して何とか命を落とさず済んだのです。祖父母は満州にいましたから、祖母は叔父と叔母を残留孤児にすることなく、日本に引き上げることができ、本当に幸運でした。
祖父が必死に生きてくれたおかげて、母が生まれました。デネルさんのおっしゃる通り、大切に引き継がれてきた自分の命。どんなことがあろうと、無駄にしてはいけません。そして、もう今は亡き祖父のために、祖父の想いを新しい命へと引き継いでいくことが、最大の供養になると感じます。

投稿: まお | 2011年7月27日 (水) 02:40

デネルさん 皆さん こんばんはmoon3
毎年8月は必ず行くのがお墓参りなのですが、『25才フィリピンにて戦死』と書いてある叔父のお墓があります

自分がその年齢に達した頃は、叔父はどんな気持ちだっただろうと思ったものですが、息子を持った今、母親の気持ちや恋人の気持ち、いろんな立場から考えるようになりました

朝の連続ドラマ『おひさま』で、少し前は戦時中のお話をしてました
主人公が、赤紙が来ていた男性と結婚して、式の次の日に出征するというシーンや、大好きなお兄さんが戦死するシーン、悲しい事がてんこもりで、朝から泣きっぱなしでした

今の時代を生きているのは、そういう方々のお陰なんだなぁと、しみじみ感謝の思いを噛み締めています

私は神様や天国を信じています
だから、デネルさんのおじいさま、おばあさまを始め当時おつらい思いをされた皆さんが、天国で幸せに過ごしていらっしゃるといいなと思います


話は少しずれるかもしれませんが、今、原発事故を何とか収めようと奮闘されている方々や、被災地で活躍されていた自衛隊や警察、消防、自治体の方々もまた、命を懸けて任務をされているという点では、戦時中の方々に通じる所があるような気がして、いつも、無事を祈っています

震災だったり節電だったり景気悪かったり放射性物質だったりなかなかヘビーな世の中ですが、日本を元気にしてくれている嵐さん達を見習って、私もとりあえず笑顔でいようと思います
デネルさん、みなさん、大切な事をエントリーして下さってありがとうございました

投稿: くまとも | 2011年7月27日 (水) 00:45

デネルさん、こんばんは。
以前一度だけメール(パソコンから)送らせていただきました、ゆかゆなと申します。その節は丁寧なお返事をいただきましてありがとうございました。
毎日楽しく読ませていただいてます。
今回、戦争のお話を拝見して私も祖父母の事を思い出しました。2人とも戦時中の話はほとんどすることは無かったですが、戦死した兄弟の写真が家に飾られていて、子供の頃から朝夕必ず手を合わせるのが日課になってました。深く考えずにしていた事ですが、今思えば大切な事を伝えてくれてたんだなあと思います。
漠然とした文章になってしまってごめんなさい。
またお邪魔させていただきますね。

投稿: ゆかゆな | 2011年7月27日 (水) 00:12

デネルさん みなさんこんばんはconfident

昨夜に引き続きの二度目のコメントですが。

私もコーヒーブレイクすれば良かったかな・・・
昨夜、色々と考えすぎてうまく言葉にできなくて・・・。私もそこだけは声をだして言いたかったのですが悶々としていて、今、たまさぶろうさんのコメントを拝読しまして 何だか思っていたことを代弁していただいた気にさせてもらいました。

yumiyumiさんのお言葉に胸が詰まります
何度も読み返しました。
我が家には「黒い雨」という本があります。折に触れて戦争や広島や長崎の話をする機会がありまして、娘が中学生位の頃に自分で購入してほんの途中までしか読む事ができませんでした。目はそむいても心まではそむかないでくださいという言葉が胸にじんと響きました。二度とおこさない、おきてはならない この出来事を語りつぐこと、まだ苦しんでいる人々がいるという事 平和を維持することが御先祖様の供養に少しでもなればよいと。
又々、文章表現できなくてうまく伝えられなくなりました。デネルさんのお家でのお話をきっかけに、考えさせていただく機会になりました。

PS:ホクロが三人ともにsign02不思議ですよね〜じつは私と次女と後で聞いたら曾祖母のおしりの下に同じ位のいちに茶色の四角い小さいアザがあるんですcoldsweats02
あっ、私の情報はいらんですねsweat01sweat01長くて失礼しましたdespair次のマニアック話の時にテンション上げupてきまーすnote

投稿: 絵理亜 | 2011年7月26日 (火) 23:28

デネルさん、みなさん、こんばんは。デネルさん、いつもお返事ありがとうございますconfident

いいなぁデネルさん、背が高くて。こちらにいらっしゃる皆さんも、結構高めな方が多いんですね。私は、学校の朝礼とかで前から4番目より後ろになった事がなく、今155㎝ちょこっとですcoldsweats01。あと2〜3㎝は欲しかったな〜。余分なお肉を使えば、それ位簡単に伸びるんですけどねsmile

お祖母様やお父様、ご家族の皆さんはさぞ辛かったでしょうねdespair。もちろん、お祖父様も。「お国の為」という一言で命さえも道具にされた、今では到底考えられない時代。確かに戦争は半世紀以上も前に終わった事ですし、今と向き合う事も大事ですけど、でもだからこそ、あの時代を忘れてはいけないなと。「そんな昔の事知らな〜い。関係な〜い。」ではいられませんよね。あの時代を生き抜いた方やご遺族にすれば、いまだ過去の事ではないでしょうし、今この時代があるのは、そういう方達がいて、これまで頑張ってくれたからこそですもんね。改めて色々と考える良い機会になりました。ありがとうございますconfident。お祖母様とお祖父様、向こうでラブラブな時間を取り戻せていたら良いですねhappy01

投稿: たまさぶろう | 2011年7月26日 (火) 20:32

再びすみません、yumiyumiです。
「はだしのゲン」は私も読めません。ほとんど読んだ事ありません。マンガですが、余計リアルな感じがします。
夏の暑い日、小学校の日に焼けた図書室で、「はだしのゲン」の存在を感じた時は、相当怖く感じました。手に取ることも出来ない位です。
例え目をそむけてしまっても、心をそむけない事が大切だと思います。
何十年も昔の事になっても、私はその時の人たちがいたから、その出来事があったから、今の私達、今の日本があると思っています。

たまたまその時代に生まれてしまっただけのこと。
その時代に生まれて、強引にも命を奪われてしまったり、例え生き残ったとしても、異常な経験をした事を記憶したまま生きていくのも・・・と思うと、私は決して知らんぷりしては過ごせないです。
これは人災だと思うので、起こさない様にすれば出来る事だと思います。
これから先、私達人間は、同じ事が起こらない様にしなくては。
「大和ミュージアム」は呉港にありますね。
生まれた地域は関係なく、もし条件が揃ったら、誰もが資料館なり、ミュージアムなり、足を運んで見るべきだと思います。
再び、長々と失礼しました。m(_ _)m

投稿: yumiyumi | 2011年7月26日 (火) 17:20

◆i-yaさん◆

英語で論文!!
クラクラくる・・・・
眩暈が・・・・
ディスカッションで点を稼ぐなんて持ってのほかですな。
なんのこっちゃさっぱりで理解していない私は訳も分からずテキトーにずっと「アーハン」の連続とみた。

投稿: デネル→i-yaさん | 2011年7月26日 (火) 16:16

むふっ。英語で受講しております~。
これが面白いことにね、英語が母国語じゃない人の方が論文とか高得点取れたりするんです。
文法とか、母国語として英語使ってる子の方が結構めちゃくちゃで。笑
その分ディスカッションとかで皆得点稼ぐんですけど(逆に留学生はディスカッションがニガテ)。
私が今取ってるクラスはオンラインでのクラスなので、ディスカッションも掲示板上で行われます。
英語が外国語の私にとってはアドバンテージでございます。オホホ。

投稿: i-ya | 2011年7月26日 (火) 14:25

◆みちのく☆小町さん◆

みちのく☆小町さんで170センチぐらい?
そんなに身長差が無いと思うんですけど、目に見えてくっきりはっきりと大きな違いが。
それは、体重!!
チキショ~、みちのく☆小町さんてばもっすごスリム♪

自分の意思と関係なく命を落としてしまわれた方々は戦時中も震災の時も沢山いらっしゃるんですよね。
命の大切さを改めて感じました。

投稿: デネル→みちのく☆小町さん | 2011年7月26日 (火) 14:20

◆ぴょんちさん◆

お久しぶりです!
と思いきや、ずっとお立ち寄り下さっていたとのこと。
あーざっす!!

そうなんですよ、大野君はコンサートの他に知覧特攻平和会館を訪れたんですって。
特別な場所なので会報以外でももっと多くのことを見聞きしたかったんですが残念ながら。

地元・鹿児島の皆さんは学校で揃って行かれるんですね。
何年か前に母が訪れまして、家族に宛てられた手紙や写真に涙が止まらなかったと言ってました。
ほんでもって我が社の社長も。
そして一度も行った事がないくせに話を聞くだけでゴーゴー泣く私。

こちらでは今「鹿児島にいらっしゃ~い!」なCMがよく流れてますよ♪


投稿: デネル→ぴょんちさん | 2011年7月26日 (火) 14:08

◆絵理亜さん◆

エリンギが160ちょい越え(あれ?もっと高かったかな??)ぐらいでして、絵理亜さんの想像していらっしゃる私より実際はもう少し背が高いです♪
そして横幅もえらい事になってます。
痩せなきゃねぇ~。
でもこってりジューシーな食事が大好きなんですよねぇ~。
大野君のハバネロボンレスも後何回かは食べたいしねぇ~。

私は小学校の修学旅行で原爆ドームに行きました。
当時は怖くて中を殆ど見ずにダッシュで駆け抜けた記憶があるんですが大人になってから改めて訪れた際に目を背けるのは皆さんに対して失礼だと思い時間をかけて館内を鑑賞しました。
沖縄も多くの悲しみがありましたもんね。

遺影の祖父は元服姿なんですが、いわゆるアレ?
ユニフォームだから実物以上に良く見えるってやつ?
面白いのが祖父の頬にホクロがあるんですけど、父の兄も父も父の妹も同じところにホクロが。
家族なんだなぁ~って。

投稿: デネル→絵理亜さん | 2011年7月26日 (火) 13:55

◆怜音さん◆

66年前に終戦してますね。
学校で教わりました。

祖母が大好きだった祖父の話とそれに関するエピソードをエントリーしたまでです。
どこまでも自分ごとの話でお目汚しをして申し訳ありませんでした。

私は今直面していることにふざけて生きているわけではありません。

投稿: デネル→怜音さん | 2011年7月26日 (火) 13:39

◆ちゅなさん◆

震災以降、こちらは大きな余震も無く、これまでと変わらないいつも通りの生活を送れているんですが、なんかモヤモヤするものが。
そんな時、父の手伝いで祖父や戦没者の方々のリストを作ることになったのも意味があるのかなと勝手に思っていたんです。
これがきっかけで「気持ちが大きく変わった!」というのは無いんですけど、見つめ直すきっかけになりました。
父とも話しが出来ましたし♪

ちゅなさんの最後の「今の戦争のない国をずっと続けていけたら、あの人達もよろこんでくれるのでしょうか…。」で思い出した舞台が。
観劇したわけではないので残念ながらタイトルが分からない・・・・
戦時中の特攻隊の皆さんの元にひょんな事から時空を超えて現代のラジオが流れてくるんですけど、最後の方でDJさん?にあちらから「○○年後の日本はいい国ですか?」と問いかけるんですって。
DJさんはなんと答えたのか??
もし再演されたら絶対観に行きたい舞台なんですよ。

投稿: デネル→ちゅなさん | 2011年7月26日 (火) 13:36

◆i-yaさん◆

i-yaさんは158センチですか?
勝手なイメージでi-yaさんは私と同じぐらいか若しくは私より背の高い方だと思ってました。
私もヒールのある靴が好きなので170を超えるような。

エイミー嬢の急逝にびっくり。
破滅型の人なのかなとはなんとなく感じてたんですけどこんなに早く亡くなるとは。

『死の選択』なる授業があるのですね。
それをペロッとまるっと全部英語で受講していらっしゃるの?

おばあ様は広島で原爆に遭われたんですね。
私はこれまで写真や映像でしか見たことが無くて、あの日の事を語り継がれている方々から間接的にお話を伺うぐらいでしか当時のことを知りません。
i-yaさんはおばあ様から多くの事をお聞きになったんですね。
こちらで共有して下さって有難うございました。

投稿: デネル→i-yaさん | 2011年7月26日 (火) 13:22

◆ごろちゃんさん◆

ごろちゃんさん、はじめまして!
ありがと~ございます!
今はV○さんに絶大なるLOVEでいらっしゃる♪
久しぶりにお立ち寄り下さり、しかも初コメント。
ありがと~ございます!

知覧特攻記念館に行かれたんですね。
私は数年前に嵐のコンサートで鹿児島を訪れた際にあちらに住む叔父に連れて行ってもらおうと思ったんですが時間が無くて断念したんです。

V○さんのことを殆ど存じ上げないのでがっつり語り倒せず何のおもてなしも出来ませんが是非是非またお立ち寄り下さいませ。
お待ちしてまっす!!

投稿: デネル→ごろちゃんさん | 2011年7月26日 (火) 13:12

◆熊Pさん◆

熊Pさんのおじい様はインドの捕虜に。
そうですか。
この様なお話を伺ったのが初めてなので凄く驚いています。
とても辛い日々を過ごされたんですね。
貴重なお話を聞かせて下さって有難うございました。

震災があってからいろんなことを考えますが当時のこともなんらかの形で残していかないといけませんね。


投稿: デネル→熊Pさん | 2011年7月26日 (火) 13:08

◆yumiyumiさん◆

広島の方や長崎の方は他所に住む我々以上に原爆が今も身近な事だと長崎出身の友達が言ってました。
うんと小さな頃から当時の話を見聞きするんですよね?
本当に失礼な話なんですけど、小学生の頃、図書室にあった『はだしのゲン』が怖くて怖くて本を手に取るのも怖かったんです。
でもあれは漫画の世界ではなく実際に起こったこと。

原爆資料館へは修学旅行の時と大人になってからとで2回訪れました。
展示されている品々を見ていると胸が詰まります。

『大和ミュージアム』に行ってこられたんですね。
呉に造船所とドックがあるので以前の仕事で何度か入港したことがあるんですがあの近くかな?

終戦から随分と時が経ちましたが何かがきっかけで当時のことを窺い知り、yumiyumiさんや皆さんのお話も伺えて良かったです。

投稿: デネル→yumiyumiさん | 2011年7月26日 (火) 11:34

デネルさん、いつもお返事ありがとうございますclover

年跨ぎの宴の際に、私と変わらない身長に少し驚いたのを思い出しましたcatface


戦争のお話…こちらでは終戦直前の、日本で最後に空襲を受けたというお話を中学の国語か何かの授業で体験された方に伺った位です。生きたくてもそうできなかった…状況は違っても、その事は震災等でお亡くなりになった方にも当てはまるわけで、今こうして生活しているのも本当は奇跡的な事なんだと思いますbud日々に感謝ですbearing

投稿: みちのく☆小町 | 2011年7月26日 (火) 05:41

デネルさん、お久しぶりです。。。と言っても、もちろんずーっと、お邪魔してたので、私的にはお久しぶりでも何でもないんですが(^^;)お久コメントです笑

大野君がコンサートの他に鹿児島に足を踏み入れていた事があった事実に驚きのあまり、口を出したくなってしまいました(*^^*)それも知覧!?特攻平和会館??しょっちゅう行く所ではありませんが、鹿児島人なら学校の遠足などで誰もが1度は行った事があると思います!!

私が行ったのもだいぶ前の事ですが、特攻隊の方々が飛び立つ前に家族へ宛てた手紙や実際に着ていた軍服などが展示されていて、戦争についてよく考えた事もなかった当時の私ですら幼心に胸がズーンと重くなった事、当時の自分よりも3、4歳年上のお兄さん達の写真がズラーッと飾られていて、何とも言えない気持ちになった事は、今でもよく覚えています。

…というか、忘れちゃいけないですね(・・;)

終戦記念日など、節目節目には、戦争の事を考えずにはいられませんが、特攻隊の事を改めてピンポイントに想うきっかけになりました☆

最近は、櫻井君にも来ていただいて、鹿児島も捨てたもんぢゃないな〜と思っちゃいました(*^^*)笑

投稿: ぴょんち | 2011年7月26日 (火) 00:39

デネルさん みなさんこんばんはconfident

デネルさんは、私が勝手にイメージしてたよりも背が高かったんですねsign05
(又々でました∵coldsweats02勝手に想像sweat01sweat01)私は161センチ位で、そろそろ骨が縮んできたみたいbearingあぁっ、膝がきしむ〜

・・・・・・・・・・・・・・・・・
娘が高校在学中 修学旅行で広島を訪れました。
関東、関西も訪れ楽しく過ごしたそうですが、帰ってきてから真っ先に話したことは、語りべさんと仰るのでしょうか?広島でのあの日をお話しくださったご婦人の事でした。余りにも悲惨で酷く辛いお話に生徒全員が号泣したようです。
昨年、沖縄の平和のいしじを訪れました。旦那の親戚と私の父の戦友(父は20?才独身中に沖縄へ)の名が刻まれているこの地を娘たちと共に北海道から順に合掌しました。
余りにも大勢の貴い命、お一人一人の名を見、御霊を慰め、平和の尊さを考えずにはいられませんでした。(ちなみに、私はきょうだいが多くて末っ子です、なので父はよく「お祖父さんですか?」と聞かれました。(父は私が20代の時に他界)私が大人になって話をしてたのに、所々よく覚えてなくて、きちんと聞いていれば・・・と今になって思います。
なかなかまとめられませんね。

余談ですが、デネルさんのお祖父様は、ダンディーで目がクリッでしたのねhappy01今でいうイケメンですねscissors
私の父もそりゃもう〜upてかっsweat01sweat01何故か兄貴は熊ゴロウcoldsweats02

投稿: 絵理亜 | 2011年7月25日 (月) 22:24

私の祖父と叔父も戦死だけど・・
2人とも南のほうのナントカって海で。
叔父に至っては21歳くらいだったようで。


でもねぇ。戦争って66年も前に終わってるのよ。
私はあの世とか魂とかないと思ってるからかもしれないけど、
私たちは今直面してることに真剣に向き合って生きていけばいいと思うのよ。

投稿: 怜音 | 2011年7月25日 (月) 19:44

デネルさん みなさん cloverこんにちわ(*´∀`*)
デネルさん(* ̄∀ ̄*)今日はいろいろとありがとうございましたheart04

今 私はホントにのんびりとした環境の中で暮らさせてもらっているから、忘れがちになってしまっていますが、だからこそ忘れちゃいけない事なんですよね。父や母 はまだ幼い頃で、父方の祖父もあまり危険な所では無かったって聞いた記憶があります。毎年 この時期になると、特攻隊や白虎隊、原爆のドラマが放送されますが、前はちょっと苦手でした。戦争のドラマが!でも そういう事が 語り継いで行くことに繋がるから、最近は見るようになりました。今の平和はあの人達のお陰で!なんて偽善者な感じがするんですけど、ここは あえて、使いたいと思います。今の戦争のない国をずっと続けていけたら、あの人達もよろこんでくれるのでしょうか…。

投稿: ちゅな | 2011年7月25日 (月) 18:33

デネルさん、背が高いんですねー。羨ましい。
私は今年の健康診断で1㎝背が伸びてて、158cmになってました。
でも普段はヒールのある靴を履いていることが殆どなので(フラットの方が足が疲れます)、見た目は大体165cmくらいかなー。

ワイノの逝去は本当に突然でした。
ビーハイブとかメイクとかライフスタイルは「んん?」だったけど、あの若さで稀有なブルージーな声を持ってるアーティストで好きだったな。
彼女がODで亡くなることは確かに想定内ではあったのだけど、ジャニスと同じ27歳で亡くなるなんて早すぎます。
エイミーの来歴や活動を見てるとジャニスを彷彿とさせるところが沢山あったのだけど、まさか亡くなり方まで同じとはね…。
才能にあふれる若いアーティストを失くすって、本当に辛い事です。

今取っている社会学のクラスで「死の選択」って項目があったんです。
どれだけ若くても年老いていても、愛する人を亡くすことや愛する人を置いて悲しみや痛みって、変らないと思います。
戦争で子供や孫、夫や妻を失う事は、亡くなった方の家族の事を思えば本当に理不尽ですよね。
「国の為」とか「世界平和の為」って大義名分があっても、そう唱える政治家が戦地の最前線に立っている訳ではなくて。
私の祖母は「ヒロシマ」の被爆者で、全身に火傷を負いました。
私が子供の頃は一緒にお風呂に入った時にはケロイド状になった肌を見せては戦争の話を聞かせてくれたものです。
色々と後遺症があったにも関わらず結構長生きしてくれて、「ヒロシマ」の最後の生き残りの内の一人だったんじゃないかな。
この話をアメリカですると皆驚きますけどねー。「ヒロシマ・サバイバーの子孫ってマジっすか?」っつって。
私たちは「戦争は全てが悪だ」っていう教育を日本で受けてきているけれど、アメリカは政治的に戦争は「必要悪」だと捉えているところがあります。
武力に訴えてなにが解決するのか、私にはサッパリわかんないですけどね…。
アメリカ市民になることを躊躇する理由の一つです。ふふふふ。

長々と失礼しました~!

投稿: i-ya | 2011年7月25日 (月) 16:39

はじめまして。
といっても、デネルさんのブログを知ったのは、早三年前。
あの頃は嵐大好き大野くを大好きで、毎日訪問していました。といっても、コメントを残した事はないのですが。
女心の悲しさで、嵐からV6へと、心変わりしてしまい、V6のファンクラブへ入り、コンサートへ行き、と、ジャニーズへの入り口となった、嵐さまの事は、遠い記憶となっていました。
そして今日、何年ぶりかにデネルさんにお会いしようと、ブログを訪問したら・・・驚きビックリ。
私、最近特攻隊の事を調べるようになって、なんと昨日、知覧特攻記念館から帰ってきたばかりでしたの。
あまりの偶然に、思わずコメントしてしまいました。
デネルさん、これからも楽しいブログを続けて下さい。
V6に心は行ってしまいましたが、デネルさんの楽しいブログは、また寄らせてもらいます。

投稿: ごろちゃん | 2011年7月25日 (月) 16:06

デネルさん、こんにちはconfidentいつもお返事ありがとうございますconfident

じっくり読まさせていただきました。
私は父の父と母(私にとっては祖父と祖母)とずっと一緒に暮らしていたんですが、祖父も祖母も戦争の話はほとんどしませんでした。祖父はインドの捕虜になっていたという事は教えてもらった位でした。
今は平和な日本にも過去にはつらい戦争があった事は絶対に忘れてはいけませんよね。

投稿: 熊P | 2011年7月25日 (月) 13:09

おはようございます。デネルさん。

デネルさんの真面目なお話に、引き込まれました。
ので、ちょっとだけお話してもいいですか?
私は広島の出身で、小さいころから戦争や原爆の話が、知らないうちに嫌と言うほど耳に入ってくる環境でした。
夏休みに配られる「夏休み帳」にも必ず短編の戦争話があって。そこを開いたり触ったりするのも怖いくらいの感じでした。毎年、配られる度に悲しい思いをしてました。
暗ーい体育館にみんなで集まって戦争のひどい映像の映画を見たりして、幼心にそれはそれは心の底に根強く刻まれる位の映像でした。
8月6日の広島原爆記念日には毎年必ず、子供が生まれてからは子供も一緒に、8時15分から1分間、テレビの前に座って黙とうをします。
子供に聞かせる絵本の中に、戦争にまつわる物を選んで、読み聞かせてました。読みながら毎回泣いてしまいまうので、子供から「これ読んで」と持ってくることはあまりありませんが。

原爆資料館は人生で1回しか行った事がありません。
ま、人生で一回で十分なんですが。
若い頃にはまだなかった、「大和ミュージアム」にも一度行きました。戦艦大和を造った呉市にそれはあります。
映像フィルムがところどころに展示してあって、数分、または数十分の映像なんですが、最初から最後までどこのブースで見ても、号泣でした。見ている他のみなさんも、途中で飽きる事なく、最後までみなさん、見てました。
兵隊さん、最後の最後は「お国の為」と自分から爆弾の中に入って、自分から爆弾となって・・・って事もありました。
今考えると、ホントに同じ日本、同じ人間がやった事なのか?と信じがたいお話ばかりです。
私の親の家は、傷ついた兵隊さんを何人か寝かせてあげるために提供していた、とか。

私も戦争の話を思い出すと、何とも可哀相で可哀相で涙が止まりません。
これからの私の役目は、自分の子供は然り、機会があれば一人でも多くの子供たちに私が聞いた限りではありますが、戦争の話をして行けたらな、と思っています。

本当に辛く悲しい時代が、本当にありましたね・・・。

長々と失礼しました

投稿: yumiyumi | 2011年7月25日 (月) 08:49

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